新庄剛志選手「わいたこら」エピソード
現在の日本球界で注目度No.1と言っても過言ではないのが、今シーズンから北海道日本ハムファイターズの監督として就任した新庄剛志BIG BOSSです。就任会見では「監督ではなくビッグボスと呼んでほしい」と話しました。
プロ野球選手でありながら、紺綬褒賞やベストドレッサー賞を受賞するなどタレントや実業家として、その活躍の場は幅広いものでした。
また、選手時代から「ジーパンが似合わなくなるから下半身は鍛えたくない」など世間の注目を浴びてきた名言は数えきれないほどあります。今回は、日本球界のみならず日本中から大注目浴びる新庄剛志BIG BOSSの選手時代についてお話しします。
目次
新庄剛志選手のポテンシャル
母の実家である長崎対馬市で生まれ、造園業を営む両親のもと福岡県で育った新庄剛志選手は、生後10ヶ月にはすでに歩いたそうです。個人差はあるものの一般的に、一歳半ぐらいに歩き始める子が多いようなので、そんな早い持期に歩き始めたことに秘めたポテンシャルを感じます。
小学校に入るとサッカーを始めた新庄剛志少年。その後、ソフトボールをはじめます。幼い頃から足が早く、6歳の時には大人より石を遠くに投げれたそうで既に肩の強さもすばらしかったのでしょう。ソフトボールの町内大会でサヨナラ負けをした新庄剛志少年は、悔しさを晴らすため軟式の少年野球チームを作ってしまったのです。
たった二日間でメンバーを集め、ユニフォームのデザインやチーム名まで命名したという驚きのエピソードが残されています。この生い立ちから見ると少年時代にはすでに、人望があり類まれなる発想力もあったのでしょう。
西日本短期大学附属高校へ一般入学した新庄剛志選手は、寮生活を送りながら野球に没頭しました。3年生の時に、福岡県大会で甲子園にあと一歩となる決勝まで進みました。生涯初のサイクル安打を達成するも叶わなかった甲子園出場の夢。
しかしプロ野球ドラフト会議で肩の良さや身体能力に将来性を見出された新庄剛志選手は、5位指名を受け阪神タイガースに入団しました。その後の活躍は日本球界のみならず、メジャーリーグをも渡り歩いた新庄剛志選手。
なんと20億ほどの金銭管理を任せていた母方の知人に、お金を使い込まれていたことを「交通事故みたいなもんです」と話せること、球団のイメージが悪くなると考え「監督と揉めたから辞める」ではなく「センスがないから辞める」と最大の礼儀を球団に示した人間としての大きさが新庄剛志選手の素晴らしさです。
ユニークな発言の裏では、真面目で礼儀正しい新庄剛志BIG BOSSは、現在の監督業においてもさまざまな経験や発想力でファンを楽しく驚かせています。
仲良くなれるチャンスだと考えたメンタル
アメリカに渡ってすぐの頃、友達がなかなかできなかったという新庄剛志選手。カメラの前では、みんなと仲良くしているように見せていたのは「日本の人たちに勇気を与えたいのに、ひとりぼっちの姿は見せれないから」いかにも新庄剛志選手らしい理由です。
汚れたスパイクがロッカーに詰め込まれていたことに関して最初は無視していたそうですが「これじゃあダメだ」と考え方を変えたそうです。「ちょっかいを出すのは、自分に興味があるから。おちょくられるのは、仲良くなれるチャンス。」
そう考え、汚れたスパイクを投げつけられると用意していたブラシを取り出し磨きまくったり、からかわれたら片言の英語で下ネタを言い相手のお尻にカンチョーをするなどユニークなものでした。
しかし誰彼構わずというわけではなく、相手は選んでいたのです。何でも楽しんでくれるラテン系の選手は適任で、特に体格が良くてみんなから尊敬されているタイプに狙いを定めていました。
その選手と打ち解け仲良くなることでみんなとも仲良くなれ、認められるようになるのです。考え方をガラリと変え、いじめを乗り越える強いメンタルを得た新庄剛志選手。
