姉と同じ強い情熱というメンタルを胸に、高木美帆選手
毎日良い意味でも悪い意味でもさまざまなドラマが生まれる北京オリンピック。そんな冬のオリンピック競技の中でも今回スポットを当ててお話しするのは、スピードスケートの高木美帆選手です。今回出場するのは、5種目。
短距離から長距離までの異なる距離を滑ることができるマルチプレーヤー。前回2018年の平昌オリンピックでは、金、銀、銅と3つ、日本で1大会最多タイのメダルを獲得しました。今回の北京オリンピック、1500mで銀メダルを獲得しました。
目次
-
15歳のシンデレラ、高木美帆選手
-
遅咲きのメンタル
-
3色メダルを経験した平昌オリンピック
-
さらに成長して迎えた北京オリンピック
15歳のシンデレラ、高木美帆
スケート界に突然現れた15歳の高木美帆選手。2009年、15歳にしてバンクーバーオリンピック代表選手選考会にて、1500mの種目で優勝し、憧れの先輩達に勝ってしまったのでした。もちろん本人でさえ『信じられない』気持ちでいっぱいだったそうです。その屈強なメンタルはこの頃から培っていたのでしょう。
オリンピックの切符を手に入れた高木美帆選手は、3人兄弟の末っ子として北海道で生まれ育ちました。小さな頃から活発で、男子に混じってサッカーのフォワードで北海道選抜に選ばれるほどの実力だったそうです。
趣味も、ヒップホップダンスでもあり、まさしく運動神経抜群のスーパー中学生。一番上の兄がスケートを習っていて「待ってる間に美帆が泣くから私たちもスケートを始めた」と話したのは同じくスピードスケートの北京オリンピック代表、高木菜那選手です。
「いつも冷静、中学生離れしてるように見えるけどやっぱり妹。」と姉の菜那選手も認めるほど落ち着きがある高木美帆選手。15歳で挑んだオリンピックは、冬なのに桜が咲くバンクーバー、お寿司屋さんのメニューには、ミホロールがあり高木美帆選手は大注目されていました。
初出場の高木美帆選手は、オリンピックと言う世界の舞台で、中学3年生とは思えないほど堂々と滑り終えました。1500m種目で23位の結果でしたが、世界との差を実感したレースとなり得るものは、とてつも無く大きかったでしょう!「今持っている力は出し切れたのかな、その中でこういう結果だったのでしっかりと受け止めて、次にもっと早く滑れるように生かしていきたい。」と話しました。
遅咲きのメンタル
2009年、バンクーバー予選にて、日本スピードスケート史上最年少15歳で代表入りした高木美帆選手。しかし4年後の2013年、主役候補と言われたソチオリンピック代表選考会では、落選します。
誰が見ても挫折とも言える展開ですが「挫折って感じたことない」「小学校、中学高のときもオリンピックに絶対出るとか目標や夢があったわけじゃない。」「バンクーバーも運よく出れた。」「周りとの気持ちの差、オリンピックに向けてこの4年間人生かけてきたんだろうか?自分が死に物狂い必死でやってきたと思えるほどスケートに見出してなかったのかもしれない。」と振り返る高木美帆選手。周囲の期待と自分自身の情熱にはギャップがあり、まだ重圧を受け止め、スケートに掛けるだけの覚悟がなかったのです。
「ソチ落選もショックではなかった。」「姉は”オリンピック”とずっと言ってる人だったのでオリンピックってそれくらいの気持ちがなきゃ出れないんだ」と実感したそうです。情熱が強い姉を見て、自分に足りないものを感じ始めた頃に転機がありました。2015年、スケート王国のオランダからやってきたのは、デビットコーチ。彼が最も重視したのが、トレーニングを全てデータ化することでした。スケートでは欠かせないバイクトレーニングのハンドル部分に、カウントされている数字。
時間や心拍数、ペダルを漕ぐパワーを一漕ぎ事に計測し管理を徹底したものでした。世界トップ選手のデータと常に比べます。同じようにウェイトトレーニングも重さや回数だけでなく、バーベルを上げる速度やパワーなどさまざまなデータを計測し、比較していきます。量も質も今まで経験したことがないほどのトレーニング改革、これが高木美帆選手の潜在能力を目覚めさせました。
