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「メンタルを学ぶことで大事なことに気づかせてくれた」

山下幸輝さんにとってスポーツメンタルコーチングとは

 

野球をしている子どもたちであれば、誰もが一度は憧れたことがあるだろう最高峰の舞台「プロ野球」。そんな表舞台にて8年間プレーした後、現在はサポート側に回って尽力しているのが元プロ野球選手の山下幸輝さんです。野球一筋で活動してきた学生時代からプロ野球現役時代を通して、様々な苦悩と困難を経験された山下さん。そんな彼の様々な節目を支え、時には新たな気づきを与えてくれたのがスポーツメンタルコーチングで得た学びでした。

 

今回は過去の競技経験や現在の活動内容を含めて、山下さんの担当スポーツメンタルコーチであった鈴木颯人さんの存在や、現役引退後に彼自身がスポーツメンタルコーチの資格を取得した経緯、そして長年メンタルに向き合い続けたことで行き着いた山下さん自身にとって一番大事なことについて尋ねました。

・野球一筋で多くのアップダウンを経験した学生時代
・プロ野球への道を切り開いたスポーツメンタルコーチとの出会い
・本当の意味でメンタルについて対峙したプロ野球現役時代・今後取り組むことは、周りの人たちへのサポート

野球一筋で多くのアップダウンを経験した学生時代

-山下さんが野球を始めたきっかけを聞かせてください。

 

7個上の兄が野球をしていたこともあり、その影響で物心がついた時にはバットとボールを持って遊んでいて、気づけば野球をしていました。小学校から高校生の学生の頃は身体が小さかったのですが、小学生の時は「自分は野球のセンスもあるし、地域では一番上手い」と思っていたので自然とプロ野球選手を目指したいと思うようになりました。ただ中学校に入ると体格の差がかなりプレーに影響し始めてきて「俺、プロ野球選手になるの無理だな」って思ってしまったんです。

 

-それでも野球を続けたのはなぜでしょうか?

 

その諦めかけた気持ちと裏腹に勉強も苦手だったので、中学から高校にかけては野球を続けるしかありませんでした。それから高校も当時監督のつながりもあって関東第一高校という野球の強い高校へ進学したのですが、やっぱり高校1?2年生の頃から好ましい結果は残せず、もう高校卒業を機に野球を辞めようと自分の中で考えていました。

 

そこでせっかくウエイトトレーニングが充実している関東第一高校に来たからには、野球を辞める前に小さい身体を大きくしてから地元に帰ろうと思い、ひたすらトレーニングに励みました。でも実際にはそのトレーニングのおかげもあって身体が大きくなっていき、野球のパフォーマンスも上がって強くなっている自分がいることに気付いて、改めて「俺、まだプロ野球目指せるんじゃないか」って思ったのが高校3年生の夏でした。

 

-高校でプロ野球を目指せると思ってから順調でしたでしょうか?

 

そんな高校3年生の時に甲子園でチームに貢献できたこともあって、その勢いで大学でも活躍できると思っていたのですが、レギュラーにはなれたものの自分の望んだ大会で結果がなかなか出せなかったので、メンタルに原因があるだろうと考えるようになりました。そこでメンタルについてTwitterなどで調べていたら鈴木颯人さんが出てきたので、気になり少し話を聞いてみようと思いました。

 

プロ野球でプレーすることは昔からずっと夢見てきたことだったので、このままでは行けるわけがないと思いながらも絶対行きたかったですし、野球は頑張ったら頑張った分だけ成長できるということも経験から分かっていたので、メンタル面も改善してもう一度プロを目指して挑戦したいと思っていました。

 

プロ野球への道を切り開いたスポーツメンタルコーチとの出会い

-鈴木颯人さんのスポーツメンタルコーチングを受けたきっかけを聞かせてください。

 

メンタルについて興味を持っていたので鈴木颯人さんについて知った時に、少し話を聞いてみたいと思ってDMを送りました。当時僕としてはDMを通じてやりとりさせていただいてメンタルについて話を聞いてもらおうというスタンスでいたこともあって、颯人さんから「じゃあ一度会いましょう」と言ってもらった時に、SNSを通じて人と会うのは初めてだったので身構えてしまいました(笑)そこで颯人さんに自分の友達や仲間がよくいる大学の近くにあるスターバックスコーヒーを提案してもらいそこで一度会って話すことになりました。