その後もコミュニケーションを取り始めたら、ちょっかいばかりでいじめられていたのが嘘のようにチームの人気者になっていたそうです。一緒に食事に行き、トレーニングで遅れると待っていてくれるほどの信頼関係。
必ず野球にも繋がるもので「明るく行動することは何よりも必要なことであり、結果的に良いことが起こる」この言葉は、新庄剛志BIG BOSS率いるファイターズのチームを見ていても感じることができます。
救ったのは、バリー・ボンズやダルビッシュなどの名選手
試合開始の10分前になってもロッカールームで寝ているのでみんなは困り果てていたというエピソードがあったのは当時、新庄剛志選手のチームメイトであったバリー・ボンズ選手。「気難しい」「チームで浮いている」「寝起きは機嫌が悪い」ということで有名でした。
そんななか「サインプリーズ」と声をかけた新庄剛志選手に「マジで起こすの?」と驚く周りの選手たち。起こされたことに椅子を蹴散らすなど怒りをあらわにしたバリー・ボンズ選手を新庄剛志選手は、思いっきり後ろから頭をはたいたのでした。
すると「どうしたシンジョウ?」と逆に面白がってくれたバリー・ボンズ選手は、それ以来「僕のバディ」と言ってくれるようになったそうです。バリー・ボンズ選手を本気で説教してくれる人なんて誰もいなかったから、孤独だったのでしょう。
そんな「怖がられている」選手の頭をはたけたのもある程度、野球をする上で信頼関係を作っていたからだと言います。「お前の左に飛んだ打球は、全部俺がキャッチするから右方向だけ追えば良い。あとは打つことに集中しろ」と言った新庄剛志選手。
ある時、打球がレフトに上がってもバリー・ボンズ選手は全く動こうとしないため新庄剛志選手が打球の軌道を読むとバリー・ボンズ選手の一歩横だったそうですが「約束したので守らないといけない」と思い全速力で追ったボール。キャッチしたのは、やはり真横だったのです。
これを粋に感じたのでしょう。打つことに集中し本当に自身初の首位打者を取ったバリー・ボンズ選手は、インタビューで「タイトルを獲得できたのはジャック(新庄)のおかげ。あいつの守備を見てみろ。俺の左の打球は全部取ってくれる。彼のおかげで打席に集中できた」と話したのです。
もちろん明るくすることはメンタルの面からも大事なことですが、約束を守ることも信頼される上で大事なことです。人から信頼されることで自分も自信を持って打ち込めるようになります。
また、日本でも浮いていた名選手がダルビッシュ投手です。入団したての頃、喫煙やパチンコ事件を起こし浮いてしまったダルビッシュ投手は、練習メニューも出されたものだけをこなし、やる気を失っていたようでした。
しかし、そんなダルビッシュ投手に声をかけた新庄剛志選手。「有ちゃんタバコ吸ってんの?吸いたくなったら言え。俺があげるから」いやいや未成年なのでダメと突っ込みたくなりますが、ここはスルーしましょう。その後もサプリメントを渡したり食事に誘ったり、ファッションに無頓着なダルビッシュ投手にBMWのキャリーバックや洋服をプレゼントしたり懐に入り込んだのです。
この時の理由を「球界を変える逸材だと感じたから」と話しました。例え素晴らしい逸材であっても環境などにより潰れていく選手を見てきたプロの先輩の優しさだったのでしょう。その後、いうまでもなくダルビッシュ選手は、有名選手として大活躍しています。
今回は、現役時代の素晴らしいけど少し笑ってしまうような新庄剛志BIG BOSSのエピソードについてお話ししました。プロ野球選手としての目立った功績は、ゴールデングラブ賞の受賞しか挙げられないものの大きな影響力を残した新庄剛志選手の数えきれないエピソードは、まさに伝説とも言えます。今後監督としても新たなエピソードが増えていくことも楽しみにしています。
【このコラムの著者】
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