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「スポーツ選手にとって当たり前にいるべき存在」大住有加さんにとってスポーツメンタルコーチとは

「とにかく強くなりたい」と語るのは現在柔術家の大住有加さん。実家が道場であり柔道には幼少から触れてきたものの、本格的に始めた高校生からという周りのトップ選手たちに比べるとビハインドがある中で誰よりも練習し、社会人で念願の日本一になった大住さん。日本一となり世界で戦えるレベルになるまでには様々な苦悩と困難がありました。そんな彼女が日本一になる大きな節目を支え、競技に対してのマインドセットを変えてくれたのがスポーツメンタルコーチの存在でした。

今回は大住さんが日本一になるまでの軌跡や彼女をサポートしたスポーツメンタルコーチ鈴木颯人さんの存在、現役引退後に再度競技に復帰した理由、そして大住さん自身の活動通して伝えていきたいことなどについて様々な角度から尋ねました。

 

 

目次

  1. 「上手くなりたい、強くなりたい」という思いから好きになった柔道
  2. マインドセットを180度変えてくれたスポーツメンタルコーチとの出会い
  3. 結婚と出産を経験し、競技から離れたものの諦めきれなかった選手活動
  4. ライフステージが変わっても自分のやりたいことはできると伝えたい

 

 

「上手くなりたい、強くなりたい」という思いから好きになった柔道

-大住さんが柔道を始めたきっかけを聞かせてください。

 

実家が道場だったということもあり、3歳から柔道を始めました。しかし父親は「女の子は柔道を一生懸命やらなくていい」という方針を持っていたので、弟には厳しく指導していた一方で私には強要してきませんでした。そんな感じだったので遊びながらやっていましたし、小学生の時には何度か大会も出ましたがそこまで勝てず、中学校ではソフトボール部に入っていたので本格的に柔道を始めたのは高校入学以降でした。

 

それまで柔道は好きでも嫌いでもない状態だったので、高校の柔道部の先生に誘われて「じゃあやってみよう」くらいの感覚で再度柔道を始めたのですが、この高校3年間で柔道が本当に好きになったんです。うちの柔道部は私が2年生になった時には部員が男子だけで女子は私一人という状態でした。そんな環境で私も最初は弱かったのですが練習していくうちにどんどん男子に勝てるようになり、3年生の時には女子にもかかわらずキャプテンを務めるくらいになりました。男子に勝てたからということもありますが、すごい柔道が楽しくてのめり込んだ3年間でした。

 

ただその高校が進学校だったこともあり、3年生になると大学受験ムードになりましたが私は「一日中勉強するくらいなら、一日中柔道をしていたい」と思うようになりました。元々は体育教員になりたかったので国立の教育系の大学を狙っていましたが、そう強く思うようになってからは周りの人全員の反対を押し切り、柔道に力を入れている環太平洋大学へ進学しました。

 

しかし、徳島の田舎の高校から東京の大学へ進学したこともあって、実際柔道も最初の頃は大学の部内で一番弱かったです。でも周りの反対の言葉に聞く耳を持たず、自分のエゴでこの大学へ来たので、4年間めちゃくちゃ頑張ろうと心に決めて、苦しかったですが必死に柔道へ打ち込みました。

 

 

-それから大学で全国大会入賞を収められたんですよね?

 

はい。でもその道のりはなかなか厳しいものでした。私は当時、部内で一番弱かったので誰よりも練習しようと決めて、チーム練習でも合宿でもとにかく1番を目指して練習したという自負があります。ただそれだけ練習していても大学4年生まで全国大会に出場することすらできず、何の結果も残せていませんでした。一方でその時には学業の方で教員免許を取れていたので、大学卒業後はもう柔道を辞めて地元に帰って体育教員になろうと思っていました。

 

 

そう思っていた時に当時総監督を務められていたオリンピック金メダリストの(故)古賀稔彦先生が私の可能性を見出して「お前、もう少し柔道続けろ」と言って実業団も探してきてくれました。そんなこんなで実業団へ進むことが決まり、その後に迎えた全国大会でベスト8まで残って全日本強化選手に選ばれたんです。

 

こういった形で大学4年生の最後になって急に結果が出ました。もちろんこのタイミングで良い結果に繋がったのはたまたまでしたが、大学1年生の頃に成長曲線の話を聞いてからは自分がいつか強くなれることを信じて、3年間結果が出なくてもポジティブに誰よりも練習していたので遅かれ早かれ結果に繋がる自信もありました。ただ実際いつ結果が出るか分からない中で、自分の可能性を見越して実業団を見つけてくれて柔道を続けるように背中を押してくれた古賀先生に心から感謝しています。

 

-そんな厳しい状況を乗り越えた大住さんの強さはどこからきていると思いますか?

