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ソラーレの明るいムードメーカー!吉田知那美選手

素晴らしい姿を見せてくれるオリンピック選手の中でも、今回スポットを当ててお話しするのは、女子カーリングのロコ・ソラーレ、メンバーである吉田知那美選手です。ムードメーカーとしてチームを鼓舞する声かけなど、メンタル面の支柱といっても過言ではない吉田選手について綴って参りたいと思います。スポーツメンタルコーチ

目次

  • 笑顔のムードメーカー吉田知那美選手

  • 衝撃の戦力外通告

  • 本橋麻里選手への感謝が、メンタルの原動力

  • はじまった北京オリンピック

 

笑顔のムードメーカー吉田知那美選手

「オリンピックに出られると思う?」と聞かれると「うん。出られる。絶対出られる。」と答え、幼少の頃からオリンピックを意識していた吉田知那美選手でした。

 

小学校2年生からカーリングをはじめ中学生の時に、トリノオリンピックの日本代表であるチーム青森に大金星をあげています。「いいショットもたくさんしていた。誇りに思います」と小野寺歩選手にも讃えられています。

 

吉田知那美選手もこの試合終了後「強かった。緊張しました。何回やっても勝てるようになるには、まだ全然時間も必要だし練習量も足りないのでもっともっといっぱい練習しなきゃだなと思いました」と話しています。

 

地元が北海道北見市であるため、本橋麻里選手とも、小野寺歩選手とも昔からの顔馴染み。ジュニア時代に、カーリングを教わっていたのは小野寺歩です。そんな吉田知那美選手の魅力は、ちょっぴりおちょけで、とにかく笑顔な明るい性格、カーリング娘の中でも一番のムードメーカーです。

 

2018年平昌オリンピックでは、銅メダルを獲得したロコ・ソラーレ。地元に凱旋してからのインタビューは、日本中で感動の嵐を起こしました。「7さいの時からこの町で、カーリングを始めました。この町小さい時は何にも無くって、ここにいても絶対に夢は叶わないと思ってました。けどここにいなかったら叶わなかったなって思ってます。場所とか関係なくって叶えたい夢とか、この町でもきっと叶えられると思います。」海外でも彼女たちの笑顔は、特に大注目だったようで、”笑顔勝負なら金メダルだ”と称されました。

 

くじけそうになっても、逆境にめげずに笑顔で前に向かえば必ず報われる。そんなことを教わったようです。

 

笑顔の力は科学的に証明されております。副交感神経を優位に働かせる事がわかっているので吉田選手のような人が1人でもチームにいるとまったく違った雰囲気になるのだと思います。そうやって考えると、チーム競技ほど「笑顔」を大切にしたいものです。

 

衝撃の戦力外通告

平昌オリンピックで輝きを放った吉田知那美選手ですが、順調に階段を駆け上がってきたわけではありませんでした。

 

高校卒業後に入団した北海道銀行フォルティウスでは、ソチオリンピックでも出場している吉田知那美選手。彼女の好リリーフもあり、日本は過去最高タイの5位という結果を残します。

 

しかしその試合が終わったソチで、フジ・ミキコーチと一1対1でミーティングをすることになりました。部屋に入った瞬間からいつものミーティングと違う雰囲気。重苦しい雰囲気の中フジ・ミキコーチが話し始めます。

 

「オリンピックお疲れ様。すごくいいゲームだった。本当のこと言うと知那美がオリンピックでこんなプレーができる選手だとは思っていなかった。よく頑張ったと思う。来シーズンからの新しいチームの話をしようと思う。」

 

そして「そこに知那美はいない。」

 

これを聞いた吉田知那美選手は「頭が真っ白になって。その後もいろんなことを言ってくださっていたんですけど、頭の中には、その言葉は残っていなくて」かなりショックだったようです。

 

当時の代表フジ・ミキコーチは、カナダで知那美が再びカーリングを再会するきっかけとなった人物でもあります。

 

本橋麻里選手への感謝が、メンタルの原動力

戦力外通告をされた彼女は一人旅をしたり、打ちひしがれていたようです。しかし本橋麻里選手の誘いにより、”LS北見”に入団した吉田知那美選手。

 

平昌オリンピック直前のインタビューでは当時を振り返り「すごく難しいですね、それ。でもソチは本当に良い思い出で素晴らしい経験をさせてもらいました。自分の弱さや技術のなさを認められたといもはそう思う。そう考えると、ちゃんと4年たったかなという感じですね」と話されていました。

 

一時は、アイスに立っている姿を人に見られるのが嫌で夜中にこっそり一人でいったりしていたそうです。そんな吉田知那美選手を救ったのは、マリリンの愛称で知られる地元北見市の大先輩でもある本橋麻里選手でした。

 

吉田知那美選手も本橋麻里選手への感謝が、メンタルの原動力の一つです。「今も氷に立てるのは本当にまりちゃんのおかげ。あの人は本当にすごい。」と話します。

 

