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緊張感も受け入れた強いメンタル、F1レーサー角田裕毅選手

日本人史上最年少の二十歳でF1ドライバーとなった角田裕毅選手。小林可夢偉選手以来となる2014年以来7年ぶりに現れた日本人ドライバーです。その姿を見ると誰もが”かっこいい”と感じるF1レーサーですが、実際は生死が隣り合わせの過酷な競技の世界で戦っているとても勇敢な選手なのです。今回は、角田裕毅選手についてお話します。

目次

  • 幼少期から”優等生レーサー”の角田裕毅選手

  • 両親から得たレーサーとしての”スキルとメンタル”

  • 生死が隣り合わせの競技の中で”緊張感を受け入れる”境地

幼少期から”優等生レーサー”の角田裕毅選手

神奈川県相模原市出身の角田裕毅選手。身長160センチ53キロと小柄な体格ですが、F1のマシンはハンドルを乗ってから取り付け、降りる時も先にハンドルを外さなければならないという窮屈な空間の中で運転することから逆に適しているとも言えます。

 

父も元レーサーで、ジムカーナという車の車種が自由で1台ずつコースを走りタイムを競うというモータースポーツの選手。神奈川チャンピオンから関東チャンピオンと勝ち進み、全日本ドライバーにまで上り詰めたトップレーサーでした。

 

JFA全日本ジムカーナ選手権で19台中6位の成績を残しています。VOLVOの横浜支店で車の販売をしていましたが、その後、保険会社へ転職。現在は独立して保険代理店を経営しています。

 

そんな父の影響で初めてカートに乗ったのは角田裕毅選手が4歳の時。父は仕事の合間に元レーサーとしての経験や技術を活かしメカニック担当として角田裕毅選手を指導しました。次第にキッズカート、ジュニアカート競技に出場するようになっていきます。

 

5歳の時に通っていた中井サーキットでチャンピオンになり、6歳になると東日本ジュニアコマー60で初優勝を果たします。以降毎年のように各地の大会でチャンピオンに輝くように成長。そして15歳になった角田裕毅選手は、フォーミュラカーでの練習を始め、本格的にF1レーサーとしての人生をスタートさせます。

 

四輪レース出場に必要となる限定A級ライセンスを16歳の誕生日を迎えると共に取得し、鈴鹿サーキットレーシングスクールのフォーミュラ部門に入校。卒業時にスカラシップ選考会に進む4人にも選ばれました。

 

このスカラシップ選考会に選ばれると、HONDAの若手ドライバー育成プログラム(ホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクト)の傘下に入り、上位クラスに挑戦出来ます。過去には佐藤琢磨選手や松田次生選手、山本尚貴選手などを輩出してきた育成プログラムで、まさにF1レーサーを目指す者にとっての登竜門なのです。

 

両親から得たレーサーとしての”スキルとメンタル”

幼稚園はLCAインターナショナルプリスクール、小学校はLCA国際小学校に通い12歳まで英語で学ぶ環境で過ごした角田裕毅選手。エンジニアなどチームメンバーとの信頼関係が重要となるF1ドライバーは、優秀な外国人スタッフともコミュニケーションを取るために英語は必要不可欠です。

 

片言の英語や通訳を挟んでの会話よりも綿密に調整を行うことが可能になります。完璧な英語でのコミュニケーション能力は、F1の世界に挑戦する日本人にとって大きな武器となるのです。

 

元レーサーとして指導してきた父に対し、母はモータースポーツで失敗した場合に備えて日頃から角田裕毅選手にしっかりと勉強させてきました。どんなに練習が忙しくても学校をズル休みしたり宿題をサボることを許さず、とても厳しかったそうです。しかし角田裕毅選手は「今の自分があるのは厳しかった両親のおかげ」と現在の自分に厳しく育てられた経験が活きていると自覚しています。

 

父から基礎や必要なスキルを教わった角田裕毅選手のレーサーとしての特徴は、ブレーキング技術が優れていることです。速度を保ったままギリギリまでブレーキを遅らせる絶妙なタイミングは、現在活躍するF1ドライバーの中でも屈指の評価を受けています。このブレーキング技術が身についたのは、父と特訓を行っていた少年時代だそうです。

 