 

自分に何が足りないかを明確にできて、それに対してしっかり取り組めるところだと思います。大学生の頃、柔道が弱かったのは単純に練習量が足りないのが原因だったので、とにかく人一倍練習するようにしていました。でも社会人になってからは自分の強くしたい技術を伸ばすためにその技が強い先生に教えを乞いに行ったり、フィジカル面で劣ってると感じたので有名なフィジカルトレーナーに自らアポを取って会いに行ったり、またメンタル面の課題も解決する必要があるなと思って調べたことが鈴木颯人さんに出会うきっかけでした。

 

そういう意味では、その時々の課題を自分で理解して、克服できる手段を得るために自ら行動できることが強みだと思っています。普通の人は課題に直面したときに一人で悩んでしまうことが多いと思いますが、私はポジティブでフットワークが軽いので、そういう時はその解決策を知っている専門家にすぐ頼りにいけるところも自分を成長させる上で活かされている要素だと感じています。

 

-そういう風に自分の課題を理解できた経験が社会人になってあったのでしょうか?

 

はい。実業団1年目で出た全国大会では2位だったので結果としてはそこまで悪くは無かったんですが、1位の選手と比べた時に自分に足りないものがたくさん見えてきたんです。もちろん大学から実業団へステージが変わったこともあるかと思いますが、相手に勝つには「心・技・体」の3つの要素の全てにおいてパーフェクトな自分にならないといけないと思ったときに、各分野のスペシャリストである3名を揃えてサポートしてもらいながら練習に取り組むことにしました。実際に自分が日々成長しているのは感じていたので、あと必要なサポートさえ受けられれば勝てる自信もありました。

マインドセットを180度変えてくれたスポーツメンタルコーチとの出会い

-鈴木颯人さんのスポーツメンタルコーチングを受けたきっかけを聞かせてください。

 

今から10年前、実業団3年目だった2014年1月の目標設定セミナーに参加したことがきっかけでした。当時はまだ颯人さんもスポーツメンタルコーチ自体も今ほど知名度が無かった頃でしたが、自分の中でメンタルをどうにかしたいと思っていた時にツイッターを通じてたまたま颯人さんを見つけて、直感的にこの人からサポートしてもらいたいと思ったのでまずセミナーに参加しました。

 

-颯人さんのスポーツメンタルコーチングを受けた理由を教えてください。

 

自分のメンタルの悩みである「実力はあるのに大事なところで勝てない」という部分を解決してくれる人だなと思ったので受けました。当時はいまいちコーチングが何かは分かっていなかったのですが、この人なら私のメンタルをサポートしてくれると確信したのでお願いすることにしました。

 

それからは3ヶ月後の全日本選抜という実業団選手にとって日本で一番大きい試合で圧倒的に優勝することを目標に取り組みました。まずは圧倒的に優勝するために必要なメンタルを持つため、イメージトレーニングを毎日したり、対戦相手に勝つ理由を書き出したり、自分の中に持っていた変な思い込みをコーチングで紐解いたり色々なことを行ってきました。大会まで3ヶ月というタイムリミットがあったので2週間に1回くらいのペースで会って集中的に自分の考え方を変えてもらいました。

 

-実際に颯人さんのスポーツメンタルコーチングを受けてみていかがでしたか?

