フィギュアスケートとメンタルのコンディション
先日行われたフィギュアスケートの四大陸選手権は、男子は羽生結弦選手の初優勝で幕を閉じました。羽生選手はショートプログラムでは史上最高得点を獲得しました。見ていて鳥肌が立つ演技とはこのことだったと思います。見ていて大興奮でした。
このショートの出来映えならフリーはどれほどの演技をするのかと期待されていましたが、ショートプログラムほどの完成度は見られなかったのではないかと思います。
現在の最大のライバル、ネイサン・チェン選手、全日本で羽生選手を破った宇野昌磨選手など有力選手が出場していなかったため、結果的には余裕を持っての優勝となりました。
フリーでの「神懸かり」の演技に期待を寄せていたファンにとってはもっと出来る羽生くんの未来をよりイメージした試合でもあったと思います。
また、GPファイナルで激闘の末に敗れたライバルのネイサン・チェン選手の得点を超えて欲しかったという期待に応えねばという心境も心のどこかであったと思います。優勝以上のものを無意識に求められるのは、超一流選手ならではの宿命なのかも知れません。
羽生選手も、試合後にリンクのコンディションが気になってフリーでは試合に集中できてなかったことを話していました。リンクの氷には下地のコンクリートが見える程の穴があいていたらしく、今回のフリーでは割り引いて見る必要があるかもれません。それでも集中すべきなのがアスリートであって羽生選手はそこを課題に挙げ、それを見事に結果で応えてくれたと思います。
フィジカルのコンディションがほぼ同じであっても集中力、メンタルのコンディションでこれほど結果に差がでるのがフィギュアスケートだと思います。ここ一番での集中力はアスリートの永遠の課題かもしれませんが羽生選手ほど自分自身の気持ちをコントロールできる選手はいないのではないのでしょうか。
この試合では、羽生選手の世界トップレベルの集中力の「凄さ」と、その集中力をどんなコンディションにおいても維持するという今後の「課題」との両方が見られた大会だったかもしれません。
しかし、オリンピックという世界最高峰の大会で最高の集中力を発揮して連覇を果たした上、いまだに世界のトップの高いレベルで戦い続ける羽生選手の強さの秘密は何なのでしょうか。
天性の音楽性と「羽生ワールド」
アスリートとしての羽生選手の素晴らしさを多くのメディアが語ってきました。しかし、「芸術」ともいわれるフィギュアスケートにおいては、羽生選手の持つ天性の「音楽性」がスケートの技術的にも、さらにはメンタル的にも大きな武器になっているように私は思っています。
何種類ものヘッドフォンを使い分けるほど「耳」が良く、試合の時はその時の気分にあったヘッドフォンでその時の気分にあった音楽を聴くのが集中を高める一つの方法であるという話しをテレビの密着取材で聞いたことがあります。
「抜けるような高音」が聞きたいときと、「低音を響かせたいとき」でヘッドフォンを使い分けるのだとか。普通のアスリートはそこまでしませんよね。だからこそ羽生選手はすごいのかも知れません。
試合の中継で羽生選手がウォームアップの時などの映像が映ると、よくヘッドフォンで音楽を聴いている姿が映し出されることがあると思います。
羽生選手は、試合で使われる音楽の編曲にも携わって自分の「タイミング」で演技できるように拍数を調整していたと聞きます。また、音楽担当の方が、普通の人には聞き取れない微弱なノイズの除去を依頼され、驚いたという逸話も残っています。
また、羽生選手の小学生時代の面白いエピソードがあります。有望新人の発掘のための合宿では、羽生選手はスケートの技術的には特に目立った選手では無く、むしろジャンプでは転んでばかりいたそうです。
しかし、その「音楽性」が際だっていた、と。なんと一番目立っていたのは陸上でのダンスレッスンで、音楽に合わせて踊れるリズム感に天性のものが感じられ、そこに才能を感じた指導者に見出されたそうです。
天性の音楽性。
すなわち、羽生選手はアスリートとしてだけではなく、アーティストとしての天性も持ち合わせていたわけです。それが、「スポーツと芸術の融合」と言われるフィギュアスケートという独特の世界で開花したわけです。
そして、これは小学生当時にはわからなかったでしょうが、羽生選手の長い手足、小さな顔、美しい体のライン。これらもまた、芸術性が求められるフィギュアスケートの世界で大きな武器になっています。
羽生選手の演技においては、素人目にもその「流れるような連続的な美しさ」がわかります。スピン、ターン、ジャンプの入りと着地、そしてジャンプの繋ぎなど、その一連の動作はまるで体が音楽を奏でているようです。羽生選手の体の中には常に音楽が流れていて、そのリズムやアクセントに合わせてその美しく長い手足が音楽と一体化することを楽しんでいるようにも見えます。
羽生選手にとっては音楽は「職場」に流れるものであり、仕事のツールであるとともに集中のための道具でもあり、彼の芸術性、感性の原点となっているものでしょう。彼のアスリートとしての身体的能力、身体的特徴、それらとアーティストとしての天性の音楽性、それらのものが融合して独特の「羽生ワールド」が形成されているのではないでしょうか。
羽生結弦とネイサン・チェン
一方で、現在の羽生選手の最大のライバルであるネイサン・チェン選手の演技はどうでしょうか。ネイサン・チェン選手の強みはなんといっても「ジャンプ」であり、その切れ味と力強さ、技術の高さです。
羽生選手が「柔」だとそればネイサン選手はその対極にある「剛」だと思います。同じ「フィギュアスケート」と言う土俵で戦いながらも、羽生選手は「芸術」的なスタイル、ネイサン選手はより「技術」的なスタイルであると言えるかもしれません。
