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自分を信じることで蘇った目の輝き、宇野昌磨選手!

いよいよ北京オリンピックが始まりました。最大16日間とオリンピックの日数が決まっている為、開会式より一足先に、2日前から最初の競技カーリングがスタートしました。そんなオリンピックの中でも、今回スポットを当ててお話しする選手は、熱狂的なファンも多く冬の競技の中でも花形であるフィギアスケートの宇野昌磨選手です。幼少の頃から名が知られ数々の大会で入賞。

 

自身初となる2018年平昌オリンピックでは、銀メダルを獲得しました。順調に見えてきた宇野昌磨選手も悩み苦しんだ時期がありました。しかし信頼できるコーチと出会い、アクシデントをも乗り越えた末に、北京オリンピックへの切符を掴んだのです。日本の先輩である羽生結弦選手との上位対決もまた楽しみですね!

スポーツメンタルコーチ

目次

  • フィギュアスケーター、宇野昌磨誕生のきっかけ

  • メンタルを支えるのは、一緒に歩いてくれるステファンコーチ

  • オリンピックへの思い

  • 好発進の北京オリンピック

 

フィギュアスケーター、宇野昌磨誕生のきっかけ

名古屋で生まれ育ち、運動が大好きだった宇野昌磨少年。5歳にスケートを始めたキッカケは、スケーターとして先輩である浅田真央選手でした。「一緒に遊んでくれて楽しかったからスケートをもっとしてみようと思った」と話しています。9歳の頃にはジャンプを飛び「1つのジャンプは、絶対やり直しできないから大会が好き」「転んでもステップだけはやりなさいと母に言われるんです。」と、夢は『オリンピックで金メダルを取ること』と明確なものになっていきました。

 

伊藤みどり選手、浅田真央選手を育てあげた山田満知子コーチのもとで基礎から指導を受けます。徐々に頭角を表し、ジュニアの下のノービスクラスで優勝を重ねていきます。13歳となった2011年も大須観音で祈願し、書いた絵馬は『トリプルアクセル飛ぶぞ』です。「僕は毎日滑ってないとダメ」と元日からリンクに上がりトリプルアクセルに挑戦。そんなストイックな宇野昌磨選手も、リンクを降りればハンバーグを噛み締める、お肉が大好きなあどけない少年です。

 

フィギュアスケートの名門、中京大中京高校に進んでも、やはり元旦からリンクに上がるのは変わりません。この年の抱負として書いた目標は『4回転サルコーを飛びたい』です。ジャンプが大好きな宇野昌磨選手。難易度の高いジャンプに挑戦し続ける理由は「シニアで戦える力が欲しいから、買えないからこそ手に入れた時に達成感、自分の力で手にしたい」と話します。

 

現状に留まるのではなく、常に上を目指す姿は、どの種目の選手にとってもお手本となりますね!ジュニア最後の全日本で初優勝、ジュニアグランプリ、世界ジュニア選手権でも一位に輝きます。高校三年生でシニアデビュー。声も変わり、より一層頼もしくなった宇野昌磨選手は「1試合ずつやっていった中でオリンピックに出たい」と話します。

 

海外滞在も増え『ホットミルクティ』を注文したのに『ホットミルク』が出てきてしまったからだと英語の必要性を感じた理由が可愛らしいですね!

 

メンタルを支えるのは、一緒に歩いてくれるステファンコーチ

2018年、平昌オリンピックにて銀メダリストとなった宇野昌磨選手。しかし、2019年『成績を落とせないというプレッシャー』からなのか、純粋にフィギュアスケートを楽しめなくなります。「やれることをやってるつもりなものの酷い演技、何をして良いのかもうわからない」そして「もう引退した方が良いのか」とも考えてしまい、グランプリファイナル、フランス大会で転倒し8位の成績に涙を流します。

 

出口が見えない暗闇のなか、異例となるシーズン中の移籍を受け入れてくれたコーチがいました。スイス代表としてトリノオリンピックで銀メダルを獲得。世界一のスピンと称されたステファンコーチです。『世界一になるためには、何が必要だと思う?』と問われ迷わず『ジャンプ』と答えます。その日から4回転ジャンプを5本入れる超難度のプログラムに取り組みました。

 

しかし、見失いかけていた目標をステファンコーチから授かった宇野昌磨選手には、スケートを楽しんでいた時の目の輝きが蘇ります。ステファンコーチは『自分自身を信じるようになってくれた』それが1番の目的、結果がついてきたと話します。

 

