逆境を跳ね返すメンタルを持つ”日本のメッシ”、堂安律選手
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”17歳で飛び級昇格”した堂安律選手
兵庫県尼崎市出身の堂安律選手がサッカーを始めたのは3歳の時。8歳年上の兄、そして長野パルセイロで活躍する堂安優選手二人の兄が通っていた地元の浦風FCでサッカー人生をスタートさせました。
9歳までこのクラブでサッカーを学び、10歳の時に西宮市のサッカー強豪クラブ西宮SSに入団。小学校6年生になるとヴィッセル神戸、ガンバ大阪、セレッソ大阪、名古屋グランパスエイトのユースチームからオファーがあるほど幼ながら既にサッカー選手として評価を受けていました。
中学入学と同時にガンバ大阪のジュニアユースに入団。中学2年生の時に史上初となるU15年の全国大会で三冠達成。この活躍からガンバ大阪のトップチームに2種登録され、この年設立されたばかりのU23で公式戦初得点を記録しました。
1試合に2得点を決めるなど得点ランキングで上位に立ち、U20W杯出場でも4試合3得点の活躍でアジア年間最優秀ユース選手賞にも輝いた堂安律選手。チームでは、左右に関わらず上手くこなせる攻撃的MFとしてすぐに頭角を現し、クラブ史上2番目となる16歳344日の若さで公式戦デビューを果たしました。
同じくガンバユースの先輩である宇佐美貴史選手の記録を塗り替え、16歳11ヶ月18日でのクラブ史上最年少リーグ戦デビューを果たした堂安律選手。強いフィジカルとレフティの器用さを武器に、オランダの1部リーグ・フローニンゲンに移籍が決まり世界の舞台へ挑戦すると移籍後すぐに初得点を記録した堂安律選手。日本代表としてU16に初招集されるとAFCのU19選手権では大会MVPに輝きました。
20歳で日本A代表に招集され、キリンチャレンジカップに出場すると初ゴールを決めるなどトップチームでも活躍出来ることを証明しました。のちに”日本のメッシ”と称される選手へと成長していくのです。
”オレヲミロ”のメンタリティー
プーマとのパートナーシップで企画された高校生世代のサッカー選手向けのキャンペーンに選ばれた堂安律選手。起用する際に注目されたのは”メンタルの強さ”でした。
キャンペーンのキャッチフレーズは”オレヲミロ”。堂安律選手自身も”ピッタリ”だと感じたそうで「そういうメンタルで海外で戦っている。やはり海外に行くと優しいだけでは通用しない。一回失敗しただけで落ち込んでいるようでは、次のチャンスは回ってこない」と自身の強い思いを話しました。
人種差別とも言えるほどいろんな扱いを受けたことも明かしましたが、そんな時でも「おれが常に一番やと思ってピッチに立っている」と海外でも強いメンタルを発揮してきたことがわかります。”リツではなくスシ”と呼ばれることは、海外風のユーモアなのかもしれませんが「俺は好きじゃない。対等に扱ってほしい」と意思表示でした。
異国の地で外国人相手でも臆することない強さは、兄との生活で身についたといいます。「兄貴が厳しかったから、負けないようにずっとついていった。私生活でもしょっちゅう泣かされていた」と話しました。
そんな堂安律選手のプレースタイルは、サッカーのテクニックはもちろんドリブルでの突破力、利き足である左足からの豪快なシュートと華やかなもの。しかし何よりも秀でているのは、運動量の豊富さです。90分フルで動き続け、攻撃も守備にも絡み中心となって動くことができるスタミナの持ち主なのです。
オランダの全国紙”Algemeen Dagblad”からも「高度なスキルを持ち、とてもクオリティが高い。他の選手の斗本となるメンタリティーも持っている」と評価されました。海外でプレーする堂安律選手が譲らない思いは、向上心と共に”舐められてたまるか”という強い反骨心でした。
それこそが”オレヲミロ”というメンタリティーに繋がっています。「ボールを持てば上手いのでメンタルのところが大事」だと日本人として誇りを持ちつつメンタルを強く持つことの重要性を話したのです。
本当は勝ち気が強い性格なのにメンタルが弱いと言える点
オランダに移籍後、1年目から29試合で9得点を記録した堂安律選手。バルセロナ時代にルイス・スアレス選手が作った10代選手のクラブ記録10得点に迫り、若手版バロンドールと称される”コパ・トロフィー候補10名にもノミネートされました。メンタルが強いことで知られる堂安律選手ですが、自身では”メンタルは強くない”と自覚しているそうです。
そんな自身でも決定機に得点出来る強さの秘訣について聞かれると”勘違いすること”だと答えました。壁にぶつかった時のようなどん底の状況でさえ、W杯で点を取るイメージを思い描いていたと言います。「他人より(トレーニングを)積んできたと言い切れる。他人よりも辛い思いや苦しい経験をした」と誰よりも努力してきたと話した堂安律選手。歩んできた道のりが決して平坦ではなかったことが伝わってきます。
世界での活躍を胸にオランダの1部リーグ・フローニンゲンに移籍後、チーム歴代3位の記録を作りながらもプロ入り初となる退場処分を受けたこと。PSVアイントホーフェンでは欧州リーグに出場し、レンタル移籍したドイツ・ブンデスリーガのビーレフェルトでは年間ベストルーキー賞の候補にもノミネートされました。
PSVアイントホーフェンに復帰後にはチームの初優勝にも貢献。その後再びドイツのフライブルグに移籍とチームを渡り歩きさまざまな経験を積んできました。
しかしアジアカップ決勝での敗戦も経験したことで”自分のサッカーを見失ってしまった”こともあったそうです。「戻る気がしなかった。変な悪い状況になって一気に自信がなくなった」と勝ち気が強い性格から想像もできないようなネガティブな状況に陥った時期でした。
「そんな絶不調で先が見えないような時にもゴールする瞬間や活躍する良いイメージを想像することを忘れずにすんだ”ある意味恵まれている性格”に感謝している」と乗り切れたのは自身の性格の良さだと話しました。
「メンタルが強い人について”逆境のときに跳ね返せる人”と表現し、最初から何も恐れず立ち向かえる人はいないと言う意味で自分は(メンタル)強くない。それでも何かあって、あいつ終わったなと思われた時が本当の実力の見せ所だなと思っている」と話した堂安律選手。逆境に陥っても切り替えができる”良い意味で勘違いできる性格”は、やはり誰よりも鋼のような強いメンタルの持ち主だと言えるのです。
今回は、堂安律選手についてお話しました。世界からも評価されるメンタルの強さは、幼い頃から兄に必死にしがみついた人一倍負けず嫌いで勝ち気な性格やユース時代からプロデビューそして海外でのさまざまな経験から培ったもの。”逆境を跳ね返す”本当の意味で強いメンタルを身につけた今、どんな活躍を見せてくれるのか楽しみです。今後も堂安律選手を応援し続けていきたいと思います。
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【このコラムの著者】