 

ただ僕自身が人見知りだったことや、颯人さんに会うことに対して心の準備もできてなかったので会っても全然話せませんでした。でも颯人さん自身の挫折した経験などを聞いて共感した部分はありましたし、少しずつ話していくと自分の欠点も明確になっていったので2週間に1度のペースでコーチングしてもらうようになりました。

 

-ちなみに颯人さんのスポーツメンタルコーチングを受ける時に抱えていた悩みを教えてください。

 

一番の悩みは大会になると結果が出ないというところだったので、どうしたらしっかり結果に繋げられるようになるのかと、また大学卒業後の進路も考える年齢だったので将来のことを考えた時に絶対プロになりたいという思いがあったので、プロ野球を目指したコーチングをお願いしました。

 

-実際に颯人さんのスポーツメンタルコーチングを受けてみていかがでしたか?

 

颯人さんにはプロになるまでの1年間くらいを主にコーチングしていただきました。今までは野球に対して練習やトレーニングを通してもっと技術面を磨かないといけないと思っていたんですが、メンタルですごい結果が変わることに気づきました。例えば練習ばかりやってしまっているときは、休む時間をとってメンタルを整えるようなことをしたりと、今までには無かった観点で取り組めることが増えたので、選手としての幅もすごく広がったように感じました。

 

また本格的にコーチングを受け始めたのは大学3年生くらいの時だったのですが、当時同級生の中ではチームの主力だったのですがチャランポランだったんです。そんな自分を直したいということを颯人さんに相談したら、まず「結果を出すためにふさわしい人間になろう」ということでチームをまとめたり、人前で話して自分の意見を言うことから始めることになりました。

 

最初は人見知りな性格が足を引っ張って苦戦しましたが、頑張ってミーティングで自ら発言したりする中で少しずつ変わっていった感覚がありました。それから人前に出ることも嫌じゃなくなりましたし、人として変わっていく感覚もありました。

 

-競技時のメンタル面の変化もありましたか?

 

試合の時もやっぱり今までは「打たなきゃ、結果を残さなきゃ」と色々なことを考えすぎてしまっていたのですが、颯人さんがコーチングを通して教えてくれた「無心になる練習」をするようになってから、プレーも徐々に安定して改善されるようになりました。

 

ただそれでもプロに行ける自信はなくて、ドラフトも呼ばれるか呼ばれないかの瀬戸際だなと感じていました。実際は中日ドラゴンズ、横浜DeNAベイスターズ、楽天ゴールデンイーグルス、広島東洋カープの4球団から調査書が来ましたが、大学の野球部の監督からも「本当に呼ばれるか分からないぞ」と言われていました。またちょうどそのドラフトの日が大学のリーグ戦の最終日だったこともあり、個人的にもやり切った気持ちだったのでその結果をただ待つという状態でした。

 

またドラフトでは僕以外に同級生3人がプロ志望届を出していたのですが、その中の1人が読売ジャイアンツに4位で先に呼ばれる中で各球団が徐々に選択終了となり、後が無くなって「やばいやばい」と焦っていたら、なんとかギリギリ5位で横浜DeNAベイスターズに呼ばれました。その瞬間は安心感と喜びも相まって大号泣してしまいましたし、そんな号泣している状態で颯人さんにも報告したこともよく覚えています。

本当の意味でメンタルについて対峙したプロ野球現役時代

 

-プロ野球活動の中で直面したチャレンジはありましたか?

