スカウトが認めた無名選手の”ワンプレー”、伊東純也選手

アスリートの望む結果にメンタル面でサポートするスポーツメンタルコーチの鈴木颯人です。”スピードスター”と称される伊東純也選手。10代から輝かしい成績を残してきた柴崎岳選手、宇佐美貴史選手などの選手が多く在籍する日本代表の中で、”小中高と全国大会とは無縁、選抜歴もゼロ”という経歴を持ちます。

現在では、日本代表として得点に絡むパスを演出し、海外でも最優秀選手にノミネートされるなど最高の舞台で輝く選手です。今回は、伊東純也選手についてスポーツメンタルコーチとしての視点でお話し出来ればと思います。

【コラムの著者】鈴木颯人

一般社団法人日本スポーツメンタルコーチ協会 代表理事
慶應義塾大学健康情報コンソーシアム 会員
メンタルトレーニング推進国会議員連盟 所属

プロ野球選手、オリンピック選手などのトップアスリートだけでなく、アマチュア競技のアスリートのメンタル面もサポート。全日本優勝、世界大会優勝など圧倒的な結果を生み出すメンタルコーチングを提供中。>> 今も増え続ける実績はこちら

【プロフィール】フィリピン人の母と日本人の父との間に生まれました。生まれた国はイギリス。当時から国際色豊かな環境で育って来ました。1歳になる頃には、日本に移住しました・・・。>>続きはこちらから

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”伸び伸び育った”幼少期

Jリーグ発足を2ヶ月後に控え日本でサッカーが盛り上がっていた頃、神奈川県横須賀市で生まれた伊東純也選手。母の由香さんが気に入った響きの”純”、父の利也さんの”也”を一文字ずつ取り”純也”と名付けられました。喧嘩することなく仲良く育った3兄弟の長男。突然廊下で1対1が始まり、蹴ったボールが天井や壁に当たって壁紙が剥がれることもあったそうです。

4つ上の幼馴染が通っていた鴨居FCに小学校1年生のときに入団。同級生も多く通っていたことからこのチームでプレーするようになったのは自然の流れでした。高校時代に”快速ウィンガー”と称された父の利也さんも同時にこのクラブのコーチに就任しました。「家ではあまり言葉を交わさなかった親父は、サッカーになると怖かった」と話す伊東純也選手。

当時の練習中では、特に”ボールを追うこと”と”走ること”を強調していたそうです。野菜嫌いだったという伊東純也選手でしたが、細かく切ってハンバーグなどにすると食べたので「食事面もあまり神経質にならず、何事もおおらかな気持ちで見守り続けた」と話すのは、母の由香さんでした。

「ゴールをするよりドリブルで相手を抜くのが一番楽しかった。好きなことへの集中力が凄いのでポケモンやゲームも極めていた」と当時を振り返る伊東純也選手は、ドリブルばかりしていたそうです。マイペースな性格を周囲もガミガミ怒ったりせず、恵まれた環境を活かし、思いっきりボールと触れ合う日々を過ごせたことで自由に伸び伸びと育ったのでしょう。

スポーツメンタルコーチとして選手がどのような過程を歩んできたかとても大事にしています。それは、環境が与える影響が大きいからです。遺伝子学においても共有環境と呼ばれる家族からの影響だけでない非共有環境が性格やメンタルに影響を与えていると言われているからです。伊東選手のケースで言えば、4つ上の幼馴染の影響は非常に強かったと推測できます。一般的に、日本代表レベルで活躍している選手ほど兄弟構成で言うと次男が多いのですが、伊東選手は長男。長男だから活躍できないと言うわけではないのですが、責任感が強すぎたり、1人で抱え込み過ぎてしまう傾向があります。それでも成長してこれた秘密がもしあったとしたら幼馴染の存在があったと思えるのです。

無名選手が注目された”ワンプレー”

所属するKRCヘンクでは、ベルギーリーグ優勝にも貢献した伊東純也選手。サッカーを始めた鴨居FCは、運動神経が良かった伊東純也選手は入団時からレギュラーを掴みますが、気まぐれなサッカー少年でした。

ウィングのポジションで逆サイドにボールがあるときは、足をクロスさせて休んでいたと言います。いざボールが自分サイドに来ると走り出してチャンスメイクし、きっちりやるので仲間も文句を言わないというプレースタイルでした。そんな鴨居FCは地元では強かったため、横浜F・マリノスの下部組織ともそこそこの試合ができるレベルでした。

小学校6年生の時に、マリノス・ジュニアユースセレクションに声をかけられます。1次2次選考は免除で最終選考だけ受けることになりました。しかし最終選考を受ける子たちは、地域やマリノス・ジュニアで活躍する実力者ばかりだったため、レベルの違いは歴然で落選したのです。伊東純也選手本人は、この時「ずいぶん悔しかった」と話しています。

地域の少年団である横須賀シーガルズで中学3年間、公立の強豪の逗葉高校に進学しました。選んだ理由は”家から通える距離だったから”だそうです。インターハイ予選の初戦で、全国レベルの強豪と対戦し1対6で大敗を喫しました。しかし強豪校である相手側の試合を見にきていたスカウトたちの目に、開始5分で敵を何人も交わしゴールを決めた伊東純也選手がとても印象に残ったのです。

