鈴木颯人の「最初のクライアント」の話(17 歳の日本代表)
この世界で、継続的に仕事を続けてきました。しかし、最初はクライアントさんはゼロからのスタートでした。
アスリートの望む結果をメンタル面からサポートするスポーツメンタルコーチの鈴木颯人です。
最初に選手をサポートさせてもらったのは、アイスホッケーの選手でした。
私はずっと野球をやってきて、高校時代はスポセンで入学するも控え選手にもなれなかった人間です。(メンバー外)
そんな私が起業まもない頃にお会いした彼は、U-17日本代表としてプレーする逸材でした。
アスリートだけでなく、メンタルコーチとしても実績も経験もない中で信頼してもらえたことはとても嬉しかったのを覚えています。(飛んで喜んだのが懐かしい(笑)
そんな彼とのコーチングは沢山の刺激をもらいました。彼の試合を視察したり、代表合宿中に電話をもらったり、今となってはいい思い出です。
大学生になった彼は複雑骨折で病院へ直行。お見舞いで病院に足を運んだりもしました。(雑誌を3冊くらい買ってあげたかな)
大学で競技を引退した後にも、一緒にバレーボールの試合を見にいったり、共通の知り合いがいたり、、、気付いたら結婚して子供も産まれて。
そんな彼の人生を垣間見れることに感謝しかないです。今でも遠い地で仕事とゴルフを頑張ってると思います(笑)
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スポーツメンタルコーチの仕事をしていて、1度も営業をした事がありません。
そんな私の前職は外回りの飛び込み営業職でした。頑張って、毎日のようにビルを上から下まで各階の企業さんにご訪問させて頂きました。笑
そんな経験もあってか、押し売りのようなスタイルが苦手です。
それよりは、アスリートが「この人なら大丈夫そうだ!」って思える自分になろうと努めてきました。
その一つにポエムだったり、ブログだったり、セミナーだったり、書籍だったり…
今では書籍を大手出版社さんから出させて頂きましたが、コネも才能も実績もない私はトライアスロンを頑張ってました。
「選手に信頼してもらえるためには、選手と同じくらい努力しよう!」って思ったからです。
その選択として、トライアスロン…笑 本当に若かったな俺。笑
そうでもしないと、選手は私を信頼して来ないと本気で思ってたんです。だから、必死にトレーニングをしてました。
気付いたら、毎月100km走ってました。笑 それくらいやらないとアスリートと同じ気持ちになれないって思ってました。
当時、メンタルトレーナー、メンタルコーチといったら「怪しい」と言われていた時代です。
今となっては一般化されましたけど、非科学的な話がめっちゃくちゃ多かったんです。
アメリカではだいぶ受け入れられてきたのに、日本では非科学的に扱われてしまう現状があります。今だにあるかもしれません。
私が学生だったころの大学の授業では心理学系は人気がありませんでした。今では心理系の学部にも人気が出ているようです。
時代が変わり、多くの人がメンタル面に興味と関心を持ってもらえる世の中になりました。
選手との会話は口外できるものではありません。しかし、スポーツメンタルコーチが増えた事でメンタル面の悩みを打ち明けられる環境が増えてきたのは喜ばしいなと思うこの頃です。
ただ、私が思うメンタルコーチとは、メンタルを強くする知識を伝えられる人ではないです。
今日も、セミナー後に急遽、選手と個別で時間を作る事がありました。涙を流し、苦悩を語るアスリートがいました。
アスリート人生は一瞬にして過ぎてしまいます。その後も人生が続いていきます。その長い人生を乗り越えるためにライフスキルを高めるのがメンタルトレーニングと言われたりします。
ただ、私はスキルではどうにもならない時があると考えてます。その時に寄り添える、1人の人生に寄り添っていけるスポーツメンタルコーチが増えることを願います。
協会理念
「One athlete,Oen mental coach?1人のアスリートに、1人のメンタルコーチを?」