更に、デビットコーチの言葉によりメンタルまでも変わりました。「自信があまり持てない」と話した時に、デビットコーチは「こんなにできてるのにそれでなんで自身持てないんだ」と返し「今の自分には、世界チャンピオンになれる実力とかないな、ビュスト(金メダリスト)は強いから」と不安を話すと「同じ人間でできているんだから私にもできるって普通思うだろ」と、オリンピック3大会連続優勝の絶対女王にも「同じ人間なんだから”勝てる”」「美帆には、世界の頂点に立つ能力があると私は信じている。」「なぜビュストの方が強いと思う?」「我々も練習している。勝てない理由はない。」そう常に言いました。
”同じ人間だから勝てる”と世界の頂点に近づくにつれて響くようになった言葉。まさにメンタルが成長していく瞬間。オリンピックのスイッチが入ったそうです。本気でスピードスケートと向き合うようになった彼女は、試合当日アップを終えた直後に、必ずイメージトレーニングをします。距離によっては、4分ほどと長くなることも。
これをして「ここができないと言う反省点が何となく無くなった。(失敗した理由がすぐにわかるようになった)ゴールする姿をイメージできるようになった」と話す高木美帆選手。15歳でオリンピックに出場した早咲きでもあり、メンタルの面では遅咲きだったのです。いい意味でオリンピックに振り回されない。時間をじっくりかけながら根を張ってきた軸は、大きく綺麗な花が咲いたのです。
3色メダルを経験した平昌オリンピック
これまで日本人選手が苦戦してきた中長距離で世界を戦えるレベルまで開花した高木美帆選手。覚醒したのは平昌の1年前だそうです。オランダの選手に勝ち、自身初ワールドカップ優勝、1000m総合2位、1500m総合3位と平昌オリンピックまでに獲得した世界大会のメダル19個でした。
ゴール後、高木美帆選手の象徴であるガッツポーズ。これは『やった』のように嬉しい気持ちでは無く、前のシーズンまでに辛い時期を耐えてきた自分に対して喜んであげようとしている『よく頑張った』みたいな感じで自分を褒めていました。
23歳で挑んだ2度目の平昌オリンピック。1500mでは、銀メダルを獲得し「もっと(上に)いきたい。」と達成感はあるものの悔しさを話し、中1日で出場した1000mでは、銅メダルを獲得、疲労は感じなかったと言いながらも先輩の小平奈緒選手と共に上がった表彰台では満面の笑み。
そして最後の種目となった団体パシュートでは、見事に金メダルを掴みました。真ん中で滑る佐藤綾乃選手が、バランスを崩しかけ『待って待って待って』となったシーンについてTVスタジオでは『ミス』という言葉を連呼!
これに対しミスという言葉がありましたが「相当足に来ていた。いつ足が止まってもおかしくない状況。あれはミスではなくレース終盤ギリギリを攻めた結果、むしろよく転ばなかったという場面です」と話した高木美帆選手、優しさと人格の良さが伝わりました。その後の決勝でオランダに勝ちチームの絆で獲得した金メダル。
この大会で金、銀、銅と違う色のメダルをとったことは、高木美帆選手にとって何事にも変えられない経験と共に鋼のメンタルも手に入れたのです。
さらに成長して迎えた北京オリンピック
今回27歳で挑んだ3度目の北京オリンピック。3000mで6位の結果に「悔いが残る」と、1500mでは銀メダルを獲得しました。
「率直な気持ちはやっぱり悔しい」と調子はよくはなかったようです。その中でも「攻め切れたレースだった」「前回は悔しさとメダルを取れた嬉しさが入り混じったが今回は金メダルを逃した悔しさが強い。」「金メダルのブスト選手が強かった。ハイレベルに戦えるのは嬉しく思っている」「どの選手がどのタイムを出しても、私がベストを尽くすことに変わりは無いと思っていた。プレッシャーを感じたわけではないが、ただ自分の実力が劣っていた」「前回以上に楽しめた」と話しました。
どんな試合でもライバル選手に対する敬意と楽しさを忘れない姿勢は多くのアスリートにとって教材になっていると思います。
そして気持ちは、後のレースにすでに向いているようです。まだ500m、1000m、団体パシュートと高木美帆選手の北京オリンピックは続きます。残る3つも自分自身が納得できる滑りができますように。心に残るような素晴らしいレースが出来ることを祈ります。