この”ワンプレー”で名前を覚えられ、いくつかの大学からスポーツ推薦を受けることになりました。おそらく相手側の強豪校にいたらベンチ止まりでレギュラーにもなれず、スカウトの目に止まることもなかったでしょう。試合に出れていたことが活躍に繋がり、ワンプレーで幸運を掴んだのです。

サッカーが好きで始めた選手であれば誰もがJリーグの下部組織であるユースに受かりたいと思うものです。しかし、長い目で見たさいに必ずしもユースに上がればプロになれるかというとそれほど甘い世界でもありません。かつて、本田圭佑さんがガンバユースに上がれなかった経験を持っていることからも言えますが、いい環境と思われる場所であっても夢をつかむとは限らないのです。そういった意味では伊東選手も同じことが言えます。選手として重要なことは試合に出ることです。この環境を手にする決断になった家から通えるという一見すると不純な動機に見えますが心理学の偶発性理論で紐解くと理にかなっていると言えます。

一気に溢れ出た”頭角”

伊東純也選手が、スポーツ推薦の中から選んだのは、神奈川大学。この理由も”家から通える距離だったからでした。入学すると、周りは選手権にでた高校のエースやJクラブ出身者ばかりだったそうです。しかし、その中でも「意外にもできちゃった。ずっとごく普通の環境にいたので、自分の力がよくわからなかったけど”やれる”とわかって自信がついた」と話した伊東純也選手。

大学ではその快足からFWのポジションを任され、”次は何をしようか”と考えながらプレーするとゴールという結果もついてきたのです。3年生の時に、関東大学サッカー2部リーグで20試合に出場、17得点を挙げ、得点王とベストイレブンを受賞しました。

翌年も10得点・12アシストを記録し、アシスト王に選ばれ2年連続でベストイレブンを獲得しました。大学時代も着実に力をつけ、ヴァンフォーレ甲府、モンテディオ山形からオファーを受けました。

大学1年の時には、そのスピードに圧倒され、すでにスカウトから目をつけられていたそうです。ヴァンフォーレ甲府に入団を決めた伊東純也選手は、特別指定選手として入団前からチームのトレーニングに参加。正式に入団した後の3月にプロデビュー、5月には初ゴールを決めました。

デビュー年は、リーグ戦30試合に出場し4得点を記録。2年目は、J1の柏レイソルに移籍し、リーグ戦7得点を記録しました。3年目はリーグ戦前試合に出場し、日本代表にも初招集されました。この年は、自陣から70mの距離を独走後に決めたゴールなど6得点を記録し、Jリーグ優秀選手賞を受賞。4年目も日本代表にも引き続き選ばれました。

そして節目となるプロ5年目には、ベルギーリーグのKRCヘンクに期限付き移籍。移籍後の2月にUEFAヨーロッパリーグ決勝トーナメントで初出場し、3試合目で1アシスト1ゴールの活躍を見せます。14試合3得点2アシストと移籍初年度に優勝を経験しました。UEFAチャンピオンズリーグのグループステージでもデビューを果たし、移籍2年目、プロ6年目のシーズンでは、37試合に出場し、6得点9アシストを記録。

記録を残した結果、契約期間3年の完全移籍を果たします。移籍3年目のプロ7年目のシーズンでは、2試合連続ゴールを記録するなどシーズン二桁得点を達成。ベルギーカップ決勝でも先制ゴールを決め、クラブ8シーズンぶりとなる優勝に貢献しました。この年は、42試合に出場し、12得点16アシストを記録。24年までのヘンクとの契約延長を決めたのです。

父の利也さんは「あの子は持っている」と話し、母の由香さんも「常に試合に出てきた。純也は、大事なところで決める勝負強さもある。プロ入り後も1年目から試合に出れていた。常に試合に出場できる環境にいるからこそ、遅まきながら芽が出た。強いチームにいることが必ずしも本人のために良いとは限らない」と話しました。伊東純也選手も「大事なのは最初から”できない”と思わないこと。やってみたらできるかもしれない」と強く話しました。

今回は、伊東純也選手についてお話しました。20代に入り才能が開花した遅咲きの選手という印象があるかと思います。ただ、スポーツメンタルコーチとして数多くの選手と接してきて言えることは、活躍するのに遅いも早いもないということです。もちろん、最初から活躍するに越したことはないのかもしれません。しかし、活躍すべきタイミングを逸してしまう選手ほど結果を急ぎ焦ってしまうケースが度々見受けられます。その点において、伊東選手は決して環境が一流とは言えない中であってもそれを言い訳にせず、どんなシチュエーションであっても自分自身の実力を発揮することに努めていたのではないのでしょうか。その理由を裏付ける意味で、「大事なのは最初から”できない”と思わないこと。」という言葉に彼のメンタル面が伺えます。

幼少期からボールを蹴り続け、できることを精一杯続けた結果、運も味方に付けたと捉えることもできますが、持ち前の武器を最大限に活かし、世界でも活躍の場を広げた実績は今後の子供達に大きな希望になると思います。華々しい結果の背景にある伊東選手の心のあり方を是非とも参考にしてみてください!最後までお読みいただきありがとうございました。伊東純也選手の今後の活躍も願っております。

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【コラムの著者】鈴木颯人

一般社団法人日本スポーツメンタルコーチ協会 代表理事
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