「自分の中で考えて自分に結論を出してやってきたので『こうしなさい』『ああしなさい』と言われても、自分が納得しないと自分の中に受け入れられない人」と客観的に話す自身の性格。そしてステファンコーチについては「信じてくれているから、あえて待って、ただ本当にやりすぎないように見守ってくれる、最後の一歩を抑えてくれる存在。」と話します。

 

全日本に臨んだ宇野昌磨選手。しかし朝の公式練習にてアクシデント。右足を捻挫してしまいました。歩けない中、氷の上に上がろうとしています。北京オリンピックが決まる大事な大一番だからです。ジャンプはどうしようか悩んでいた宇野昌磨選手に「サルコーでもいい、フリップでもいい。君ならできるよ」と背中を押すステファンコーチ。全てを出し切り、羽生結弦選手に次ぐ準優勝で北京オリンピックへの切符を掴みました。

 

笑顔の宇野昌磨選手は「自分を信じる演技ができた。思わぬ怪我だったけど、だからこそ自分を信じることができた。怪我にも感謝」「多分2週間くらいで完治する」と話す彼には、何よりの自信が見えました。「コーチでありながらコーチと友達との間、一緒に歩いてくれる」暗闇から復活の優勝までを支えてくれたステファンコーチとの絆こそが宇野昌磨選手のメンタルの源なのですね!

 

オリンピックへの思い

世界で活躍し続けてきた宇野昌磨選手は、自身初となる2018年、平昌オリンピックで銀メダルを獲得します。『自分の実力を出せて嬉しい。次のオリンピックに向けても頑張ろう」と満足いく結果であったことを話します。

 

フィギュアスケートと出会い20年近くの長い日々、幼い頃からの夢だったオリンピックの舞台も2度目。「宇野昌磨というスケート選手に対して少し期待して欲しいと思えるくらいの気持ち」と意気込みを話します。

 

オリンピック出場を決めた時には「シルバーコレクターと言われる。満足はしてるけど、もっと頑張りたい」と今まで『金メダル』と口にしてきた彼があえて『金』という言葉を出さなかったのです。

 

もちろん公式練習の際、捻挫をしたというアクシデントの中だったこともありますが『彼の自信』のあらわれなのか、逆にプレッシャーを感じているのか。「本当にステファンに喜んでもらえるような演技をしたい、このオリンピックで終わるわけではなく、スケート人生もっと先を見据えて世界のトップに立ちたい」と話します。

 

ステファンコーチもまた「偽りなく自然な魅力がある、彼の存在が好きな人を受け入れる、もっと彼をみていたい」と話します。「全て発揮して出た結果、それは全て受け入れたいと思う。」と話す宇野昌磨選手。どんな結果になろうと彼の笑顔が見たいですね!

 

好発進の北京オリンピック

早速嬉しいお知らせが届きました。4日に行われた北京オリンピック、フィギュアスケート団体男子ショートプログラムにて、赤と黒の華やかな衣装で宇野昌磨選手が登場。あと一歩ネーサン・チェン選手に及ばず2位でしたが、105.46というパーソナルベストを更新しました。

 

「健康及び感染には十分に気をつけて、五輪の氷の上に立つことへの努力が大事だと常に心がけています。五輪では、今持てる力を全て出し切った演技をお見せできるよう頑張ってきます。

 

目標は全ての演技が終わった後に、笑顔になることです。応援の力からとてもパワーを貰えますので皆さん応援して下さい」と話した宇野昌磨選手。

 

「今回は初戦の団体戦ということで様子見、厳しめのジャッジだなと思う採点。自己ベスト105、46だったけれど、110くらい出るのかなと思っていた」と専門家も話しています。

 

しかし「切れがなかったので、表現力もスケーティングも伸びていなかったです」と宇野昌磨選手は不満なようです。個人演技のジャッジは、どうなるのでしょうか。宇野昌磨選手自身が、納得のいく演技が出来ますように。スケートを楽しむ姿が見れたらよいですね!最後までお読みいただきましてありがとうございます。

 

【このコラムの著者】

プロスポーツメンタルコーチ/一般社団法人日本スポーツメンタルコーチ協会
代表理事 鈴木颯人
プロ野球選手、オリンピック選手などのトップアスリートだけでなく、アマチュア競技のアスリートのメンタル面もサポート。全日本優勝、世界大会優勝など圧倒的な結果を生み出すメンタルコーチングを提供中。
【プロフィール】フィリピン人の母と日本人の父との間に生まれました。生まれた国はイギリス。当時から国際色豊かな環境で育って来ました。1歳になる頃には、日本に移住しました・・・。>>続きはこちらから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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