スケートを通じて出会えた素敵なご縁、小平奈緒選手
小平奈緒選手は、女子スピードスケートの競技においてオリンピックで初めて金メダルを獲得した日本人選手です。
今回の北京オリンピックでは、表彰台に登ることはできませんでしたが、アスリートとしての素晴らしい言動、立ち居振る舞い、彼女の人柄は、国境を超えて多くの人々に感動を与えました。
今回は、小平奈緒選手にスポットを当て彼女がスピードスケートを続けることができた素敵なご縁についてお話します。
目次
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大切にしている相沢病院とのご縁
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絶望を超えたメンタル
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メダリスト達への素晴らしい配慮
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今後の小平奈緒選手への期待
大切にしている相沢病院とのご縁
長野県出身の小平奈緒選手は、全日本ジュニアを制覇した中学時代、インターハイで500mと1000mで二冠に輝いた高校時代、そして全日本ジュニアでも優勝するという学生時代には、既に素晴らしい成績を残していました。その後の進路としてインターハイで活躍した多くの選手が実業団に進みましたが、小平奈緒選手は、長野オリンピックで清水宏保選手を金メダルに導いた結城コーチに指導を受けることを希望し信州大学に進学しました。
信州大学は国立のためスポーツ推薦はなく、一般入試を受け見事合格したのです。在学中も特別な優先などを受けることなく、単位を取得し文武両道を貫いた小平奈緒選手。大学へ進んでもその勢いは衰えることなく、1年時に500m、1000mで二冠に輝きました。大学4年目になると引き続き結城コーチに指導を受けるため、地元長野で行った就職活動することに。
一度は内定が決まった小平奈緒選手でしたが、リーマンショックの影響で突然内定が取り消しになってしまったのです。海外遠征などスケートを活動する上で掛かる費用は年間約1,000万円。当時はスピードスケートの競技に、このような費用を負担してくれるようなスポンサーはいませんでした。
卒業後の就職も決まらない中、ある大会の囲み取材にて新聞記者に対し「私を雇ってくれませんか?」「自分で滑って自分で記事を書く」と懇願。結局、記者としての就職には結び付きませんでした。しかし地元長野県松本市の相澤病院が、小平奈緒選手を採用してくれたのです。小平奈緒選手が練習に専念できるように、練習場がある長野市内のマンションなど選手として活動する全てを用意してくれたのです。
これほどまでスケートに専念できる環境を整えてくれた相澤病院と小平奈緒選手のご縁は、何だったのでしょうか?大学在学中に怪我で整形外科に通いリハビリを受けていたのが、実はこの相澤病院だったのです。小平奈緒選手の人柄もあり医師や看護師とも親しく、病院内にもファンが多かったそうです。
内定取り消しになった話を結城コーチ経由で知った相澤病院の理事長が「高給優遇はできないが、大卒くらいの給料で我慢してもらえれば1人ぐらい何とか支援できる」「スケートに熱心な人が、コーチと一緒に練習したいと希望しているなら是非とも県内に残ってもらおうと言う気持ち」だったと小平奈緒選手を受け入れてくれたのでした。
絶望を超えたメンタル
平昌オリンピックで金メダルを獲得した小平奈緒選手。北京でもどんな滑りになるのか注目されていた選手の1人でした。しかし女子スピードスケート500mでは、スタートでつまづいたことで17位。1,000mでも伸びのある実力を出しきれず10位に終わりました。年明けに”絶望的な状況に陥ってしまい、大会に間に合うかどうかの瀬戸際だったそうです。
実は、1月の大雪の日に滑ってしまい右足首を捻挫していた小平奈緒選手。オリンピックの舞台まで1ヶ月を切った時期に1、2週間練習することができないと言うのはどれほど不安だったと思われます。全く滑れない状況で北京に入った小平奈緒選手。しかし小平奈緒選手は、この絶望を乗り越え出場することができました。
捻挫をした右足では踏ん張りがきかなかったため、本来とは逆の左足を後ろにして構えるスタートを試したり決して諦めませんでした。結果は、納得のいく滑りは出来ず、届かなかった2大会連続のメダル。それでも4大会連続でオリンピックに挑んだことは素晴らしいことです。