世界のトップを争う二人。この2人が全く異なる演技スタイルであることは、非常に興味深いことだとおもいませんか。その違いは衣装にも強く現れています。
羽生選手の衣装デザイナーの話によれば、「羽生」選手の名前から「羽」を一つのテーマにしていて、その羽を意識した衣装にしているそうです。羽生選手の柔らかさ、優雅さ、細く長い手足、体のラインの美しさ、どこか中性的とさえ思える魅力を映し出していると思います。
一方で、ネイサン選手は、ちょっと奇抜とも思える衣装を選ぶことがあります。本人曰く「本当にスパンコールが嫌い」、「僕が求めているのは着心地がいい服」だそうで、着心地の良さが最優先のようです。力強さ、身体的能力を生かした高い技術、男性的なパワフルさ。そして、衣装に「こだわらないこだわり」。まさに羽生選手とは対極にある選手かもしれません。
もちろん、羽生選手もジャンプにこだわりが無いわけではなく、「オリンピックの後は4回転半をやろうと思っていた」そうですが、フィギュアへの思い、フィギュアで目指すところは、それだけでは無いようです。
しかし、こういった拘りがあるかこそ到達できるトップアスリートにしか見えない境地があるのは間違いのない事実だと思うのです。
オリンピック連覇の先にあるもの
今回の四大陸選手権の記者会見で、地元韓国の報道陣の質問に答える場面がありました。「(五輪連覇で)目標を達成したと思うが、今のモチベーションは?」と尋ねられて羽生選手はこう答えています。
「モチベーション...何だろう...「強くなりたい」「勝ちたい」とかじゃなくて、「自分のフィギュアスケート」を「競技として」やりたいと思っています」。また、試合直前でプログラムを変更した理由について問われた時は、「自分のフィギュアスケートはこういうものだよっていうか、自分がそういう風に滑りたいって思ったからこそ、このプログラムを選びました。」と答えています。
羽生選手の境地を言葉で表現するのは非常に難しいと思います。羽生選手は「負けることは死ぬこと」と言っていたくらいの天性の負けず嫌いです。大きな大会やオリンピックで優勝するために死にものぐるいで練習してきたことは間違いないと思います。
しかし、誤解を恐れずに言うならば、インタビューからは、少なくとも羽生選手はライバルと闘って勝つため、結果を出すためだけに現在もフィギュアスケートを続けているのでは無いようにも見えます。ひょっとしたら、本人もその境地に気付いていないのかもしれません。
もともと羽生選手がどこかでそういう境地をもってフィギュアスケートをやってきたのか、それとも五輪連覇という偉業を達成し、競技を続けているうちに様々な経験を経てそのような境地に近づきつつあるようになったのかはわかりません。
それでも、羽生選手にとっては勝利とは別のレベルで、「自分のフィギュアスケート」を突き詰めたい気持ちがどこかであるのではないかと思えてなりません。そのためにはライバルにも居てもらわなければ困るし、自分のフィギュアスケートの完成度を計るために大会に出場し、結果をもって自分の現在地を確かめているようにも思えるのです。
そして、全くスタイルの異なるネイサン・チェン選手に刺激を受け、ライバルとして意識しながらもブレることなく、自分のスタイルを貫いているように見えます。それは、ネイサン選手も同じこと。羽生選手はネイサン選手のスタイルには絶対になれない(ならない?)ですし、ネイサン選手も選手としてリスペクトはしても羽生選手のスタイルはあまり参考にはならない(できない?)はずです。
フィギュアスケートはおもにヨーロッパにおいて大きく発展し、メジャーな競技になっていきましたが、元々はスポーツというよりは「芸術」的な指向が強いものであったと言われています。フィギュアスケートを純然たるスポーツとして、スケーターを純然たるアスリートとして扱っていいのか、という議論は今でもあるようです。
羽生選手にとっては、自らの「音楽性」を武器として、自分が理想とする独自のフィギュアスケートを少しでも進化させていくことがモチベーションなのかもしれません。五輪連覇の後は特に、その自分にしかできないフィギュアスケートを大きな大会で披露し、ライバルとその技を競うことを自分自信へのプレッシャーとしているのでしょう。
おそらく、羽生選手には、我々凡人とは見えている(聞こえている?)世界が異なっているのではないでしょうか。我々にはない独特の感性を持ち、その鋭すぎる感性ゆえに集中した時の切れ味は神懸かり的ですが、鋭すぎるが故に感じてしまうものが多すぎて雑音(今回はリンクコンディション)に乱されることも多いのかもしれません。試合前にヘッドフォンで音楽に集中しているのは、文字通り「雑音」を入れないためかもしれません。
ネイサン・チェン選手の存在とその躍進は羽生選手にとってもプレッシャーになっていることは間違いないでしょう。しかし、羽生選手の最大の課題は、その独特の世界「羽生ワールド」に自分がどれだけ入りきれるか、なのかもしれません。
我々凡人には、羽生選手に見えたり聞こえたりしている世界を理解することは難しそうです。しかし、我々凡人も「羽生ワールド」を理解するチャンスを少しだけ与えられています。我々凡人は、羽生選手の演技を見て、そしてその演技を感じることで、羽生選手が体験している世界を少しだけ垣間見ることが許されるのです。
羽生選手が理想とするフィギュアスケートは、どんなものなのでしょうか。そして、羽生選手は今後どんな進化を魅せてくれるのでしょうか。それは、もうすぐやってくる次の世界選手権で見られるかもしれません。
競技を頑張るどのアスリートも今回の話は参考になると思います。自分の世界を作り上げることこそが1番になるための秘訣だと私は思っております。だからこそ、自分の意見、自分の考えの軸を大事にしてほしいなと思います。【こ