父子の13年間が報われた銀メダル!鍵山優馬選手
北京オリンピックも残すところあと数日となりました。たくさんのメダリストが誕生してきた今回のオリンピック。その中でも今回スポットを当ててお話しするのは、オリンピック初出場にして男子フィギュアスケートで見事に銀メダルを獲得した鍵山優馬選手です。父子で挑戦した感動の物語は、素晴らしい舞台となりました!
目次
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唯一無二、鍵山優馬選手の4回転
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ファンの如く見る先輩たちのYouTube
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病に倒れた父のため、覚醒したメンタル
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夢から挑戦に変わったオリンピック
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報われた北京オリンピックの銀メダル
唯一無二、鍵山優馬選手の4回転
世界に衝撃が走った2021年、世界選手権で初出場の鍵山優馬選手が、難易度の高いジャンプを次々と決め、銀メダルを獲得したのです。2021年シーズン、シニアに転向するや否や即NHK杯を初優勝した鍵山優馬選手。年末の全日本選手権では、3位となり羽生結弦選手、宇野昌磨選手とともに表彰台に立ちました。
スケート選手としての経歴では、程遠い存在であった2人にやっと追いついた瞬間。今や男子フィギュアのトップクラスは、4回転を跳べて当たり前という時代に到達しました。そんな中でも鍵山優馬選手は、真似できない特別な跳び方だそうです。4回転サルコウ、4回転トーループの2種類を手の内に入れ、さらに北京までにその種類を増やそうとしていました。
その美しさ、安定感は、かの絶対王者も舌を巻くほど。羽生弓弦選手も「あれだけ勢いを使ってジャンプを跳べるっていうのは本当にすごいことだし勉強させてもらっている、尊敬している」と称賛しました。鍵山優馬選手に破竹の勢いをもたらす4回転ジャンプ。最高の武器を授けたのはコーチである父、正和さんで「一番大事になってくるのは軸の作り方。」と話します。
専門家によると鍵山優馬選手の4回転ジャンプは「安定感がすごい。回転をつける瞬間の左手の使い方が普通の選手とちょっと違う。普通は跳びながら一緒に回転をつけていくんですけど、彼の場合は左手が先に動き、体をそこに寄せることで、より勢いがつく。それが生きてくるのが着氷の時。多少バランスが崩れても着氷できるセーフゾーンの範囲が広がる。」との事です。
後ろに伸ばす左腕と父譲りの膝の柔らかさで安定した回転と着氷ができる。これは他の4回転にも応用することができるそうです。4回転ジャンプの種類が増やせる可能性もあり今後も伸び代が無限大ということになります!
ファンの如く見る先輩たちのYouTube
日本で1番になるために「表現力の幅を増やして行かなければならない」「ジャンプの種類も4回転で増やしていかないと世界では戦っていけない」と話す鍵山優馬選手。「羽生選手、宇野選手が一段ずつ登っている階段も僕はもう一段飛ばしや2段飛ばしのペースで今のうちにやっていかないと追いつかないので、人一倍努力したいなと思っています」とはまっし二人の調整力が、凄いことを悔しがります。
「僕は今シーズン、全日本の前に何試合かこなして段々と自分のプログラムだったり技に磨きをかけて行ったんですけど、羽生選手等と宇野選手は、全日本が一戦目であそこまでの演技ができるっていうのは、すごいと思いますし、近づけなかったので、すごく悔しかった」と目の前で感じた凄さを話しました。
実は、宇野選手の過去のユーチューブを半日くらいずっと見ているそうで、今の履歴は「宇野昌磨」「羽生結弦」「その他の選手」と、まるでファンの如く。宇野選手のショートのステップを覚えるっていう課題をやっていた時期もあると話しました。その心は「真似したらうまく練れるんじゃないかっていう」思いからだそうです。
インスタグラムでも羽生選手と撮った写真を投稿する鍵山優馬選手。撮ってもらおうとしたら「俺が撮るよ」と言ってくれて自撮り風になったのでリラックスした自然な顔に。羽生選手に押してもらうなんて、そんなことあっていいのかなってくらい嬉しかったと話しました。
そして宇野選手の時は、ただただ緊張してとガチガチの表情でこれもまた思い出に残るであろう良い写真です。「宇野選手は、スケーティングだったり表現力だったりすごい憧れの選手なので、すごく嬉しかった」と二人と撮った写真を宝物のように話した鍵山優馬選手でした!
