強い信念で掴んだ銅メダル、坂本花織選手
フィギュアスケート女子は4回転を飛べるようになったロシア勢が目立つ時代になってきました。そんな中、今回の北京オリンピックで見事に割って入って表彰台に乗ったのが坂本花織選手です。
ノーミスの見事な演技には、テレビの前で見ていた多くの人が、彼女と同じくガッツポーズをし、勇気と元気を与えてもらったのではないでしょうか。
今回は、北京オリンピックで銅メダリストを獲得した坂本花織選手にスポットを当てて彼女の家族や強さの秘密についてお話しします。
目次
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強い信念の持ち主、坂本香織選手
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コロナが逆転機となったメンタル
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坂本花織選手の今後の人生にも期待
強い信念の持ち主、坂本花織選
5人家族で3人姉妹の末っ子として生まれた坂本花織選手は、4歳でフィギュアスケートを始めます。きっかけとなったのは見ていたテレビドラマの主人公の姉が、フィギュアスケート選手だったので興味を持ったそうです。誰かがボケると神戸市出身の関西弁で鋭いツッコミをすかさず入れる坂本花織選手の”お笑いキャラ”は、今までのフィギュア選手ではレアな存在でした。
同じフィギュアスケーターである鈴木明子選手に憧れました。同じ神戸市出身で一歳年上の三原舞依選手がライバルと呼ばれました。同級生である樋口若葉選手とは仲良しだと言う坂本花織選手は、明るい性格ゆえ実に社交的です。2000年のミレニアムベビーであり、名実ともに神戸市の顔となりました。彼女の赤ちゃんの時の手形足型が、新長田駅に飾られているそうなので、近くに行くことがあれば是非見てみてください。
実は、坂本花織選手のお父様である修一さんは、ご縁があって私が実施している資格講座の卒業生なのです。元警察官であり退官後の現在は、スポーツメンタルコーチをされています。お父様と坂本花織選手を見ていると瓜二つと言いますか、本当に性格がそっくりなのです。元気いっぱい、ギャグもいっぱい、さらに”楽しいことを全力でやって行く”そういう姿勢をすごく感じます。
私が知る限りの2人は、本当に素敵な親子です。そんなお父様とも面識がある私が、個人的に感じた坂本花織選手の良いところは、”信念が通っている”ことです。彼女の強さの秘密は、”これだって決めたことに関しては、貫き通せる信念”これが強よさの秘密ではと感じています。
コロナが逆転機となったメンタル
ノービスAクラスにて優勝、初の国際大会でも2位となり、ジュニアクラスで出場したグランプリファイナルでは銅メダルを獲得した坂本花織選手。シニアクラスでも国際大会デビューのアジアフィギュア杯で優勝し、高校2年生で挑んだ2018年の平昌オリンピックでは、初出場ながら6位に入賞しました。
そして2022年の北京オリンピックでは見事な銅メダルを獲得しました。しかし、そんな彼女にも”スケートのことを考えたくない日”もあったのです。平昌オリンピック後、前年の優勝者として挑んだ全日本選手権では、6位で表彰台を逃しました。
その時の気持ちは「どうにでもなれ」だったそうです。さらに世界に目を向けるとロシアではトルソワ選手など女子でも4回転を飛べる選手達が、シニアに転向してくるのです。「もう無理やな。できるジャンプがそもそも違う」とも感じていました。しかし以外にもそんなスケートに悩んでいた時期を脱するキッカケとなったのは、コロナ禍だったのです。リンクが閉鎖されたことで、今まで当たり前のようにスケートの練習をする日常が綺麗さっぱり消えてしまいました。
最初は新鮮だったものの、それも3日で物足りなくなったようです。コロナ禍の影響は、世界でもトップ選手であるロシアの選手達にも、練習に制限がかかった状況になりました。そして、ここからは「やったもん勝ちやん」とプラスに捉えた坂本花織選手は、所属するシスメックスの陸上部選手たちと同じトレーニングを積み、それを終えると今度はその足で、ダンスの練習にも参加したのです。
体力強化や表現力、今までスケートをしていた時には見られなかった冷静さと今できる最大限のことを精一杯頑張りました。リンクが再開した後も、その気持ちはさらに止まる事なく、氷上での練習ができなかった分が溢れ出たようでした。貸切時間を終えても一般の人に混じってスピンの練習を磨いた坂本花織選手。その時に感じたのは「自分は天才じゃない」と言う言葉でした。
スポーツ選手にとってコロナ禍は、自分自身が怪我や病気もしていない状況なのに練習や遠征ができないと言う前代未聞のものとなりました。毎日の練習の積み重ねが大切な反面、自分を見つめ直したり考える時間もまた、アスリートにとっては必要なことだと坂本花織選手の話で実感できました。才能や経験、練習や努力など一流の選手にとってもちろん必要なものです。しかし、一番大切であり最もパフォーマンスに影響を与えるもの、それがメンタルであることが事実なのです。そんな時期にスポーツメンタルコーチを学んでいたお父さんの存在は勝手ながら大きかったのではと思っております。
氷上での練習にありがたさを感じ、スケートがある日常が当たり前のものではないと初めて実感した坂本花織選手は、強くなったメンタルと強化した体力、表現力を磨いたダンスと全てのもので本物の一流となれたのです。
4回転ジャンプを女子で飛べるなんて本当に夢のような素晴らしいことです。しかし、4回転やトリプルアクセルを飛べなくても他のものも磨いて素晴らしい演技ができれば、メダルが取れるのです。”周りと比べるのではなく自分自身を磨く”これが坂本花織選手。やはり私が以前感じた”これと決めたことは貫き通せる信念の強さ”がまさしく彼女の強さの秘密だったのだと改めて感じました。
坂本花織選手の今後の人生にも期待
10歳以上も年齢が離れた姉2人が水泳を習っていたため、坂本花織選手も水泳を習っていました。運動神経抜群なので”水泳センス”も素晴らしかったと思います。高校に入るとフィギュアスケート1本に絞って練習を始めた坂本花織選手に対して、姉の2人が社会人になってから金銭面で妹がフィギュアスケートを続けられるように資金援助をしていたそうです。
以前私がお話ししたネイサン・チェン選手の時にもお話ししたように、フィギュアスケートはお金がかかるスポーツです。お母様は、メディアの表舞台には出てこられませんが、練習のため神戸から大阪のスケートリンクへの送り迎えを早朝から深夜までしていました。そしてお弁当作りなど食事や生活全般で坂本花織選手を全力でサポートしてきたのです。
もちろんご本人の才能や努力は必要です。しかし、どのスポーツにおいても日常生活を支えてくれる家族、コーチやトレーナーなどの練習を支えてくれるサポートメンバー、応援してくれるファンの存在などたくさんの人の思いが選手を強くしてくれるのです。まだ22歳の坂本花織選手。今回銅メダルを獲得したことで、次の2028年ミラノオリンピックでは、さらなる活躍が期待できるかと思います。さらにはその先にもきっと、彼女にしか表現できない素晴らしい人生であると思っています。
ご縁あってたくさんのスポーツ選手との関わりを持ってきた私が、常に感じることがあります。それはどんなスポーツにおいても、”金メダル”を目標にしてほしくないと言うことです。金メダルはあくまで長い人生の通過点です。金メダルを目指すのはパフォーマンス上で自分を突き動かす手段でしかないのです。
その上で金メダルを取った後、今後どのような人生を歩きたいのか?生きていく目的をどう叶えて達成してしていきたいのか?を彼女のように金メダルを目指すアスリートには大事にしていただきたいと思っています。
【このコラムの著者】