『魔物』としてぶっ飛んだ、小林陵侑選手!
北京オリンピックも数日が過ぎ、さまざまなドラマが生まれます。そんな中、コロナ禍の日本が明るくなる日本金メダル第1号のニュースが届きました。スキージャンプの小林陵侑選手選手です。
1972年、札幌五輪で笠谷幸生選手らが「日の丸飛行隊」と称され、表彰台を独占してからちょうど50年。そして1998年、長野オリンピックの船木和喜選手以来、スキージャンプでの個人金メダルは、24年ぶり3人目となります。前回の2018年平昌では、メダルを逃すも7位入賞を果たしました。しかし、そこで満足せず常に上を目指してきました。
今回は、この4年で大きな成長を遂げた小林陵侑選手の強さの秘訣にスポットを当ててお話ししていきましょう!
目次
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小林陵侑選手、遠くへ着地できる秘密
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『生きた教科書』がメンタルの原点
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やっと掴んだオリンピックの金メダル
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まだまだ続く小林陵侑選手の北京の舞台
小林陵侑選手、遠くへ着地できる秘密
高校時代は、無名の選手だった小林陵侑選手。しかし、レジェンドと呼ばれた葛西紀明選手兼任監督の目に止まりスカウトされます。この理由について葛西紀明監督は「高校生の時から良いジャンプをしていた」「日本人にはない姿勢」「ヨーロッパの強い選手に似ている」「飛び出してからの溜めがあった」「絶対化けると確信していた」と話しています。
レジェンドの目に止まった空中姿勢を専門家に解説してもらうと、ジャンプした直後の小林陵侑選手の体とスキー板の間には、他の選手よりも大きな空間があります。この大きな空間で風を集めるため、浮力を得ることができるそうです。
そしてもう一つが、動き出してから膝が動かないことです。しっかり固定されることで、ぐらつかずに立ち上がることができるため、溜め込んだ力を正しく伝えられるそうです。
この2つが揃うことで、自然とジャンプが高くなります。北京オリンピック、日本選手団の原田雅彦総監督も、小林陵侑選手のジャンプの特徴について「ジャンプをした際、普通はスキー板の裏面は横(外側)を向くのでどうしても風が逃げてしまう」しかし小林陵侑選手は「スキー板の裏面が下を向いているので、全面を使って翼が風を掴むように飛んでいる」と話しています。
安定したフォーム、ぶれない軸、そしてスキー板の角度とどれをとっても素晴らしいジャンプである。これこそが、より遠くへ着地できる秘密なのです。
『生きた教科書』がメンタルの原点
小林陵侑選手のターニングポイントとなったのは、2018年北京オリンピックだったそうです。それまであまり世界の舞台で力を発揮できていませんでしたが、個人戦ノーマルヒルで日本勢最高順位の7位入賞を果たします。
しかし、本人は納得いかなかったようでした。「調子が良かったので”世界のトップ”になりたい」と挑んだ大会だったからと話します。そんな小林陵侑選手の意識を変えたのは、やはり無名だった自分をスカウトしてくれた葛西紀明選手兼任監督だそうです。
「ここ数年で競技に対する気持ちが変わって来ていて、自分に厳しくなったのは、葛西監督を見ているから」と話しています。この時、対談していた元テニスプレーヤーの松岡修造さんは、葛西紀明=”生きた教科書”とたとえました。
「あまり喋るタイプの人ではないので、見て覚える」「陰で頑張る人」「競技に対する気持ち」「満足しない」「上を目指し続けること」「すべてを学んでいる」と心の成長を遂げたことを話した小林陵侑選手。
技術も経験も世界最高のお手本がそばにいること。これが、スキージャンプで飛躍する小林陵侑選手にとって1番の財産かもしれません。
私たちの脳にはモノマネ細胞と呼ばれるミラーニューロンと呼ばれる神経細胞があります。この神経細胞をフルに活用するためには環境を最適化する必要があります。小林選手はこの環境を存分に活用できているのだと思います。
覚醒の理由
2022年、ドイツで行われたスキージャンプワールドカップで、総合1位に輝いた小林陵侑選手。