 

プロ入って最初のキャンプ初日に「ここは俺が来るところじゃなかったな」と感じるくらいレベルが高くて、実はメンタルどうこうという状態ではありませんでした。とにかく技術を高めて、フィジカルを大きくしていくことに必死でした。もちろんそのレベルの差を埋めるにはきつい練習やトレーニングをこなす必要がありましたが、自分のことだけではなく、朝から晩までずっと練習に付き添ってくれた2軍の監督やコーチの期待にも応えたいという思いでどんなに辛い練習にも耐え抜くことができました。

 

-そんなプロ野球活動の中で感じたことを聞かせてください。

 

当時を振り返ると結果が出ない時は、野球でなんとかしないといけないという思いから視野が狭くなっていることが多かったです。逆に結果が出ている時は野球以外の別の仕事だったり他のことを考えられる余裕もあって、そんな余裕ができることでさらに結果がついてきたので、そういう観点からメンタル的にも野球一本だけにならず、色んなことを考える余裕を持つことが自分にとっては大事だったと気づきました。

 

また一番結果が出ていた時期は「世の中には他の仕事もあるし、プロ野球をクビになってもいいや」っていうくらい気持ちが吹っ切れている時でした。そういう意味では周りの目を気にしてしまっている時は全然パフォーマンスが出なかったですし、そういう周りの見られ方を含めて、野球で結果を残さないといけないというプレッシャーを感じている時は結果に繋がらないことも分かったので、意識的に周りの目を気にせずに自分のやるべきことに集中することは特に心がけていました。

 

-メンタル的にも野球一本に固執して、周りの人の目を気にしていた時は結果に繋がらなかったんですね。

 

多分周りの目を気にするようになったのも、大人になりプロ野球選手として活動し注目され始めたことで「失敗することを恐れる」ようになったのが原因だったと思います。学生の頃は特に周りを気にせずに失敗も恐れず自分のことに集中できていたと思うので。。

 

そういったことが気になりネガティブになってしまうことがプロ野球活動の中でとても多かったので、そんな僕が失敗することを恐れないメンタリティを保つには、極端ですけど「プロ野球を辞めることになってもいいや」と気持ちを振り切ることでした。

 

今振り返るとネガティブなってしまっている自分も受け入れて、ありのままでいれば良かったんじゃないかなって思っています。自分が完璧主義な性格だったこともあって、現役の時はネガティブになっている自分をなんとかポジティブにしようと頑張っていたことがストレスになりメンタル的にも良くない影響を与えていることも結構あったと思います。

 

-プロ野球活動の中でそのようなネガティブな自分と付き合っていった方法を聞かせてください。

 

それから2022年まで現役選手として活動したのですが、そんなネガティブな自分と付き合いながらパフォーマンスを上げるために色々取り組んできました。その中でも2020年くらいには「今年で現役も終わりかな」と思ったので、せっかくなら最後好き勝手やろうと思って髪色を変えたり人目を気にせず自分がやりたいスタイルで活動したら2020年~2021年と結果も伴ってメンタル的にもとても良いシーズンを過ごすことができました。

 

スポーツメンタルコーチ

 

-そんなメンタル的に苦しい中での家族や周りの方のサポートはどんなものでしたか?

 

僕自身が寂しがり屋ということもあって、いつも基本的に誰かと連絡をとっていますし、悩みとかも話したい性格なのでそういう意味ではたくさん信頼して話せる人が自分の周りにいるというのはとても助かっています。

 

またうつ病になってしまった時期もあったのですが、その時も心の支えになってくれましたし、家族からは当時現役で活動している時でしたが「もうプロ野球辞めてもいいよ」って声をかけてくれたので気持ちが楽になりましたし、颯人さんに連絡したらご飯に連れ出してくれたりと本当に色々な形で周りの方々にサポートしていただきました。

今後取り組むことは自分のためではなく、自分の周りの人へのサポート

 

-現役を引退してからスポーツメンタルコーチングを学んだ経緯を聞かせてください。

 

現役を引退したのは2022年だったのですが、コロナウイルスに感染して体調を崩してしまったことから自分で球団に辞表を出して現役活動を終えました。自分のその後の活動については、昔から「いつか指導者になりたい。」と思っていたので指導者の道を志すようになりました。ただ一般的なコーチのように技術だけの指導ではなく、選手が結果を出しやすくなるような環境を作ってあげたいと思っていた中で、現役時代にメンタルの重要性も知っていたので改めてスポーツメンタルコーチについて学び資格を取ることにしました。

 

-改めてスポーツメンタルコーチングを学んだことでの自身の変化はありましたか?

