”単純”の積み重ねで作る金メダリスト、ボブ・ボウマンコーチ
”68年ぶりの五輪最年少スイマー”として15歳でオリンピックの舞台にたったマイケル・フェルプス選手。10年以上にわたり金メダルの常連選手としてその名を轟かせていた一流競泳選手です。そんなマイケル・フェルプス選手の素質を見出し最高の選手に育て上げたのが、ボブ・ボウマンコーチ。今回は、ボブ・ボウマンコーチについてお話します。
目次
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ボブ・ボウマンコーチが見出した才能
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唯一無二のコーチと後に水の怪物となる少年の出会い
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成功を可能にする”プレッシャーシュミレーション”
ボブ・ボウマンコーチが見出した才能
サウスカロライナ州コロンビア生まれのボブ・ボウマンコーチ。学生時代にフロリダ州立大学で心理学を専攻して学び、卒業後にアメリカ水泳連盟のエリートシニアプログラムで選手の育成に携わりました。その後、ノース・ボルティモア・アクアティック・クラブ(NBAC)でもエリート育成プログラムの担当者として選手に寄り添ってきました。
指導した選手の43人が世界記録、50人以上がアメリカ国内の記録を更新。多くのオリンピック選手を育ててきたなかで、一番に名が挙がる最高の選手がマイケル・フェルプス選手です。”水の怪物、ボルチモアの弾丸、トビウオ、ゴーマー”などインパクトある様々なニックネームで称され、アメリカ水泳界で最も偉大なオリンピック選手といっても過言ではありません。
193センチで手を広げるとその長身よりも長い腕、水掻きに適す大きな足そして非常に柔らかな関節を持つマイケル・フェルプス選手。まさしく水泳をするために生まれたかのような恵まれた身体の持ち主です。15歳の時に初出場した2000年シドニーオリンピックで200mバタフライに出場し5位入賞。2001年に世界記録を更新し、男子競泳史上最年少となる15歳9ヶ月の若さで世界記録保持者となり世界大会で初めて金メダルを掴みました。
2004年アテネオリンピックでは、バタフライやメドレーの6種目で金メダルを獲得、2008年の北京オリンピックでは8種目、2012年ロンドンオリンピックでも4種目、2016年リオデジャネイロオリンピックでも5種目と多くの金メダルを獲得。水泳界の王者として10年以上金メダルを独占し続けた絶対的王者は「君はチャンピオンになれる」と言われた少年時代から懸命に励み、世界新記録樹立を39回も記録したのです。
唯一無二のコーチと後に水の怪物となる少年の出会い
そんなマイケル・フェルプス選手がボブ・ボウマンコーチと出会ったのは11歳の時。ノース・ボルティモア・アクアティック・クラブ(NBAC)に所属していました。性格は非常に活発ですが、アスリートと言い難いほど線が細すぎる身体つきだったマイケル・フェルプス選手。しかしボブ・ボウマンコーチは”世界一の選手になれる素質を持っている”と確信していたため、実現するために同年代の仲間から離れて18歳までのクラブのエリートグループと共にトレーニングする必要があると両親に伝えました。
両親と共に暮らしながら、母の手料理をしっかり食べ、エリートグループの中で生活を始めたマイケル・フェルプス選手。もちろん同年代の子供のように、思いっきり自由に過ごすような経験はできなかったでしょう。しかし”頑張れば世界一になれる”と息子の素質や可能性を信じた両親、そしてマイケル・フェルプス選手自身も懸命に取り組み日々を過ごしたのです。
”68年ぶりの五輪最年少の少年スイマー”を寄り添ってきたなかで多くのことを学んだというボブ・ボウマンコーチ。それは些細なことばかりだそうです。例を一つ挙げるとレースの予選と準決勝で水着の紐を結ぶことを忘れていたというマイケル・フェルプス選手自身。理由は「ビビっていたから」でした。
