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年齢を気にしないチャレンジで得た強さ、石川佳純選手

小学校6年生で高校生や大学生を破ったことから”愛ちゃん2世”とマスコミから注目されるようになった石川佳純選手。リオデジャネイロで行われたオリンピックではその福原愛選手、伊藤美誠選手と共に卓球女子団体で銅メダルを獲得し、日本中に感動を与えました。世界ランキングで最高3位に入った日本卓球界の宝とも言える選手です。今回は、石川佳純選手についてお話します。

目次

  • ”歴史的快挙を達成”した石川佳純選手

  • 若手に負けないのは”チャレンジできるメンタル”

  • ”年齢を気にしない向上心”

”歴史的快挙を達成”した石川佳純選手

山口県出身の石川佳純選手。両親とも卓球選手で、福岡大学の卓球部でした。父はニッタクラブ、母は結婚するまで日産自動車で活躍した選手でした。父の転勤を機に福岡から山口に移住。母は石川佳純選手を出産後、選手として復帰し山口代表の国体選手にまでなった実力の持ち主でした。

 

そんな夫婦のもとに生まれた石川佳純選手が、卓球を始めたのは小学校1年生の時。近所で行われていた卓球クラブの練習に参加したのがきっかけで、この時は遊び半分で始めたのだそうです。7歳の誕生日に両親からユニフォームをプレゼントされたことで本格的に卓球を始める気持ちになったという石川佳純選手。

 

元国体選手である母の指導を受け始めると、全日本選手権小学校2年生以下のバンビの部で山口県予選2位通過を果たすほどの選手に急成長しました。本戦でもベスト64に入り、本格的な練習後わずか3ヶ月足らずで飾った鮮烈な全国デビュー。この娘の才能を確信した両親は、自宅に卓球場を作ったのでした。

 

母が指導していた”山口ジュニアクラブ”で練習する平日、そして土日は、毎週のように各地で行われる大会に参加。休むことなく卓球に向き合い、大人を相手に経験を積む日々を送りました。その成果が現れ、小学校6年生で出場した全日本卓球選手権シングルスでは、高校生と大学生を次々に破り3回戦まで進み”愛ちゃん2世”と称された石川佳純選手。

 

中学は、大阪の四天王寺羽曳丘中学に進学します。福原愛選手も在籍したミキハウスJSC卓球部に所属。親元を離れ、チームメイトとの寮生活を始めました。中学2年生の時には、全日本卓球選手権で高校生を破りベスト8入り。13歳11ヶ月でのベスト8進出は、福原愛選手の13歳1ヶ月に次ぐ史上2位となる年少記録を作りました。

 

さらに準決勝でも社会人選手を破り、史上最年少でのベスト4入りを果たした石川佳純選手。”愛ちゃん2世”と言われ続けてきた少女は、愛ちゃん超えを果たしたのでした。史上最年少で世界選手権ダブルスの代表選手の座を掴みます。中学3年生の時にも全日本選手権シングルスで2年連続のベスト4入りを果たし、世界選手権の団体メンバーにも選ばれました。

 

高校は、四天王寺高校に進学した石川佳純選手。全国高校総体卓球シングルスでは、決勝で同校の先輩を破り1年生チャンピオンとなりました。57年ぶりにインターハイで優勝を飾った1年生となった石川佳純選手。1年生の間に、インターハイの他にも国体、選抜、全日本ジュニアと国内4大会で優勝を飾り完全制覇を成し遂げ、唯一無二の卓球選手として歴史的快挙を達成したのでした。

 

若手に負けないのは”チャレンジできるメンタル”

高校3年生の時に、全日本卓球選手権シングルスで初優勝を果たした石川佳純選手。19歳の時には、全日本卓球選手権シングルス、ダブルス、混合ダブルスで優勝し、54年ぶりとなる三冠達成を果たしました。普段は冷静沈着だという性格ですが、試合が始まると感情むき出しのリーダータイプだそうです。

 

リオデジャネイロオリンピックでは、福原愛選手の試合中にベンチから熱い応援をした結果、アドバイスとみなされ退場させられてしまった経験もあります。とにかく負けず嫌いであることは石川佳純選手の試合を一度でも見れば伝わってきます。しかし、平野美宇選手や伊藤美誠選手などの若手の活躍が目立つようになるとベテランと言われるようになった石川佳純選手。