 

スポーツメンタルコーチングを学んでからまずネガティブと戦うことを辞めました。例えば「今日やる気出ないな」って感じた時に今まではなんとかやる気を出そうとしていましたが、ありのままの自分を受け入れてそのままで良いと思えるようになったら気持ちが楽になりました。先ほども話しましたが、現役時代にこういう考え方ができていたらパフォーマンスも変わっていたんだろうなと思います。

 

-スポーツメンタルコーチの資格取得後の活動について聞かせてください。

 

3月から静岡県にある「くふうハヤテベンチャーズ静岡」で内野守備走塁コーチとして活動していますが、それまでは小・中学生向けの野球教室で指導していました。特にスポーツメンタルコーチとして選手をサポートしているわけではありませんが、今のチームに必要としてもらえていることに感謝しながら、技術コーチとして指導していく中でメンタル面でのサポートもしていきたいと思っています。

 

-山下さんの現在の活動に対する原動力とはなんですか?

 

自分にプライドが全くないので、プロ野球選手を辞めた後のセカンドキャリアとしてもこだわりなく、色々な仕事にトライできたのでそのおかげで社会人としての視野も広がりました。

 

また自分がプライドをなくすことができたのは、現役時代の後半でベテランになった時に自分の結果だけではなく、後輩たちがどうしたら結果を残すことができるかを考えるようになったことも大きな要因の一つだと思います。もちろん自分の結果のために頑張ることも良いのですが、自分の周りの誰かのために貢献することが今の自分の一番の原動力になっています。

 

-山下さんが今後行っていきたいと思っている活動はありますか?

 

実は今はやりたいと思っていることは全くないです。子どもも3人いるので家族との時間を大切にしたいですし、とにかく家族で楽しく過ごしたいです。現役の頃は色々やりたいこともあったり、野球で結果残したり稼ぎたいという思いもありましたが、元々物欲もなくてあんまりお金を使うこともないので、子どもたちと遊んだりしながらゆっくり普通の暮らしができれば良いかなと思っています。自分にベクトルを向けてガツガツ取り組むことはプロ野球を通してやり切ったので、これからは周りの大切な人を支えることに力を入れて取り組んでいきたいと思います。

 

-山下さんにとってスポーツメンタルコーチングとはなんですか?

 

自分の考えの幅を広げてくれるものだと思っています。元々は自分の考えや価値観が全てだと思っていましたが、スポーツメンタルコーチの資格を取ったりいろいろな方の話を聞いていく中で、いろいろな人がいて、人それぞれの考えがあることを知りましたし、そういったいろいろな人のことを理解できるようになりました。

 

あとスポーツメンタルコーチングを学んだことで、メンタルが自分に及ぼすポジティブな効果と、メンタルを意識しすぎることがネガティブに作用することも身を持って経験できたので、今では本当の意味でメンタルがどんなものかも理解できました。今後は自分をプロ野球に導いてくれたこのスポーツメンタルコーチングを活かして、自分の周りの人たちに適切な形で還元しながらサポートしていきたいと思っています。

山下幸輝プロフィール

 

千葉県出身の元プロ野球選手。兄の影響で野球を始める。中学では周りとの体格差に悩まされるも関東第一高校に進学するとトレーニングの末、高校3年夏の甲子園で8強達成に貢献。国学院大では4年春のリーグ戦でベストナインに選ばれると同夏には大学日本代表入り。その後2014年にドラフト5位で横浜DeNAベイスターズへ入団。2016年は代打の切り札として重宝され、代打打率4割(25打数10安打)をマークする。2022年10月に現役引退するとスポーツメンタルコーチングを学び、小中学生向けに野球教室で指導者として活動すると、現在は今年2024年3月からくふうハヤテベンチャーズ静岡にて内野守備走塁コーチとして活動している。

 

Interview and Edit by 畠山 大樹

次回のスポーツメンタルコーチ資格講座のご紹介

 

スポーツメンタルコーチ

 

スポーツメンタルコーチ資格講座は「日本スポーツメンタルコーチ協会(R)」にて発行されている資格です。One Athlete,One Mentale coachの理念を掲げスポーツメンタルコーチの普及に力を入れております。
 

 

 

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