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常に挑み続ける平野歩夢!不屈のメンタル!

北京オリンピックにて、フリースタイルスキー、男子モーグルの堀島行真選手が銅メダルを獲得。日本人として今大会初メダルです。先日スポットを当ててお話しした高梨沙羅選手は、メダルにあと一歩届かず4位。まだ残っている、団体の種目に期待がかかります。今回スポットを当ててお話しするのは、スノーボード男子ハーフパイプの平野歩夢選手です。

 

23歳で挑む3度目の北京オリンピック。去年、夏の東京オリンピックにも出場しました。夏のスケートボード、冬のスノーボードと、夏冬オリンピックに出場した日本史上5人目となる2刀流選手として話題となりました。今回は、初出場の切符を手にした弟の海祝(かいしゅう)選手と兄弟で掴んだ念願のオリンピック。見事、金メダルを歩夢さんは獲得されました!

目次

  • 2度輝いた銀メダル!10代の平野歩夢

  • 2刀流への挑戦

  • 惜しみない家族の愛情がメンタル

  • 弟と挑む貴重な北京オリンピック

 

2度輝いた銀メダル!10代の平野歩夢

スケートパークを運営する両親のもとで育った3兄弟。その次男が平野歩夢選手です。幼少期から地元でも有名だった活発な性格。4歳の時、3つ上の兄の影響でスケートボードを始め、その後スノーボードも始めます。練習を重ね徐々開花させていく才能。小学校4年生になると、大手のスノボメーカーのBURTON(バートン)と専属契約をかわします。

 

海外の大会にも出場し2011年、2012年の全米オープン『ジュニアジャム』では連覇を成し遂げます。15歳で出場した2013年スノボワールドカップにて優勝。2014年には、自身初のソチオリンピックに出場します。大技を決めての完璧演技は中学生とは思えぬほど。当時、日本史上最年少メダリストとして準優勝しました。

 

表彰台では「やってきたことを全て出し切れた。楽しかったしいい経験になった」と話した平野歩夢選手。世界最高峰のアクションスポーツゲームの祭典と言われるXGAMESで悲願の初優勝を果たします。2018年、19歳で2度目の平昌オリンピックに出場。素晴らしい演技を披露するもレジェンドと称されるショーン・ホワイトに惜しくも敗れますが、10代にして2大会連続の銀メダルは見事でした。

 

2刀流への挑戦

スケートボードも2020年のオリンピック競技に追加されることが決まりました。「なったからにはスルーするわけには行かない」と夏の東京オリンピックにも出る意欲を示した平野歩夢選手。しかしコロナの影響で1年延期になってしまいます。

 

練習スケジュールがズレて厳しい中、国際大会で日本人トップとして切符を掴み、22歳で挑んだ東京オリンピック。結果は8位で予選落ちとなりましたが、体を1回転半させる540(ファイブフォーティー)を見事成功させ、日本史上5人目となる夏冬オリンピックに出場しました。「楽しく自分の滑りができ、悔いなく終われた」と話す平野歩夢選手。

 

東京オリンピック後のSNSのコメントでは「最近こんなことを思う。人はいろんな負荷がかかればかかるほど逆に、身軽になるんじゃないかって」と投稿した平野歩夢選手。そして2刀流について聞かれたインタビューでは「やり始めることってすごく簡単なことじゃないと思う、何事も。

 

けどやり始めない限りはなかなか自分もかわらないと思うし、こうなってみたいと思う瞬間って経験したことあると思うんですけど、そこには年齢、時間は、あんまり関係ないと思うし、みんな挑戦した先の景色を見て欲しいなって気持ちがあります、もっと怖がらずに地道にやってもらいたいって気持ちがありますね。」と話した言葉は、これから何かに挑戦する人、今を悩む人の背中を押してくれるようです。

 

惜しみない家族の愛情がメンタル

平野歩夢選の父、英功(ひでのり)さんは、安定が約束された准公務員でしたが、プロサーフィファーを目指し22歳で会社をやめ、生活を工面するためサーフィンショップを開業しいろいろなところを回っていたそうです。

 

そんな中、誕生した3兄弟。スケートボード姿を見ているうちに「いつしか息子たちを全力で応援するように」なったそうです。そして800万円を借金し、日本海スケートパークを作ります。スケートパークの運営だけでは生活できず、夜は運転手や居酒屋のバイトをして息子たちの夢を叶えるために必死で働きます。

 

平野3兄弟は、同時にスノーボードも始めます。息子たちのビデオを撮る時も、自分のリフト代を浮かせるため、英功さんは、一人歩いて雪山に登っていたそうです。そんなハングリーな父を見て育った平野歩夢選手は、中学校から結果を出しスノボメーカーの大手会社『BURTON』と専属契約を結び、海外でも活躍し始めます。

 

「頑張れ」という言葉は、小さい時からかけたことはなかったという英功さん。なぜなら『言われなくてもわかってる』と息子に言われそうだからと話しました。生活費や環境を整えてきた父、食事や生活をサポートした母、共に幼い頃からスケボ、スノボの練習をし切磋琢磨してきた兄、弟の存在。家族全員からの愛情が、平野歩夢選手のメンタルの秘訣なのでしょう。