「良いジャンプができている」「びっくりしている」「現時点で99%で来ている」と話しました。覚醒の理由について、この”ヨーロッパジャンプ週間”と呼ばれる大会で初めて総合優勝した2018年のことを挙げています。67年の歴史の中でたった2人しか成し遂げていない総合優勝を果たしたのでした。
金鷲トロフィーと呼ばれるトロフィーを手にした小林陵侑選手。片手にはスキー板を持っていたので「嬉しいけど重い」との感想には、最高の笑顔が輝いていました。1本目では、4位。2本目の大ジャンプで見事逆転し、史上3人目の全勝優勝を果たしました。彼を力一杯抱きしめたのは「スリップしないでパワーを伝えることができる。
体全身のバネというか、ギューンと前に伸びていく感じが他の選手とは違う」と評価し「絶対化ける」と信じていた葛西紀明監督でした。ヨーロッパジャンプ週間で総合優勝を2回果たした初の日本人選手となった小林陵侑選手。スキージャンプ世界チャンピオンとして挑んだ平昌オリンピックでは、果たせなかった表彰台入り。
調子が良い時は「飛んでる時は楽しい、どこまで飛べるかな」と考え、調子悪い時は「怪我するんじゃないかな、早く降りたい」と考えてしまうそうです。
選手のメンタルほど繊細ですが、いい時と悪い時をシッカリと理解できていることはとても大事なプロセスだと思います。無理してポジティブに振る舞うのではなく、自分自身を理解しようと努める姿勢は流石だと思います。
やっと掴んだオリンピックの金メダル
数々の競技で、世界大会を制した選手でも何故かオリンピックでは、頂点を取れないのは本当に不思議なことです。今回2度目のオリンピック出場となった25歳。
普段の生活をアップするユーチューバーとしての顔も持つ小林陵侑選手節たっぷりの優勝インタビューでした。「あんまり分かんなかったけど、いつもの仲間が隣にいたので、仲間と一緒に叫べてうれしかった」「良かったの一言しかないと思います。2本とも集中してイメージ通り動けたと思うので」と話しました。
嬉し涙を流した葛西紀明監督の話を聞くと「マジすか。見たかった」と笑い「選手としては一緒にできなかったですけど、この時間を一緒に共有できてすごいうれしいです」と喜びました。
2018年、平昌オリンピックからの4年間については「前回のオリンピックで自分に足りないことが本当にわかったので、ここでビッグパフォーマンスができたというのは、また自分を成長させてくれたなと思います」そして「オリンピックには魔物がいるというが」と問われると「いや、僕が”魔物”だったかもしれないです」と笑いを誘いました。
レジェンド葛西紀明監督は「たまっている涙が全部出ました。めちゃくちゃうれしいです。こんな立場で、生で見ることなんかなかったので、目の前で愛弟子が金を取れるなんて本当に幸せです」嬉し涙を流しました。
前回2018年、平昌オリンピックには、共に選手として出場した二人。その悔しさを機に、日本男子初のワールドカップ個人総合優勝を果たすなど、世界のトップに上り詰めた小林陵侑選手。
その大きな成長について「この4年間でよく、こんな無敵なジャンプを作り上げた。今じゃ誰もかなわないんじゃないか。ラージヒルも他の試合も、すべて金メダルを取っちゃうんじゃないか」と賞賛しました。
自身も手が届くことはなかったオリンピックの金メダルを愛弟子が獲得したことについて、普段は負けず嫌いと自負する葛西監督は「悔しさはなかったですね」と自分のことのように喜んでいました。
まだまだ続く小林陵侑の北京の舞台
小林陵侑選手にとって北京オリンピック2つ目の種目は、新種目のジャンプ男女混合。同じく混合競技で、フィギュアスケート団体が銅メダルを獲得しました。
このジャンプ競技にもメダルの期待がかかりましたが、高梨沙羅選手のスーツ規定違反による失格というまさかの思わぬアクシデント。出場10チーム中4チームに失格者が出たため、順位が目まぐるしく変わるという異例の事態でした。
どういうことかわからない人が多い中、レジェンド葛西監督が「高梨選手が)痩せちゃってスーツと体の間隔が空いたのかもしれない」と可能性について話していました。葛西監督の解説通りで、太腿周りが2cm、規定より大きかったとのこと。標高の高さや乾燥などから選手の体重は、減少しやすくなるそうです。
素晴らしいジャンプを決めた後なのに、一番納得できないのは選手だったでしょう。泣き崩れる高梨沙羅選手を抱きしめた小林陵侑選手。残る3人でジャンプを繋ぎ、8位から4位まで巻き返しました。また4年後には、この競技でのメダルに期待しましょう。