 

パフォーマンスの変化で言うと自分がイメージした通りの技が試合でできるようになったことが何回かあって、自分の思った通りの動きが再現できた時はすごく嬉しかったですし、それから練習がさらに楽しくなりました。

 

また実際の全日本選抜の決勝の時も、序盤は負けていて最後の残り1分のところで逆転優勝したのですが、最初劣勢だったにも関わらず一切負ける気がしなかったですし、とても冷静な状態で戦えていたんです。こういったメンタルの状態で試合ができることは颯人さんに出会う前の自分だったらありえなかったので、スポーツメンタルコーチングを受けたことでマインドが変わっていったことを結果を含めて実感することができました。

 

-それから自身のメンタルの整え方で意識していることがあれば聞かせてください。

 

ずっと続けていたのは「その人に勝てる理由を書き出す」ということで、その理由を見返すことが自分の自信になっていましたし、自分に何ができるかを理解できるようになりました。そういうマインドセットでいられたので、あとは試合で自分ができることを試すだけという循環になっていて、もちろんそれで結果が出る時と出ない時とどっちもありましたが、毎試合同じ気持ちで挑めていたのでメンタル的には安定していました。

 

-ちなみにスポーツメンタルコーチングを受けてから競技への取り組み方は変わりましたか?

 

物事の見方が180度変わったと思っています。コーチングを受けた後、試合は自分にできることをそのまま出して試す場所という考え方になりましたが、それまでは試合で「結果出なかったらどうしよう。負けたらどうしよう。負けたら恥ずかしい。」という気持ちが先行してしまい、緊張して自信を無くしできることもできない状態でした。

 

でもスポーツメンタルコーチングを受けてからは不安から来るような緊張はなくなりましたし、それは今でも同じでどんな大会に出ても緊張しないです。全く緊張しなくなったのは一番大きな変化かもしれません。

 

-その後の競技成績はいかがでしたか?

 

日本一を取ることができたので次はオリンピックを目指して目標設定したのですが、結果的にオリンピックには出場できなかったですし、なかなか海外選手に勝つことができませんでした。それからは外国人選手への苦手意識を克服するためにコーチングを受けてかなりメンタル面では良くなったのですが、それでも勝ち切ることができなくて国際大会で負けたり、国内でも勝ったり負けたりと安定した結果は残せていませんでした。でもその時の課題はもはやメンタルではなかったと思います。


 

結婚と出産を経験し競技から一度離れたものの諦めきれなかった

-結婚/出産、コーチ業を経て再度世界チャンピオンを目指した理由を聞かせてください。

 

30歳まで現役を続けた後、同じ実業団で4年間コーチを務めたのですがその間に結婚と出産を経験しました。コーチを辞めた理由としては、自分はまだ選手として強くなれる自信があったので競技に再挑戦したいと思ったからです。当時30歳で競技を一度辞めた時も自分の限界を感じて辞めたわけではなく、実業団で決められた基準を超えることができなかったことで仕方なくコーチになったような感じだったので、まだ競技を続けたいという思いはずっとありました。

 

そしてコーチとして活動していく中でも競技に対する思いがずっと残ったままだったので、子どもが1歳になって自分の身体も十分に動けるようになってきたコーチ4年目を節目に、もう一度自分のやりたいことに挑戦したいと思い、競技へ戻ってくる決断をしました。最初はまた柔道の試合に出ようと思ったのですが、同じ試合に選手とコーチが出るのは、自分がコーチしないといけない時に試合が被ってしまったらいけないからやめてと実業団から言われてしまったのでまず趣味で柔術を始めることにしました。

 

でも実際に柔術を始めると趣味の範疇で収まらなくなってしまったので、競技者として活動するために実業団の会社を退職しました。自分自身生涯現役でいたいんだと思いますし、その思いや雰囲気みたいなものは自分の周りにいる人も感じるくらいで、コーチとして指導していた後輩たちからも「先輩まだ(競技を)やりたいんでしょ?」って言われるほどでした(笑)

 

-その後柔術の方はどういう活動をされているのでしょうか。

 

柔術の方は平日に毎日練習があって、それ以外は子どもたちに柔道や柔術を教える仕事をするような生活をしています。試合の方では去年初めて世界選手権に出場してカテゴリー別になるのですが、紫帯での世界チャンピオンになりました。今は茶帯なので今年は茶帯の世界選手権で優勝したいと思い練習に励んでいます。

 

また今まで柔術では一度負けたことなかったのですが、茶帯になってこの前初めて国内大会で負けたので、ようやく自分より強い相手に挑戦できる環境に戻ってこられたなと感じて、さらに柔術がおもしろくなってきました。

 

-大住さんの競技に対する原動力を聞かせてください。

 

とにかく強くなりたいという気持ちがずっと続いていると感じていて、純粋に今の自分より強くなることを追い続ける欲求が原動力になっていると思います。また柔術に関して言えば、柔道をしていた時から寝技が好きでしたし、柔術はもっと寝技に特化した競技なので、自分のまだ知らない技術やできるようになりたい技術をどんどん習得していけることも楽しいのでそれも原動力の一部かなと思います。