幸い何の影響も受けませんでしたが、地元に戻ると泳ぐ前に”水着がぬげないようにする”という単純なタスクを必ず心掛けました。4年後のアテネでは緊張はしても”ビビる”ということはなかったと言います。些細なことながら一つずつでもこの単純なタスクを実行することの積み重ねが”勝つ人と負ける人の決定的な差”を作るのです。
準備を整えることで自信が付き、格段に下げることができる”ミスをする確率”。オリンピックに出るほどの選手は、皆素晴らしい才能を持つ選手ばかりです。そんななか金メダルを取るためには、ライバルよりも良い泳ぎをすること、ミスをしないのは大前提。ベストな泳ぎをさせてあげることがコーチとしての目標なのです。
そして同時に、選手が結果を出せない理由が”気負いすぎること”だと実感したそうです。そのため気負いすぎないように、勝利を目標にするのではなくタイムを目標に練習させました。
「負けるのが嫌いだ」というマイケル・フェルプス選手。誰かに負けるのと自分に負けるのは違います。彼の言葉を”自分に負けることは許されない”と自覚させたことでタイムがよくなったのだと思われます。「目標を実現すること。それが大事なのだ」とボブ・ボウマンコーチは考え、マイケル・フェルプス選手に自信をつけさせたのでした。
この単純なタスクを設定するということは、アスリートのみならずどんな人でも活用ができます。難易度や個数は人それぞれですが、単純なものを常にパーフェクトにこなすことが何より重要です。
成功を可能にする”プレッシャーシュミレーション”
アスリートが実践で感じている凄まじいプレッシャーを想定し、シュミレーショントレーニングを行うというボブ・ボウマンコーチ。週に3から4回の頻度でわざと選手に対して不快な環境で練習をさせます。マイケル・フェルプス選手に対して行ったのは、レース前に”わざとゴーグルを踏みつける”ということでした。
重要で大きなレースではなく調整試合のレースで、プールに飛び込んで泳ぎ始めた時に初めて気づいたマイケル・フェルプス選手。もちろん割れているのでゴーグルに水は入りましたが、何の影響も受けることなく泳ぎ切りました。レース後ゴーグルを見て頭を振りながら近づいてきたそうですが、ゴーグルを踏んづけたことは一切話さず「よくやった。バッチリだ」と伝えたボブ・ボウマンコーチ。
そして北京オリンピックの本番レースを迎えました。これに勝てば10個目の金メダルという節目のレースだったため、会場にいる全員が大注目。マイケル・フェルプス選手本人も感じたプレッシャーは計り知れないほどのものだったでしょう。いざレースが始まりスタート台から飛び込んだ時でした。ゴーグルに水が入り込むアクシデントが起きたのです。そのまま泳ぎ続けるもののどんどん前が見えなくなり、他の競争相手の位置や壁がどのあたりかさえもわからなくなったそうです。
しかしこのアクシデントの影響を受けることなくレースに勝ったマイケル・フェルプス選手は、世界記録まで樹立できたのです。コーチとして自身の仕事を「アスリートが毎日、より高いパフォーマンスレベルを達成する努力をサポートすること」と話すボブ・ボウマンコーチ。11歳の頃からトレーニングを続けていた少年は、その毎日から1ヶ月、1年を懸命に積み重ねて過ごし、世界記録保持者となったのです。
もちろん水泳選手、アスリートではなくても成功を掴む人は皆「パフォーマンスプレッシャーを定期的に受けて成長している」と話すボブ・ボウマンコーチ。予想外の問題や挫折は、誰にでも立ちはだかります。しかし逆風をバネにすることで立ち直る力を身につけることができ、さらには集中力まで身につきます。このプレッシャーシュミレーションは、多くの人の成功を可能にするトレーニング方法なのです。
今回は、ボブ・ボウマンコーチそして彼が育て上げたマイケル・フェルプス選手についてお話しました。トレーニング法から伝わるのは、”勝たせたあげたい”という選手思いの強さ。この思いは今後もアスリートやコーチなど多くの人に受け継がれていくことでしょう。
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【このコラムの著者】