アメリカで得たメンタルとポジティブさが強み、富樫勇樹選手
目次
敏腕コーチの父も認める”富樫勇樹選手のバスケットセンス”
新潟県出身の富樫勇樹選手がバスケットボールを始めたのは、小学校1年生の時でした。3つ年上の姉がミニバスチームに入り、自然な流れで自身もチームに入ったことがキッカケでした。3つ年下の妹ものちにバスケットボールを始めました。
両親ともにバスケットボール経験を持ち、特に敏腕コーチとして知られている父の英樹さん。中学校の教員としてバスケットボール部の顧問を務めました。英樹さんが指導したチームは、10回全国大会に出場。そのうち優勝2回、ベスト4を3回経験しました。息子である富樫勇樹選手が中学3年生の時にも優勝へと導き、”全国1位を成し遂げた親子”として話題となりました。
のちに開志国際高校のコーチに就任すると創部5年目にインターハイを制覇。U16代表ヘッドコーチにも就任し、アジア3位へ導いた世界的指導者なのです。
”基本を大切にすること”が、バスケットボールを指導する上で心がけている事。選手を”我が子同然”と話しながらも家に帰ると親子の会話はほとんど無かったそうです。「子供の入学式や参観日、どこかへ遊びに行った記憶が無い。子育てに関しては奥さん任せだった」と振り返るほど。生活の全てをバスケット指導者として費やしてきた英樹さんが、息子を”うまい”と褒めるのは決して親バカではありませんでした。
2歳の頃におもちゃのリングにシュートするフォームが、ワンハンドだったことには本当に驚いたと言います。小学校1年生で本格的にチームに入り、ミニバスケットを始めた時の感想も”うまい”。更に小学校4年生の時には”別格”だと息子のバスケットの才能を認めていたそうです。
そして家では無口であった敏腕コーチの父と富樫勇樹選手の間に入り、暖かく見守ってきたのが母の恵子さん。自身も学生時代にバスケットボールの経験があったため、母として息子の良き相談相手ともなってきました。
学区変更をしててもバスケットボールの進学校に進学したかったという富樫勇樹選手の決意を押してあげたのも母、恵子さんでした。バスケットボール一家のDNAと幼少期から触れ合ってきたことで培ったセンスは超一流です。のちにバスケットボールの本場アメリカへも挑戦し”1億円プレーヤー”として成長していくのです。
”レジェンド三浦知良”のように
中学で父とともに全国制覇を成し遂げ、卒業後の進学先としてアメリカ留学を決意した富樫勇樹選手。モントローズ・クリスチャン高校へ入学しました。
父と同じく彼の人生に影響を与えたのが、恩師である中村和雄さん。幼少期の富樫勇樹選手を見て「感性が違う。持って生まれたもので誰にも真似できない。バスケに選ばれた子だ」と感じていたそうです。
富樫勇樹選手に少年時代の目標を聞くと”メッシ”だと答えていました。サッカーとバスケで競技は違えど多くあった2人の共通点。まず他の選手と比べると低身長であることです。一見して圧倒的に不利だと思える体の大きさのハンデを全く感じさせないことが2人の最大の共通点。次に常に周りを見渡し、手元にボールが来る前から動気を予測できる視野の広さと洞察力です。そして生まれ持った体幹の良さと運動能力で大きな選手を最も簡単に抜き去り、鮮やかにゴールを奪うことでした。
中学卒業後にアメリカ留学の際には、恩師から「バスケ界の三浦知良になれ」と言われたそうです。アメリカ留学へ乗り気では無かった富樫勇樹選手の決心をさせたかったのは、中村和雄さんの支えでした。アメリカへ行き、高校の授業や練習風景をビデオ撮影して見せました。恩師の情熱が、”日本を出るという選択肢が無かった”富樫勇樹選手の心を突き動かしたのでした。
アメリカに着いて最初の3ヶ月は、YESとNOだけで過ごしながらもストレスを感じませんでした。たった1人の日本人という環境で孤独ながら辛いと感じることもなかった富樫勇樹選手のメンタルは、当時からずば抜けていたことがわかります。アメリカでの環境やバスケットボールの練習にも慣れて英語も話せるようになってくると試合に出場できる機会が増えてきました。
高校卒業後に帰国した富樫勇樹選手は「カズさんのもとでプレーする」と決意し、恩師である中村和雄さんがコーチをする秋田に入団します。最初は「なぜ167センチの小さなガードを取るのか」と批判的な意見があったそうです。
アメリカに行っていたため、日本での知名度が高くなかったからです。「富樫勇樹だぞ。取るべきだろう」と説得しながらも実際入団するまで反応が良いものではありませんでした。しかし実際に富樫勇樹選手のプレーを見ると「ほら見たことかって」と周りを驚かせたのでした。
入団したシーズンにbj新人賞を獲得した富樫勇樹選手。翌シーズンには、ベストファイブに選出されるほど実力を発揮していきました。恩師がアメリカ留学を勧めた理由は、もちろん経験やスキルを身につけることでしたが、それ以上に”高校でアメリカ留学をした日本人がいること”の前例を作ることでした。
これが、バスケを志す少年少女の夢やバスケ人口を増やすことに繋がります。日本でサッカーをポピュラーなスポーツにし、今もなお飛躍しつづけるレジェンド三浦知良。バスケット界のレジェンドとして富樫勇樹選手も歴史を刻み続け系譜を歩んでいると言えます。
アメリカという環境に飛び込んだからこそ得たメンタル
15歳でアメリカへ渡った富樫勇樹選手。「同じ年の選手よりも何倍もの経験をしてきたに違いない」この思いが、強いメンタルで確固たる自信を与えてくれます。アメリカでDリーグやサマーリーグの舞台に立ち、10代にして日本代表の一員にも選ばれました。
異国の地で日本とは違う環境だからこその経験。”一人で乗り越えなくてはいけない”というのは、中学を卒業した頃の富樫勇樹選手にとって非常に大変なものでした。しかしアメリカの試合での緊張などを乗り越えた経験のおかげで日本に帰ってから出場する試合では、ガチガチになるような緊張をすることなくプレーすることができました。
1万人の観客や天皇杯でも良い緊張のみを感じプレーすることができるメンタルは、アメリカで養われたものであり、レジリエンスがある証拠です。
周りの選手と比べると自分は、”さほど負けず嫌いでは無い”と言います。もちろん試合に負けると”悔しいことや引きずること”もありますが、良い意味で「この身長(167センチ)でやってるんだからその時点でオッケーでしょう」とポジティブに開き直れるのだそうです。
驚くことに、アメリカでは”一度も泣いたことが無い”という富樫勇樹選手。周りがどんなにすごい選手でも「こんな環境でやっているんだ」という驚きがありました。
しかし練習が辛いと逃げたこともホームシックになったこともありませんでした。”この身長だから無理でしょ、負けても仕方ないでしょ”というのがスタート。そこから始めれば”ネガティブになる要素”が無かったそうです。”小さくても戦えてる、すごいじゃん”と思えるポジティブさ。これが、富樫勇樹選手の最大の強みなのです。
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