 

ミスが少ない安定したスタイルを貫いてきました彼女でしたが、早いタイミングでの打ち返しでスピードある攻撃性のスタイルの若い選手とのプレーの違いに結果が出せずにいた時期がありました。「若い選手にはもう勝てない。卓球が古い」と言われ”もうダメなのかな”と自信を失った時期もあったそうです。

 

心が折れかけた時に奮い立たされたのは、コーチや家族の言葉でした。「もっとできるんだから自分の可能性を信じてやったらいい」という言葉を聞き”自分で自分を信じなきゃダメだよな”とすごく前向きになれたそうです。「年齢は若くても磁術やメンタルがすごく充実している選手がたくさんいる。自分自身もレベルアップしないとそのなかで勝つのは難しい」と実感したと話し、自分自身を冷静に見つめることができました。若い選手たちの存在こそが自身を見つめ直すキッカケとなったのです。

 

そして勝つために決意したのが、攻撃的なプレープレースタイルの変更。特にサーブやレシーブを強化しミスを恐れず、早い段階から攻める意識を持つようにしました。このチャレンジが身を結び、若手選手に逆転優勝した石川佳純選手。5年ぶりに全日本卓球選手権で女王へ返り咲いたのでした。

 

年齢を気にしない向上心

プレースタイルを変えてまで勝つために、進化を遂げてきた石川佳純選手。これまで積み重ねてきたもの(フォーム)を変えるのは、とても勇気が必要な行動です。試合に出続けながらフォームを変えることは、精神的にも肉体的にもさらに大変なことです。両親から譲り受けた卓球の天才的な才能を持つ石川佳純選手。

 

年齢を重ねてもここまで成長できるのは、向上心を常に持ち続けるメンタルの強さを持っているからです。「年齢のことは気にしていませんが、私より年上の選手が活躍していると元気、勇気をもらったりすることがあります」と話す石川佳純選手。年上になると経験だけでプレーしてしまうことも出てくるものですが、技術面やフィジカル面で”自分も頑張ればもっとやれる、まだまだやれる”と強くなろうとする気持ちになるのだそうです。

 

勝つためにチャレンジする姿勢は、若い選手はもちろん、同世代や年上の選手にとっても良い刺激を与えることは間違いありません。これまで培ってきた経験に新たなチャレンジで得たものを組み合わせることで心技体を身につけてきた石川佳純選手。若い時は、何事にもガムシャラで周りや自分自身も見つめる余裕がない選手も多いです。しかし、ベテランとして多くの経験を積んできた今だからこそ、自分自身を冷静に見つめることができます。

 

さらに石川佳純選手の”年齢を気にしない向上心”こそがベテラン選手となった今でも若手に負けず、女王として君臨できる要因です。ブレることなく”今やるべきことや目標をしっかり持てる”今が選手として一番充実感を感じることもできる年齢でもあるのです。

 

今回は、石川佳純選手についてお話しました。天性の才能を持ち、歴史的快挙を達成してきました。強いメンタルや常に高みを目指す向上心、そして心技体が円熟したことで唯一無二の存在となったのです。どの種目の一流スポーツ選手にとって必要な要素を持つ石川佳純選手。「強くなろうという気持ちが自分をより強く成長させてくれる。自分自身のためだけではなく、支えてくれたたくさんの人のためにプレーする」と話しました。今後も強くなるために大きな目標にチャレンジしていく姿を応援しております。

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【このコラムの著者】

プロスポーツメンタルコーチ/一般社団法人日本スポーツメンタルコーチ協会
代表理事 鈴木颯人

プロ野球選手、オリンピック選手などのトップアスリートだけでなく、アマチュア競技のアスリートのメンタル面もサポート。全日本優勝、世界大会優勝など圧倒的な結果を生み出すメンタルコーチングを提供中。

【プロフィール】フィリピン人の母と日本人の父との間に生まれました。生まれた国はイギリス。当時から国際色豊かな環境で育って来ました。1歳になる頃には、日本に移住しました・・・。>>続きはこちらから

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