「奇跡を望んでいた部分もあったけど、オリンピックはそんなに甘い舞台ではない。最後に成し遂げることはできなかったんですけど自分なりにやり遂げることはできた。不恰好な作品になったけど乗り越える姿を見せる滑りはできたかな」と35歳で挑戦した北京オリンピックについて話した小平奈緒選手でした。
メダリストたちへの素晴らしい配慮
今回の北京オリンピックでは、悔しい思いをした小平奈緒選手。女子スピードスケート1,000mで優勝した高木美帆選手の金メダルが決まった瞬間のことです。一度は静かにその場から離れた小平奈緒選手。その後、高木美穂選手は、自然の流れで、銀メダルを獲得したオランダのユッタ・レールダム選手、銅メダルを獲得したアメリカのブリタニー・ボウ選手と共に健闘を讃え合いました。
この讃え合いを見て感動できるのもスポーツ観戦の醍醐味。それを確認した後で小平奈緒選手は、高木美帆選手に歩み寄り抱擁をかわし健闘を讃えたのでした。確かに喜びの瞬間、すぐ近くに同じ国の選手がいたら最初に抱き合ってしまいそうです。それも日本国民にとっては感動する瞬間であるのも事実です。
しかし”あの時間は、メダリストが3人で共有する特別な時間”ということを理解していた小平奈緒選手。前回の金メダリスト視点からの素晴らしい配慮をこの北京オリンピックでも見ることができました。やはり小平奈緒選手の人間性には、唯一無二の素晴らしさがあります。
今後の小平奈緒選手への期待
信州大学では文武両道を貫き通し、学位は学士、資格も中高の保健体育の教科の教員免許を取得している小平奈緒選手。自身のレースが終わると次のレースに出る選手への配慮で、静まらない観客に対し「静かに」と呼びかけるジェスチャーをすること、ライバルである李相花選手がプレッシャーから解放されて泣き崩れたところに駆け寄り「よく頑張った」と言葉を掛けかけ肩を抱いたことなど、たくさんの素晴らしいエピソードがあります。
小平奈緒選手が、今後も競技を続けるのか、指導者の道に進むのか、将来どのような選択をするか定かではありません。しかし彼女であれば、教師やスピードスケートのコーチになってもきっと素晴らしい指導者になることを期待してしまいます。
今回は、小平奈緒選手にスポットを当て彼女がスピードスケートを続けることができた素敵なご縁についてお話しました。アスリートは”自分の実力があれば上に行ける”と思われがちです。しかし、その実力を開花させていくためには必ず必要になってくるのは人とのご縁があります。この『ご縁』が人生においてどれだけ重要なのかというのを小平奈緒選手は今までのキャリアを通じて伝えてくれているような気がします。
どんなスポーツにおいても、”金メダルを目標”にしてしまうアスリートが多いのが現状です。たとえどんな大会であっても、オリンピックなら尚更金メダルを取り、1位になることは本当に難しいことです。例えそこで本人の気持ちが燃え尽きてしまっても無理もないくらいのことでしょう。
しかし、それでも金メダルはあくまで通過点です。金メダルを取った後、今後どのような人生を歩きたいのか?スポーツメンタルコーチとして選手と一緒に携わる時に大事にしている気持ちです。
ぜひ、小平さんのキャリアを通じて、現役アスリートが少しでもメダル以上の人生の目的や価値を見出してもらえたら幸いです。
小平奈緒選手に記事作成で参考にした記事
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B9%B3%E5%A5%88%E7%B7%92
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/olympics.com/ja/featured-news
https://chunen-metabo-diet.com/olympic-8/
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASL2F5HCSL2FUTQP02K.html%3Fusqp%3Dmq331AQIKAGwASCAAgM%253D
https://plus1neta.com/スポーツ/4660/
https://goetheweb.jp/person/article/20220226-nao_kodaira-2
【このコラムの著者】