”うつ病”公表後も進化し続けるトップアスリート、大坂なおみ選手
男女通じてアジア人初となる世界ランキング1位に輝いた経験を持つ大坂なおみ選手。グランドスラムで日本人初となる優勝を果たすなどテニスプレーヤーとして唯一無二の存在です。
インタビューでも明るくポジティブな印象を見せていました。しかし近年うつ病で苦しんでいたことを公表し世間を驚かせました。今回は、大坂なおみ選手についてお話します。
目次
-
女子テニスを”メジャー”にした大坂なおみ選手
-
負けず嫌い以上の”勝利欲”
-
トップアスリートが抱える”うつ病”
女子テニスを”メジャー”にした大坂なおみ選手
1999年の全仏オープンを優勝したビーナス・セリーナのウィリアムズ姉妹に憧れたと言う大坂なおみ選手。大阪府で生まれ育ちましたが、父方の祖父母がいるアメリカのニューヨーク州に移住します。
全米オープンの会場でもあるナショナル・テニス・センターで毎日6時間ほど1歳半違いの姉まり選手と共に練習する日々。小学校3年生になるとフロリダ州に移住します。翌年全国公共公園テニス協会選手権に出場し14歳以下の女子ダブルスで姉まり選手と優勝を果たします。
14歳以下のフロリダ選抜に選ばれ翌年11歳の時に、ヨネックスとスポンサー契約を結んだ大坂なおみ選手。プロツアー出場資格が得られる14歳にITFサーキット「モンテゴ・ベイ大会」でプロデビューを果たしました。ジュニア大会を意図的にスキップし、厳しい環境を求めて常に年長者たちと戦うためプロツアーの下部大会に出場。
その年代からトップ選手たちの緊張感や彩られた煌びやかさを肌身で感じる経験をしてきました。そして”世界で1位、グランドスラムで優勝する”と言う幼少期からの夢が具体的な形となってきました。
当時からストイックさは半端なものではなかった大坂なおみ選手。18歳の誕生日を迎えると疾風の如く瞬く間にプロテニスプレーヤーの階段を駆け上がっていきました。全豪オープンで予選を突破し本戦に初出場。ツアー大会でもシード選手に勝利し、パワーやストロークではトップ10に入るプレーヤーとも戦える手応えを掴みました。
足りないのは”経験と戦略”だと分析するなど自らも客観的に捉える冷静さも兼ね揃えていました。欧米と日本のどちらでも馴染みがあるからと母がつけた”なおみ”という名前。
日本文化に対しても高い適応力を持ち、豊かな国際色とユニークな個性で女子テニスを一気にメジャーにした選手と言っても過言ではありません。
負けず嫌い以上の”勝利欲”
大坂なおみ選手が本格的にテニスを始めたのは3歳のころですが、実際にはもっと前からボールを投げたり追いかけたりしていたと言います。姉まり選手が父と練習するのを傍らで見ていました。なぜテニスだったのか「お父さんが始めたことだし、私は自分で決断するには幼すぎたもの」と話した大坂なおみ選手。それほど家族にとってテニスは、物心ついた時にはすでにそこにあったものでした。
バスケットボールや陸上そして北海道のハーフマラソンに出場した経験もあり、スポーツは何でも大好きな父レオナルド氏。当時”たまたま”友人とハマって楽しんでいた数あるスポーツで選択肢の一つだったテニス。のちに娘の人生の大部分を占めることになるとは思いもしなかったそうです。たまたまが違うスポーツだったら、他のスポーツの選手になっていたのでしょうか。しかしテニスに対しての子供の頃の記憶は、決して楽しいものではなかったという大坂なおみ選手。
物心ついて最初の記憶は、練習相手の打球が顔面を直撃したトラウマになりかねないものでした。そして常に練習相手が父と姉だったため、負ける日々の連続で”今日はやりたくない”と思う日々。それが幼少期のテニスに対する記憶だったそうです。
姉には勝てない、父には怒られる、自分が一番弱い状態が毎日続くタフな環境にも途中でテニスを止めることはなかった大坂なおみ選手。姉に勝った時が今までで2番目に嬉しかったと話しました。「負けてもやりたいくらい、テニスが好きなんです。今は誰が相手でも200%”負けたくないと思っているはず」と話す父レオナルド氏。
負けたまま逃げるわけにはいかない”というアスリートには欠かせないメンタルの強さが幼少期から芽生えていたのです。たくさん負けてきたからこそ”どうやったら勝てるのか”ということも考える大坂なおみ選手。相手がどういう選手か理解し、どう対戦するかを見つけるために常に観察をすることもプレーの一部なのです。
トップアスリートが抱える”うつ病”
男女通じアジア人初となる世界ランキング1位、日本人初のグランドスラムシングルス優勝、日本人史上3人目となるWTAファイナルズ出場、WTAアワード年間最優秀新人賞と輝かしく記録を更新してきた大坂なおみ選手。グランドスラム優勝とサラッと話したものの国際テニス連盟が定めた4大大会全てで優勝するということは並大抵のことではありません。
そんな大坂なおみ選手が、長年”うつ病”に悩んでいたことを公表しました。始まりは「記者会見には出ない」と発言したことです。”選手のメンタルヘルスに対する十分な配慮がないから”という理由。全仏オープンも途中で棄権しました。スポーツとマスコミのあり方など議論が湧き起こり大注目されました。
現役のアスリートが自らメンタルヘルスに関して発言したことは初めてで「勇気ある行動だ」と賞賛の声があがりました。また公表後に多くの反響があったことに驚きながらもたくさんのアスリートと話したという大坂なおみ選手。「自分も同じだ」と声を挙げられない選手が多くいたそうです。
「他の選手にも声を上げる機会が生まれたことは単純に嬉しい。このように論議する機会が必要だった」と話しました。言い出しづらいことも話すのは、誰にとっても勇気が必要なことです。しかし、大坂なおみ選手の勇気が多くのアスリートを救ったのでした。公表後の試合で「戻ってきて戦えることを証明したかった、勝っても負けてもできる限りベストな姿勢で居ようと思った」と話した大坂なおみ選手。
観客のヤジに涙し、本来の力を出し切れず2回戦敗退を喫する事もありました。それまでブーイングされたことはあっても直接的に何かを叫ばれたりヤジを言われることはなかったそうです。「今は心構えを少し変えて、そういうことが起こりうるんだということを試合前に考えている」と気持ちを消化できたのでした。
幼い頃から強いメンタルを身につけ、数々の大会で記録を塗り替えてきた有名アスリートのうつ病公表には、驚いた人も多いでしょう。追い込まれた状況でも”少し考え方を変えること”で問題解決できることがあります。まず知ってもらうこと、自覚すること、声をあげて発信することが必要なのです。
今回は、大坂なおみ選手についてお話しました。”あんなに強いメンタルを持つアスリートでもうつ病になることがある”と逆に気持ちが軽くなった一般人の人も多かったと思います。
アスリートだけでなくうつ病に悩む多くの人を救った大坂なおみ選手。テニスプレーヤーとしての実績はもちろん、人間的な弱さを見せられたことで親近感を持つファンも増えたはずです。アスリートとして輝き続けることは簡単なことではありませんが、たくさんの困難を乗り越えて進んでいく姿を一ファンとしてこれからも見守り続けたいと思います。
合わせて読みたい記事
【このコラムの著者】