”異例の飛び級”で舞い戻った天才バレーボーラー、井上愛里沙選手
目次
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中学3年間で大活躍した”バレーボール界のホープ”
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繋がれた縁のたすきで”異例の飛び級”
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一度辞めたとしても周りの一言でもでって来てもいい
中学3年間で大活躍した”バレーボール界のホープ”
京都府舞鶴市出身の井上愛里沙選手が、バレーボールを始めたのは8歳の時に友人に誘われたことがキッカケでした。小学校6年生にして身長170センチの長身。中学は、岡山県の強豪校である就実中学校で寮生活を送りました。全国大会に出場し、就実中学の3年連続となる3位入賞に貢献しました。
この3年間の功績により、中学生ながら日本バレーボール界では既にその名を知られることになった井上愛里沙選手。しかし高校進学先に選んだのは、出身地である舞鶴市の公立高校でした。彼女の才能を知る第三者から見るとつい”もったいない”と感じてしまいそうですが、中学3年間で「バレーは、中学でやり尽くした」と話しました。
小学校を卒業してすぐに親元を離れ、寮生活を送ったことや中学で十分バレーボール選手として活動できたという実感から”燃え尽き症候群”のような気持ちになったそうです。そして「寮生活で毎日練習していたら楽しかったバレーが苦しくなった」と寂しい思いをしたことも話しました。また将来”医療の道に進みたかった”という将来の仕事を考えていたことも理由の一つだったそうです。
しかし高校時代ある人物との出会いが、井上愛里沙選手にもう一度”バレーがやりたい”という熱意を復活させたのでした。進学した西舞鶴高等学校では、学校の方針で一年生は”一度必ず部活動に所属する”というルールがありました。井上愛里沙選手も一旦バレーボール部に入部しますが、夏になると退部しました。
そこに教員としてやってきたのが、新卒採用された環太平洋大学バレーボール部出身の霜尾李桃(りいど)監督でした。この運命の出会いによって再び情熱を取り戻した井上愛里沙選手は、バレーボール界に舞い戻ってきたのです。
繋がれた縁のたすきで”異例の飛び級”
実業団や強豪大学の選手のなか、世界ジュニア選手権の日本代表として唯一高校生でメンバー入りした井上愛里沙選手。全国どころか京都府下においても上位まで勝ち上がったことがない府立高校に進学しながらこのメンバーに選ばれました。
彼女にとってこの出来事が、バレーボール人生再開の大きなポイントとなりました。「才能を持った子が部活を辞めている。復活させてほしい」と託されたのは、環太平洋大学バレーボール部出身の霜尾李桃監督でした。
しかし”バレーが好きで(やっぱり)やりたい”と彼女自身が感じ戻ってきてほしいとあえて声をかけなかったそうです。霜尾李桃監督が就任したバレーボール部は、自然と活気が出て練習の雰囲気がとても良くなりました。するとバレーボール部の同級生に誘われた井上愛里沙選手は、自分の意志で”やり直したい”と戻ってきたのです。
練習に復帰し少しずつ調子を取り戻してきたもののチームは、夏の地区大会で敗退。その後、他の教員から「日本代表になれ」と声を掛けられ「無理ですよ」と即答する井上愛里沙選手の姿も見かけたそうです。霜尾李桃監督は、”自分ができることは何でもする”と決心し、何とか井上愛里沙選手を再び大舞台に戻してあげたいと知り得る限りの人脈に当たりました。
すると京都府内のバレーボール部顧問教員を通じ、西浦昭夫氏とコンタクトを取ることに成功。全国高校体育連盟の近畿ブロックの代表を務める人物です。「大柄でも球の扱いがうまく手にくっついたようなレシーブ。滞空力もあってバックアタックも良い」と高評価を受けました。井上愛里沙選手のプレーに目を奪われた西浦昭夫氏もまた「すごい子がいた」と全国高体連専門部長を務める林義治氏に話を繋ぎました。高校選抜などの代表選手に選ばれるためには、都道府県と各ブロックの強化選手で実力を認められる必要があります。
復帰再開直後で対象者のなかには当てはまらなかった井上愛里沙選手。しかし中学時代の輝かしい彼女の記憶が鮮明にあった林義治氏は「あの子が今ここにいたのか」と驚き、高体連の女子強化委員長を務める太田豊彦氏に話を繋ぎました。「特別に一度見てもらえないか」と頼んでくれたのでした。
多くの人が井上愛里沙選手という選手の存在を認めてもらいたくて話を繋ぎ、”異例の飛び級”で高校選抜の合宿に参加するチャンスを得ました。そして、有力選手が集う試合のなかで優秀選手賞を獲得し高評価を受けた井上愛里沙選手は、多くの人の思いと自らのメンタル強さで一旦は閉ざしたバレーボール人生の扉を再び開くことができたのです。
一度辞めたとしても周りの一言で戻って来てもいい
世界ジュニア選手権で日本女子を28年ぶりの銀メダルに導いた井上愛里沙選手。「バレーで人生を切り開いてみようか」という霜尾李桃監督からの提案に応じ、筑波大学に進学しました。1年生からシニアの日本代表にも初めて選ばれました。2年生で東京オリンピックの強化選手にも選出され、4年生の時に出場したユニバーシアード大会では、11年ぶりとなる銀メダル獲得に大きく貢献しました。
東日本インカレでは準優勝に貢献、最優秀選手賞を受賞しベストスコアラー賞にも輝きました。大学卒業後は、久光製薬スプリングスに入団。Vリーグ女子1部リーグでも逆転優勝に貢献し、木村沙織選手がVリーグで持っていた日本選手の最多得点記録を更新しました。
これほどの功績を残しながらも東京オリンピック出場は出場が叶わなかった井上愛里沙選手。落選により”自分はやりきった”と引退する気持ちだったそうです。しかし、日本代表監督である眞鍋政義監督から激励された井上愛里沙選手は、現役引退どころか海外移籍を電撃発表。フランスリーグのサン・ラファエルに加入しました。
心を決めるとより過酷な状況へも臆することなく挑戦する井上愛里沙選手。”バレーボールはやりきった”と一度辞めてしまったとしても誰かに必要とされるのならば”周りの一言で戻ってきても良い”と感じたのです。
中学生の時に名付けられた愛称は、憧磨(しょうま)。”皆の憧れになるように自分を磨いてほしい”という願いがこめられたものです。この愛称の通り、アスリートのみならず、一度何かを諦めてしまったり、リタイアしてしまった人にも勇気を与える誰もが憧れるアスリートになったのです。
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