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『オリンピックも人生の1ページ』小平奈緒選手

待ちに待った日本の金メダル第1号の知らせが届きました。スキージャンプの小林陵侑選手選手です。1998年、長野オリンピックの船木和喜選手以来、スキージャンプでの個人金メダルは、24年ぶり3人目となりました。話題が尽きない北京オリンピックが、これからもますます楽しみですね。今回スポットを当ててお話しするのは、スピードスケートの小平奈緒選手です。

 

2018年、31歳で出場した平昌オリンピック、500mの種目では、見事優勝し、インタビューでは『全てが報われた』と話しました。金メダルを獲得した最年長選手となります。1000mの種目でも、銀メダルを獲得しました。今回の北京オリンピックで4度目です。「体力的な衰えは感じていない」と意気込んでいる小平奈緒選手に、2大会連続の金メダルを期待してしまいますね!

 

目次

  • 人間性も金メダル級!小平奈緒選手

  • メンタルに繋がるのは「全力で駆け抜ける」こと

  • 何気ないアドバイスも最速へのヒント

  • 2連覇を狙う北京オリンピック

 

人間性も金メダル級!小平奈緒選手

2018年、31歳で挑んだ平昌オリンピックで金メダルを獲得した小平奈緒選手。しかし世界の賞賛を得たのは、レース後の神対応でした。金メダル獲得後、全てから解放され、泣き崩れる2位の李相花(イ・サンファ)選手に歩み寄り、韓国語で「たくさんのプレッシャーの中で、よくがんばったね。サンファ選手のことを尊敬している」と励ましたのです。その後、2人でウィニングランする姿は、『同じチームの選手が金、銀を獲得したかのよう』と歓声が湧きあがりました。

 

各国から『小平は、人間性も金メダル級だ』と賞賛を受けます。李相花選手も小平奈緒選手が、韓国旗を手に取ってくれ2人が検討を讃える写真をSNSにアップし韓日戦に感動したと韓国内でも話題になりました。優勝後のインタビューに応じた小平奈緒選手は、過去にソウルで行われたワールドカップのことを話しました。

 

李相花選手を初めて破り、優勝を決めた大会のことです。帰路を急ぐ小平奈緒選手のために、タクシーを手配し、空港までの料金も払ってくれたとのエピソード。『悔しいはずなのに助けてくれた。人としても選手としても尊敬できる」と話しました。一方、李相花選手も『悔しかったはずなのにと言うけれど、奈緒に負けて気を悪くしたことはない』と話しました。2010年のバンクーバー、2014年のソチと2大会連続で金メダルを獲得している李相花選手の人間性もまた素晴らしいです。韓国メディアも『二人の友情は、アイスリンクも溶けるほどだ』と伝えています。

 

メンタルに繋がるのは『全力で駆け抜ける」こと

2014年、メダルに手が届かなかったソチオリンピック。その直後2年間、スピードスケート王国オランダに拠点を移します。その留学により、オランダ語でのインタビューも受け答えもできるようになりました。一番変わったものが、メダリストがたくさんいる中でもまれてきた経験による「メンタリティー」だそうです。

 

その反面、慣れない環境による体力低下による不安も抱え、拠点を日本に戻すとまず取り組んだのは、フィジカルを戻すことでした。真剣に自分の体と向き合い、準備ができた中で迎えたシーズンは「目の前のものに集中したら勝ちを重ねているシーズンになった」と話しました。そして、カナダで行われたスプリント選手権で、日本人女子前人未到の36秒台を記録し「平昌で最も金メダルに近い存在」と呼ばれるようになりました。

 

「ソチまでに積み重ねたもの、オランダで見たことの両方」が躍進したと話します。そんな小平奈緒選手は、自らの性格を「用意された環境を歩くのがあまり好きではない」とも話します。「自分の人生一度きりなので、どうせやるなら自分の一番良いと思う環境でやりたい」「自分で選んでるから自分に自信を持てる、自分の責任だと思えば失敗も成功も受け入れられるっていう覚悟が決まっている」「本当に自分のためにスケートっていう競技を楽しめているから緊張しない、人のためだと失敗したらどうしようとなりそう。

 

私の人生だしここで失敗しても精一杯やればいいんだと思うと緊張しなくなった。」と自分自身が図太くなったのはオランダに行った経験からだと言います。「失敗も成功も自分の人生だからオリンピックで味わった悔しさも、手にした栄光も、自分で選んできた道にあったもの」「自分という物差しの上に自分を持って行きたい」「この上昇気流の延長上にオリンピックがあればいい」「人生の中の1ページ、自分の人生を全力で駆け抜ける」と自信を見せました。だから小平奈緒選手は、強いのですね!