吉田知那美選手加入のきっかけの一つは実は「おっさんのガヤ」だったと笑いながら本橋麻里選手が教えてくれました。札幌を離れると決まったオリンピック後、カーリング関係の食事会にて顔を出したという吉田知那美選手。

 

べロンベロンになったおっさんたちで和気藹々となった雰囲気の中、誰かが「巨人がだめなら阪神があるぞ」って大声で言ったそうです。みんながどかーんと笑い、本人も泣きながら笑っていたそうです。巨人=北海道銀行で阪神=ロコ・ソラーレのことだったのでしょう。

 

吉田選手加入は大きな賭けだった

吉田知那美選手の加入は大きな賭けであったといいます。しかし吉田知那美選手が大手チームから受けた戦力外通告の悔しさは、当時のロコ・ソラーレには足りないものであったと本橋麻里選手は話します。

 

一番心配していたのは、吉田知那美選手自身もこの途上チームに入って成長できるかどうか、チームを作った理由の一つは「成長してほしい」だったからだそうです。

 

吉田知那美選手も「”このチームで絶対日本大代表になる”と言い切った記憶があります」けれど100%自信があったわけではなく、一人でただ焦って周りに迷惑をかけてみんなを振り回して空回りしていた」と振り返します。しかし、チームメイトは、本橋麻里選手の思い通りの刺激を受けたいたようです。

 

「気付かされることが多かった」「厳しい環境でやって戦力外通告を受けてそういう場所でやってきた彼女にとって私たちはぬるま湯(に浸かっている)意識を変えてくれた人」と話したのは、鈴木夕湖選手。

 

そして妹の吉田夕梨花選手は「ソチオリンピックに姉が出場して多くの人に”お姉ちゃんすごいね”と言われるのが嫌でコンプレックスを抱いていた時期があった。」「最初は意見がぶつかったこともあるけれど、コミュニケーションを重ね自立し始めてそれぞれのポジションに対しての責任、選手に対しての責任、アスリートとしての責任が生まれた。一人のアスリートとして尊敬している」と話しました。

 

本橋麻里選手も『勝利への意志をちな(吉田知那美)が伝えてくれた』という言葉通り、チームは徐々に上向き始め、2017年日本選手権で初優勝し平昌オリンピックへ出場します。そして日本人として世界大会で初となる銅メダルを獲得したのです。

 

大会後「メダルはもちろん嬉しかったけれど、それ以上にとにかく楽しかった」世界の舞台でも多彩なショットを見事に外さずに決める強さを、母の富美江さんは「あの子は大舞台では強いから」と笑って話します。吉田知那美選手も「私、運と勘と緑で生きているんです」とパワーアップしたメンタルを持つ頼もしい吉田知那美選手は、もうロコ・ソラーレに欠かせないメンバーとなったのです。

 

チームのバランスは結果論でしか語ることしかできません。何が原因で良かったり、悪かったりとあるかもしれません。しかし、ロコ・ソラーレのいいところは本橋さんがいる事だと私は思っています。絶対的な存在がいること、それは精神的支柱がいる意味になります。

 

選手としてではなく、裏方に回ってくれる存在を私たちは軽視しがちですが、ロコ・ソラーレの活躍を通じて改めて再確認してほしい内容だと思っています。

 

銀メダル獲得!北京オリンピック

藤澤五月選手は、中部電力時代に肝心の場面でショットを決められない”ガラスのスキップ”とされ、チームに加入した当時も他のメンバーと馴染めずに退団してしまうのではないかと見られていました。

 

その点、海外留学の経験があり英語も堪能、性格も明るい吉田知那美選手は、海外選手と氷の状態など情報交換をするほどのやり手でした。周囲を和ませるおしゃべりを武器に、藤沢五月選手にも積極的に話しかけ空気のように彼女に寄り添い、たくさん癒しを与え、メンタル克服のきっかけを作り出したのです。

 

対照的な二人が力を発揮したロコ・ソラーレは、非常に強いチームとなりました。そしてはじまった北京オリンピック。上位4チームが準決勝に進みます。世界ランキングで、7位の日本。

 

ランキングだけで見ると7位の日本も上位の国にも良い試合ができています。大差がつかないレベルまで食らい付いて行けば、最後の一投で大逆転の可能性が出てきます。

 

2大会連続となるメダルを掴み、笑顔のロコ・ソラーレ、そしてカメラに向かって可愛くおちょけてくれる吉田知那美選手、その姿を通じて感動を届けてくれました。本当におめでとうございます!

【このコラムの著者】

プロスポーツメンタルコーチ/一般社団法人日本スポーツメンタルコーチ協会
代表理事 鈴木颯人

プロ野球選手、オリンピック選手などのトップアスリートだけでなく、アマチュア競技のアスリートのメンタル面もサポート。全日本優勝、世界大会優勝など圧倒的な結果を生み出すメンタルコーチングを提供中。

【プロフィール】フィリピン人の母と日本人の父との間に生まれました。生まれた国はイギリス。当時から国際色豊かな環境で育って来ました。1歳になる頃には、日本に移住しました・・・。>>続きはこちらから

 

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