病に倒れた父のため覚醒したメンタル
そんな鍵山優馬選手の父は、日本で初めて4回転ジャンプに挑戦し、全日本選手権3連覇。1992年アルベールビル、1994年リレハンメルと2度オリンピック出場を果たしたトップスケーター正和さんです。5歳でフィギュアスケートをはじめた鍵山優馬選手。
傍には父、正和さん。そんな父を師と仰ぎ、二人三脚でオリンピックを目指してきたその道のりは、苦難の連続、我慢の13年だったそうです。2世と呼ばれ、将来を嘱望されながらジャンプするも成功せず、果てなき闇の中を涙で彷徨い続けた鍵山優馬選手。
表彰台に上がれなかった息子に対して父は「焦っても体に負担をかけたりとか精神的に追い込んでしまう。どっしり構えてやるべきことをコツコツ重ねていくしかないと思っていましたね」と話します。家と練習場の使い分けは「玄関を開けてから一切スケートの話はしないっていうことは僕の中では約束事。好きなアニメを一緒に見たりワイワイ騒いでいましたね。」とコーチと父のスイッチについて話しました。
少しずつジャンプが跳べるようになり、2018年中学3年生でトリプルアクセルを初めて成功させた鍵山優馬選手が、いよいよ取り組みはじめた4回転ジャンプ。その矢先、コーチでもある父、正和さんが脳梗塞で緊急入院する悲劇が起こりました。しかしここから、15歳にして初めて自らの決意でスケートをやりました。
振り付けの指導を受けていた佐藤操さんに臨時コーチを依頼。メニューは自ら組み立て練習し、その様子を動画撮影。病床の父にもアドバイスを求めました。新しい環境で、自分がやるべきことを考えるようになった鍵山優馬選手は、父の病気のおかげで自立できたようでした。
復帰した父に「いい姿を見せたいなってすごいがんばってました。」とこの半年間で素敵な関係となったことを話します。取り組み方が変わった息子に父も「嬉しかった。」と喜びました。不屈のメンタルを手に入れた鍵山優馬選手は、高校1年の2019年の時全日本ジュニアで初優勝し「スケート人生で一番手応えを感じた。」と話しました。
父の病が眠れる才能に火をつけたのでしょう。フリーで選んだ曲は「タッカー」父が現役時代に使っていた大切な曲です。4回転ジャンプを次々と成功、父子に飛び出すガッツポーズ。衝撃の演技で、4回転全てのジャンプに加点が付き、国内最高の当時ジュニア最高記録で初優勝し、初めて父を泣かせた鍵山優馬選手でした!
夢から挑戦に変わったオリンピック
ジュニアながら全日本選手権の出場権を獲得した鍵山優馬選手。シニア初の表彰台をかけ、羽生、宇野表選手と戦うことになりました。完璧な演技を決め、全日本選手権3位。ついにあこがれの先輩の背中を捉えたのです。その勢いは止まらず、ユースオリンピックでは日本人二人目となる金メダルを獲得。
父の初めての涙を見た時「今までたくさん苦労してきたので、その努力が報われた瞬間だった。嬉しかったんだろうなって。お互い嬉しかった。」と話す鍵山優馬選手。また父も「きっかけ自体は僕の病気で良いことではないんですけど朝起こされて練習に行っていた息子が自分で支度をして時間や練習の管理もして一つ成長したのかな」と話しました。
鍵山優馬選手が語る北京への思いオリンピックとは「前は自分の夢でオリンピックに出たい、今は自分の目指すべきものとしてオリンピックがある。出て優勝したいっていう目標がある。すごく自分にとっては大きな試合だと思っている。」そしてフィギュアスケートとは「スケートがなかったら僕には何も残らない。本当に大事だ」と話した鍵山優馬選手でした。
報われた北京オリンピックの銀メダル
2022年北京オリンピック、18歳の鍵山優馬選手の初戦は団体の男子フリー。4回転ジャンプが全て決まり、自己ベストを更新しました。フリー男子1位で「あんなに点数が出ると思わなかった」と驚いていました。団体では、仲間と共に銅メダルを獲得。そして満を持して挑んだ個人ショートプログラムでも、自己ベストを更新し「いつも通りに。メダルのことは考えず自分のやるべきことに全力を尽くしたい」と良い緊張が伝わります。
フリーでも素晴らしい滑りを見せ、ネイサン・チェン選手に次ぐ銀メダルを獲得しました。「もっとオールラウンダーに近づきたい。チェン選手、羽生選手、宇野選手みたいに、いろんな部分が評価される選手になりたい」となりたいスケーター像を話した鍵山優馬選手。
実は、父も「最終的には極めてほしい。曲が流れてジャンプが無くてもみんなを引き寄せられる、ジャンプだけ見ていても美しさを見せられる、いろんなことに対して極めたスケーターになってほしいのが願い」と話していたのです。同じ目標を胸に鍛練を続けてきた13年間。鍵山優馬選手、正和さん本当におめでとうございます。
【このコラムの著者】