 

あと少し変わっているのですが、マンガでも刃牙(バキ)が好きだったりと、主人公がどんどん強くなっていく内容のものに昔からワクワクしていましたし、最強になることへの憧れはあったと思います。そんなところから自分が実際に競技を通じて強くなっているの感じ始めた時に、マンガの主人公に照らし合わすようになりました。私もどんどん目の前に立ちはがる強敵を倒して成長していきたいですしもっと強さを追い求めていきたいです。

 

ライフステージが変わっても自分のやりたいことはできると伝えていきたい

-大住さんの活動を通して今後目指していることはありますか?

 

柔術選手としては黒帯のカテゴリーで世界チャンピオンになるということを最短でやりたいと思っています。それが実現できるシナリオは今年茶帯で世界チャンピオンになって、来年黒帯に上がりそのまま世界選手権で勝ってチャンピオンになることなので、それを直近の目標にしています。

 

その後もおばあちゃんになるまで試合に出続けて生涯現役でいたいと思っているのですが、その活動の中で自分の道場を持つことだったり、いろんなところで教えたりすることも自分の夢の一つです。その一方でスポーツメンタルコーチの資格を取って、メンタル面に課題を持っているアスリートをサポートできるような指導者になりたいですし、また日本を代表して世界で戦うトップアスリートのサポートできるスポーツメンタルコーチになりたいと思っています。

 

そしてこういった自分の活動を通じて、結婚や出産をしてママになったことで自分がやりたいことができなくなっている女性に対して、自分のやりたいことはできるということを伝えていきたいと思っています。これはいろんなライフイベントがある中で女性に限らず男性にも該当すると思います。私は本当に自分がやりたいことをまっすぐにやり続けることを体現していると思うので、私の姿を見て皆さんが一歩踏み出すきっかけになれば良いなと思っています。

 

-大住さんにとってスポーツメンタルコーチングとはなんですか?

 

スポーツにおいて大事なのが「心・技・体」と言われている中で、競技面の技術を教えてくれるコーチや、体力をつけるために指導してくれるフィジカルトレーナーが必要であるのと同じくらい、心にもちゃんとその専門家がアスリートに付いてサポートするべきだと思っています。そういう意味でもコーチやフィジカルトレーナーが当たり前になっているスポーツ界で同等に大事なのがスポーツメンタルコーチだと思うので、我々アスリートにとって絶対にいるべき存在だと思っていますし、そういった世の中になって欲しいと思っています。

大住有加プロフィール

スポーツメンタルコーチ

徳島県出身の柔術選手。実家が道場だったことから3歳で柔道を始めるが、父の方針から幼少時代は遊びの一環で柔道に触れるような環境だったことから、中学ではソフトボール部に入り、高校は進学校へ進学し柔道部には入ったものの女子部員は本人だけという生活を送る。しかし高校3年の夏、毎日8時間していた受験勉強が猛烈に嫌になり、「それなら8時間柔道していたい。強くなりたい。」と急に思い立ち、周りの反対を押し切り柔道を強化している環太平洋大学へ進学し、本格的に柔道を始める。大学では周りがエリート選手だらけで1番弱かったため人一倍努力し大学4年で初めて全国大会に出場し入賞。その後実業団(JR東日本)に入社すると25歳で日本一になるが、目標にしていた世界一にはなれず30歳で引退。結婚と出産を経験する一方で昨年の9月までJR東日本女子柔道部でヘッドコーチとして活動。しかし「もう一度現役をしたい。強くなりたい。」という思いは拭えず退職を決意し、退路を経って柔術に転向。柔術で世界チャンピオンを目指し昨年見事カテゴリー別で世界一に。現在は最短で黒帯での世界チャンピオンを目指すべく日々練習に励んでいる。

 

 

Interview and Edit by 畠山 大樹

 

次回のスポーツメンタルコーチ資格講座のご紹介

 

スポーツメンタルコーチ

 

スポーツメンタルコーチ資格講座は「日本スポーツメンタルコーチ協会(R)」にて発行されている資格です。One Athlete,One Mentale coachの理念を掲げスポーツメンタルコーチの普及に力を入れております。
 

 

 

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