スキージャンプ選手のメンタルについて 高梨沙羅選手の事例
スキージャンプに必要なメンタルとは?
- ジャンパーとなった高梨沙羅選手
- スキージャンプへかける思いがメンタルの源
- オリンピックへ向けて納得いく演技、そして金メダルへ
- 楽しめるジャンプを
ジャンパーとなった高梨沙羅選手
3歳から習い始めたピアノとバレー。しかし『ふわっとする感覚が楽しい』とスキージャンプへのめり込みます。小学校3年生で大会デビュー。その後、大人も出る大会で優勝するようになります。中学生になると既に、世界で活躍するジャンパーに成長。冬の遠征の時期は、1ヶ月ほど学校を休まないといけませんでした。
当時の高梨沙羅選手は、放課後、一人黙々と自主トレーニング。丘へ向かい走り込むと『黒い物体を見つけたから熊かもしれない』と慌てて帰ってくることもあったという北海道の自然の中での体験を振り返っています。家に入るとまず最初にすることは、勉強でした。『休んでも成績が良い』と同級生に言われるのは、この毎日欠かさず勉強していたからですね!
理想のジャンプを目指し、日が暮れるまで飛んだ14歳の高梨沙羅選手。当時まだ、運動能力は、それほど高くはないと言われていましたが、どのジャンパーにも言われていたのが『彼女は、イメージ通りに体を動かすことができる』この凄さをジャンプがわからない人向けに例えるのなら、種目は違えどダルビッシュ(野球)タイプだと称されていました。
二十歳前後になると、メイクやファッションが大好きな年頃の女の子に成長します。一般的には、見た目を気にするようになると『色気づく』とマイナスに捉えられることもしばしばでしょう。しかし彼女の場合は、180度違うようです。「メイクとか、自分の好きなファッションとかをすることによって、モチベーションや機嫌を高めているというか、練習に100%集中できる環境を作っているんです。」と高梨沙羅選手は、話しています。
彼女と同じ年に生まれたスポーツ選手には、東京オリンピック柔道で金メダリストのウルフ・アロン選手、同じく東京オリンピック体操の床で銅メダリストの村上茉愛選手がいます。すごい世代です。
ジャンプ競技ほど職人気質な世界はないと思います。何度飛んでも同じ飛び方はないくらい繊細な競技だと思います。その繊細さをメイクやファッションから補っているようにも感じられます。
一般的には競技と私生活を分けて考える方が多いですが、私はむしろ私生活の延長線上に競技があると思っています。トップ選手と話すと必ず私生活に面白い趣味を持っている方が多いです。
スキージャンプへかける思いがメンタルの源
高校は、インターナショナルスクールに進んだ高梨沙羅選手。理由として『海外へ遠征した時に英語が喋れると精神的に余裕ができる』と話しています。早く競技に集中できる体制を整えるために勉強した時間は、1日11時間だそうです。この成果もあり、入学4か月後に、高等学校卒業程度認定試験に合格。こんなに早い時期の合格は、史上初のものだったそうです。本当にスキージャンプの事を第一に考えていることがわかりますね!
10代の頃から受けてきた期待の重圧。悩んだ時は、得意のピアノ弾いてあえて競技から離れ気持ちも切り替えてきたそうです。そして次の日からまたジャンプの練習を頑張ってきたのです。
2013年から7年間にわたり高梨沙羅選手を指導したのが、山田いずみコーチ。高梨沙羅選手が、幼少期から憧れていたのが彼女です。将来何になりたい?と聞かれ、同級生の子達が「ケーキ屋さん」など夢を語る場面でも「山田いずみさんになりたい」と話し、同じものを身につけるのがステータスであり、もう使用しないヘルメットは、くださいとおねだりしていたそうです。それほどまでに尊敬と信頼を寄せていた山田いずみコーチは、高梨沙羅選手にとってメンタルを預けていたと言っても過言では無いでしょう!
その後、指導を受けているツイッターコーチからも「9ゲートから135なんて素晴らしい。女子でこんなに飛べるのは、高梨沙羅以外にいない。大会が楽しみだよ」とお墨付きをもらいました。高梨沙羅選手自身も「技術と心を磨き続けた4年間。9割ほどきている。(金)メダルをとりたい。純粋にジャンプを楽しめている。」と話しています。
オリンピックへ向けて納得いく演技、そして金メダルへ
幼少期からメダルが期待されてきた高梨沙羅選手。初のオリンピックとなったソチでは、4位の結果でした。本人も納得のいくジャンプできず流した悔し涙。しかし2日後には、次の平昌オリンピックに向けて練習を行っていました。
ワールドカップ17戦中14勝。ここに来るまで言い聞かせてきた言葉は、『焦らず、慌てず、諦めず』常に平常心だったと話す高梨沙羅選手。迎えた2018年2度目のオリンピックとなった平昌、計点を大きく超える大ジャンプを見せます。メダル獲得が決まった時点で涙がすでに溢れます。『自分を信じて楽しんで飛べてよかった。』と話した結果は、銅メダル。
しかし次回への抱負も「やはりまだ自分には、金メダルをとる器はないと思わせてくれました。次の4年間で、金メダルをとれる器になっていくしかありません。ここから仕切り直して、またスタートを切っていきたいです。』と話していました。表彰台では、印象深かった素敵な笑顔。
平昌では、全てを出して3位、しかし目指すのは、もう3位ではなく優勝です。ゼロからスタートする北京オリンピックへ向けた大改造。
解体して成功するか、失敗して簡単に元には戻せないバクチをかけてでも、つかみたい金メダルへの戦いが始まりました。
2019年には、3回しか表彰台に乗れない日々。やっぱり『切り崩さなければよかったのか』と悩まなかったのかといえば嘘ではないでしょう。”体より頭が疲れるスポーツ”と話した高梨沙羅選手。しかし「今のままでずっとそれなりにか、苦しくても今を繋げていつかトップになるか」という心の中の問い掛けに、『いつも後者を選んだ』と話しています。
2020年ワールドカップ総合2位に入りました。スキージャンプを大きく分けると『助走』『飛び出し』『空中』『着地』です。助走がうまくいかないと後に繋がらないのです。上半身が整ったことで繋がった『アプローチ(助走)からのテイクオフ(飛び出し)』
1、2年目にやって来た”ゼロからの大改造”がやっとカタチになってきたのでした。
2021年、オリンピックへの追い風であるかのように『ワールドカップでの表彰台記録109回』が男女通じて最多となり、ギネス記録にも認定されました。
楽しめるジャンプを
「高梨沙羅選手の最高の笑顔が見たい」「金メダルをとってほしい」応援している人の誰もが、こう思うでしょう。しかしどんな結果であっても彼女が納得できる演技を発揮できる場となってほしい。数多くのプレッシャーがある中、オリンピックの舞台に上がるのですから。
「9割ほどきている」と語った高梨沙羅選手の最後の1割、天候や運、コンディションその他全てのものが、ジャンプの際に”きますように”。今までの彼女の努力が実を結びますように、ただそう願うばかりです。
最後までお読みいただきましてありがとうございます。
【このコラムの著者】