 

何気ないアドバイスも最速へのヒント

「日本人史上最も早い氷上のスプリンター」と称される小平奈緒選手。オフの過ごし方を聞かれると、「次のシーズンの練習で使える道具を見る」と話しました。メダルを取れなかった2014年、ソチの直後、進化しようと取り入れた道具は、一本刃の下駄です。

 

「相手がいてもいなくても、ただ自分の滑りをするだけ」と自分自身に向き合う集中を古武術から取り入れた小平奈緒選手。集中力だけではなく、氷を押す感覚と同じようなポジションをとれる特別な下駄です。重心の位置を意識しながらトレーニングに取り入れます。古武術から学んだ、かかとで押すとより大きなパワーが出ることを着氷でも体感できるようになり、前にあったフォームの重心も後ろに変わってきました。

 

1998年、長野オリンピックで金メダルを獲得した清水宏保選手は、小学校の頃から小平奈緒選手の憧れです。スピードスケート界の歴史を変えた男、清水宏保選手の背中を追いかけ憧れた気持ちが強いために、彼にだけは、直接サインをもらえなかったと話します。そして憧れから、いつしか逆にリスペクトしていると言ってもらえるほどになりました。

 

そんな大先輩からもらったアドバイスも小平奈緒選手は、もちろん取り入れています。「指先への意識」で、レース前に指先をふるような仕草がこれだそうです。元々足から来る力はあって、どこかで妨げられている部分があり、足から頭まで通り切っていないところがあったのが、指先までしなやかに使いきれるようになったそうです。

 

一般の人にわかるように例えると、「電波が悪い、血流が滞っている感じ。」と話した小平奈緒選手。何気ないアドバイスも最速へのヒント。その貪欲さが覚醒に繋がったのですね!

 

2連覇を狙う北京オリンピック

2014年のソチでは、メダルに手が届かず「悔しいけど自分の実力かな」と気持ちを話した小平奈緒選手。2018年の平昌では、36秒94のオリンピック新記録で見事に金メダル。

 

走り終えた後、口元に指を当て「静かにして欲しい」と盛り上がり歓声をあげるファンへ呼びかけました。実はこれは、小平奈緒選手が自身の滑走後にいつもやるジェスチャーだそうです。「フェアに戦うためにまだ喜びは爆発させてはいけない」そして後に滑る選手が「スタートに集中できるように」との気遣いです。

 

この大会では、共に一生懸命オリンピックに向けて走ってきた李相花選手も控えていたのです。彼女は特に国から「3連覇」を期待されていて物凄い重圧だったでしょう。「これが本当に終わりだと思ったら涙が出てきた」と話していました。この時にはすでに、引退を決めていたのかもしれませんね。

 

小平奈緒選手も「私が本当にダメだった時に私の元に来て一緒に泣いてくれた」と小平奈緒選手は話しました。オリンピックを通じて深まった友情の絆。一足先、2019年に現役を引退した李相花選手は「まるで私が滑って、私が準備しているような気分。奈緒の滑りを見たら涙が出ると思う。

 

私は彼女がどんな気持ちで臨んでいるかが分かるし、彼女がここまでどれだけ努力をしてきたかを知っている。きっと私も滑っている気持ちになる」と話しました。本当に素敵な友情です。

 

35歳で挑む北京オリンピック、小平奈緒選手の重圧は、計り知れないものでしょう。しかしメンタル面でも強くなり、人間性も素晴らしく、かつての戦友の気持ちも背負う小平奈緒選手。何より自分自身のために2連覇を達成してもらいたいですね!

【このコラムの著者】

プロスポーツメンタルコーチ/一般社団法人日本スポーツメンタルコーチ協会
代表理事 鈴木颯人
プロ野球選手、オリンピック選手などのトップアスリートだけでなく、アマチュア競技のアスリートのメンタル面もサポート。全日本優勝、世界大会優勝など圧倒的な結果を生み出すメンタルコーチングを提供中。
【プロフィール】フィリピン人の母と日本人の父との間に生まれました。生まれた国はイギリス。当時から国際色豊かな環境で育って来ました。1歳になる頃には、日本に移住しました・・・。>>続きはこちらから

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