どのような点にポイントを置いていたのかと言いますと”緩衝材を壁として置き、そこに向かってカートを走らせギリギリで止まる”という特訓。タイミングが遅いとぶつかってしまい、早すぎるとゴール寸前で止まってしまうという状況で何度も壁にぶち当たりながら”ブレーキの正確な使い方や機能を身体で覚え、感覚を身につけたのでした。

 

プロのレーサーだった父の英才教育から得た基礎と何度も繰り返した特訓で身につけたスキル、そして厳しい母の教えから得た強いメンタルが、天性の才能やセンスにこれらが加わったことで見事に日本人F1レーサーとなったのです。

 

生死が隣り合わせの競技の中で”緊張感を受け入れる”境地

世界が相手だとやはり「絶対緊張する」と話す角田裕毅選手。緊張しないようにと心掛けても結局、力んだり焦ってしまうそうです。そんななか辿り着いた境地が”緊張を受け入れる”ということでした。

 

良い意味でレース前にたくさん緊張感を感じておけば、レースの時にさほど緊張感は感じずに”程よい緊張感”の中でレースに臨むことができるのです。「最近は緊張と良い接し方が出来ている、”胸がバクバクする感じもない」とも話す角田裕毅選手。

 

もちろんある程度の長い周回数があることで最初は緊張していても落ち着いてくるものです。しかしそれでも緊張を感じてしまうのは、チームを背負っているという責任感から来ます。レースごとにチームも相当な準備をしてきているため”がっかりさせたくない”という思いからです。

 

また”自分のなかに期待が生まれる時”にも緊張を感じてしまうとも話します。”応援したい”ためメディアも私たちも注目や期待をしてしまいますが、やはりそれがアスリートにとって何より緊張を感じてしまうもの。有名アスリートにとって、誰もが乗り越えなければならない壁でもあります。

 

緊張に対して様々な思いを抱える角田裕毅選手が、メンタルトレーナーと共に実践しているルーティーンは、実に独特なものです。レースの20分前から音楽を聞いてソファーに横たわって深呼吸を繰り返します。リラックスして体も倒していると徐々に眠くなってきます。そうなれば体の余分な力が抜けて、自分に対する期待や過度に緊張しすぎるということがなくなるのだそうです。

 

元々ルーキーとしてF1デビューした頃は、自信に満ち溢れていましたが”表彰台に乗りたい”と先走り結果的にミスが多く、良い結果も出ませんでした。その後、”一歩一歩”と考え直すことで自分の走りが安定していったと言います。

 

自信を持つことはもちろん大切なことですが、最初からガツガツいくとミスやクラッシュに繋がる競技なのです。さらにF1ではクラッシュすると何億もかかってしまい、それを負担するチームのことを考えると”チームあっての僕なのだ”と実感できたのだそうです。

 

個人競技と思われがちのF1ですが、運転するにはメカニック整備士その他多くのチームスタッフの力が必要不可欠。必要なチームワークのレベルは、11人で行うサッカーのようだと言っても過言ではありません。最終的に個人としての成功となりますが、そこに辿り着くにはチームワークが必要です。F1は、私たちが認識している以上に奥が深い特殊な競技スポーツなのです。

 

 

今回は、ミレニアム生まれのF1レーサー角田裕毅選手についてお話しました。元レーサーの父のDNAを受け継ぎ、幼少期から指導を受け鍛錬を積み重ねてきました。また厳しい母の育てにより強いメンタルも身につきました。そしてF1レーサーとして一番重要とも言える生死が隣り合わせの競技の中で”緊張感を受け入れることができた”角田裕毅選手。今後のさらなる活躍が楽しみです。

 

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【このコラムの著者】

プロスポーツメンタルコーチ/一般社団法人日本スポーツメンタルコーチ協会
代表理事 鈴木颯人

プロ野球選手、オリンピック選手などのトップアスリートだけでなく、アマチュア競技のアスリートのメンタル面もサポート。全日本優勝、世界大会優勝など圧倒的な結果を生み出すメンタルコーチングを提供中。

【プロフィール】フィリピン人の母と日本人の父との間に生まれました。生まれた国はイギリス。当時から国際色豊かな環境で育って来ました。1歳になる頃には、日本に移住しました・・・。>>続きはこちらから

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