 

弟と挑む貴重な北京オリンピック

兄弟が日本で練習するのは、新潟佐渡島のジャンプ台です。あまりにも遠い兄の背中を追い『兄はヒーロー、一緒に滑っていないと怖い』と話す弟の海祝(かいしゅう)選手。平野歩夢選手も『1番、長い間お互いを見ている、兄弟でありチームメイト』といつも背中を見せてきました。もちろん二人で『一緒にオリンピックに出るため』です。弟にとって、兄は仲間の一言で片付けるにはあまりにも偉大な存在です。

 

2014年、平野歩夢選手が15歳で初出場を果たしたソチオリンピック。2位で日本人最年少メダリストになった偉大な兄の姿を見た当時11歳の海祝(かいしゅう)少年もまたオリンピック選手になりたいと夢を持つようになりました。2018年、19歳で金メダル候補と言われ平昌オリンピックに挑んだ平野歩夢選手。

 

兄と同じ年でオリンピック出場は叶わなかった15歳の海祝選手も兄の2度目の銀メダルを目に焼き付けます。2021年、東京オリンピックの2ヶ月後、2人は、共に北京で戦うためにスイスに。公式戦では誰も成功させたことない大技、縦に3回転するトリプルコーク1440(フォーンティーンフォーティー)に挑戦していた平野歩夢選手。「挑戦」を人生のテーマに掲げ、怪我のリスクがある中、およそ1年掛けてようやく成功させます。

 

その平野歩夢選手をずっとそばで見てきた海祝選手は、『兄の凄さは誰よりも知っている、チャレンジ精神を見習った』と話しています。人類初公式戦でトリプルコーク1440を成功させた平野歩夢選手は『他の人がやる前に先にトライしたい気持ちがあった、自分もここまで来れると思ってなかった部分も正直ある、不思議な感じ』と話しました。

 

2022年、アルペンでも公式戦2度目となるトリプルコーク1440を成功させた平野歩夢選手。兄が北京オリンピック出場を決める中、弟は厳しい状況でしたが、ノーミスの自己最高4位に入ります。『弟もいいチャンスをポイントを掴めたかな?一生にでられる形が近づけばと期待」と話した平野歩夢選手。

 

2人とも見事に代表へ決定し、ソチから8年でついに叶った兄弟の夢です。「なかなか出られる舞台じゃない貴重なとこでの兄弟の出場は1回は経験したかったのですごく楽しみ」と話す平野歩夢選手。そしてオリンピック候補が軒並み出場する北京前哨戦となったXGAMESでは、弟は兄譲りの高いエアを次々ときめると会心の演技で3位、平野歩夢選手もトリプルコーク1440を成功させ、2、3位で表彰台に並びました。

 

「一緒にやってて学ぶことも沢山ある」と話した海祝選手。『弟も出てるから貴重だなと思って北京の大会前にいい経験となった」と話した平野歩夢選手。常に挑み先を行く兄、その背中を追い続ける弟。そして見事、歩夢選手が金メダルを獲得しました。

 

2回目の演技後に見せた怒り。

見事、金メダルを獲得しました。2本目の演技ではパフォーマンスに対して思った点数が出ませんでした。これには平野選手も怒りが込み上げたようで、3本目の演技後に結果で示しました。

 

表現系の競技は採点する人が人間です。不可解な判定が起きがちですが、圧倒的なパフォーマンスで乗り越えてくれました。表現系の競技はジャッジの印象をコントロールするのも1つのスキルです。自分のパフォーマンスを出すことも当然大事ですが、相手あってこその競技である事を忘れがちです。

 

いい意味でも悪い意味でも、ジャッジをコントロールできるメンタルが試されるのが表現系の競技だと思っています。では、どのようにしたらジャッジの印象を変えられるのか?その一つのヒントとして歩夢くんがインタビューで2本目についてこう語ってくれています。

 

「点数は納得いっていなかったけど、怒りが自分の中でうまく表現できたというか。そんな気持ち」

 

スポーツ心理の世界では、いい意味で吹っ切れることもが大事だと言われます。今回はそれを結果と共に示してくれたのではと思います。2本目の演技においては世界が審判に大批判してくれるほどでした。裏を返せば、誰もが認める金メダリストです。本当におめでとうと言いたいです!

平野歩夢

そんな平野くんにInstagramでフォローされています。一度、ご挨拶を兼ねてメールさせて頂きました。日本中を感動に包み込んだ平野くんといつかお会いできる事を楽しみにしております!

 

【このコラムの著者】

プロスポーツメンタルコーチ/一般社団法人日本スポーツメンタルコーチ協会
代表理事 鈴木颯人

プロ野球選手、オリンピック選手などのトップアスリートだけでなく、アマチュア競技のアスリートのメンタル面もサポート。全日本優勝、世界大会優勝など圧倒的な結果を生み出すメンタルコーチングを提供中。

【プロフィール】フィリピン人の母と日本人の父との間に生まれました。生まれた国はイギリス。当時から国際色豊かな環境で育って来ました。1歳になる頃には、日本に移住しました・・・。>>続きはこちらか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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