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淡々と冷静にゴルフと向き合う優等生、西郷真央選手

伝説的プロゴルファーであるジャンボ尾崎氏に指導を受け、全国3連覇を成し遂げた中学時代、そして高校でも素晴らしい成績を残した西郷真央選手。最年少プロテスト合格者となりました。

 

「プロのなかでもゴルフ頭脳はトップではないか」と師匠のジャンボ尾崎氏も唸るその才能を発揮して優勝を飾り、賞金ランキング4位、世界ランキングへ最高で14位となる活躍を見せました。今回は、プロゴルファー西郷真央選手についてお話します。

スポーツメンタルコーチ

目次

  • ”プロ最年少合格者”の西郷真央選手

  • ”師匠に対してもブレずに主張できる”強いメンタル

  • ”あと一歩”を身につけ、卒業したシルバーコレクター

 

”プロ最年少合格者”の西郷真央選手

西郷真央選手がゴルフを始めたのは5歳の時。ゴルフ好きの父の練習についていき、クラブを握ったのがきっかけだったそうです。10歳の頃にはミズノゴルフアカデミーにて針谷勉氏から本格的にゴルフ指導を受け始めました。初のホールインワンを出したのは小学校5年生の時で、この頃からゴルフが上手い人は?という話になった時「私の名前が出てくるくらい強いプレーヤーになりたい」と夢を持ち始めました。

 

6年生の時に”彩の国ジュニアゴルフ大会”そして卒業前に出場した”第33回全国小学校ゴルフ選手権 横尾要カップ”でも優勝を果たします。強豪校の麗澤中学校に進学すると1年生の時に”関東中学校ゴルフ選手権”で優勝。”全国中学校ゴルフ選手権大会”団体戦では3年連続の優勝の快挙を達成します。”世界ジュニアゴルフ選手権でも13歳、14歳の部で4位タイで入賞。麗澤高等学校にそのまま進学し、1年生の時に尾崎将司氏が主催したジュニアレッスン会に参加したことがきっかけで”ジャンボ尾崎ゴルフアカデミー”の第1期生として入門することになりました。

 

師匠であるジャンボ尾崎氏からつけられたのは「西郷(せご)どん」の愛称。2年生の時に”関東高等学校ゴルフ選手権”で優勝を果たします。”日本女子アマチュアゴルフ選手権競技”では、ノーシードから有力と評判高かった選手にも引けを取らないゴルフパフォーマンスを見せます。そして、最終日最終組で2打差のスタートから2位の選手に2打差をつける逆転優勝を飾ったのでした。

 

1999年プロ受験開始年齢が18歳以上に決まり高校3年生の西郷真央選手の受験も認められたため、プロテストに挑戦。すると18位タイでテスト一発合格し、最年少として日本女子プロゴルフ教会会員に正式登録されました。高校卒業後は、日本ウェルネススポーツ大学に入学。「プロテストに合格してツアーに参戦できるようになったということで50点。でももっと上を目指したい」と話した西郷真央選手。”スポーツプロモーション”という学部のみを設置しているこの大学で思いっきりゴルフに専念し、万全の環境で挑戦を積み重ねていきます。

 

客観的に自身をストイックに評価する大人びた表情を見せる反面、ゲットした賞金で車を大人買いしたことやYouTubeに登録しているチャンネルが漫才師かまいたちでお笑い好きであるというあどけない少女の顔も見せます。

 

大学2年生の時には、島津製作所と契約し「共に世界を目指す」とコメント。このシーズンの”ダイキンオーキッドレディースゴルフトーナメント”でプロ初優勝を果たすと”アサクサレディースゴルフトーナメント”と”ヤマハレディースオープン”でも連勝を重ね、一気に飛躍しました。

 

”師匠に対してもブレずに主張できる”強いメンタル

「ゴルフに対する考え方や取り組み方が優等生。プロのなかでもゴルフ頭脳はトップではないかと思う」と師匠であるジャンボ尾崎からもゴルフに対する姿勢を評価される西郷真央選手。”海外で通用する選手になる”という小学校の頃から抱いていた夢のため、成人式にも参加せず練習を積み重ねてきました。

 

父の練習についていき「自分も打ってみたい」と感じ、ボールが飛ぶことに面白みを感じたのが、ゴルフをした時に感じた気持ちだったそうです。試合に出始めると「強くなりたい」という強い思いで本格的に練習に励むようになりました。

 

まだ遊びたい盛り中学校の時にも「遊びたい気持ちと試合で勝ちたい気持ちと(比べると)試合で勝ち合いっていう思いの方が強い」と自身の力を精一杯出すという思いを話し、すでに将来はプロになることを見据えていた西郷真央選手。

 

着実に力をつけて大会で優勝を重ね挑んだプロテスト。不安で落ちたらどうしようと考えながらも「マイナスの方に考えると結果も悪い方にいってしまうと思ったので”絶対に通る”」と信じていたと言います。

 

そんな西郷真央選手は、ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーに入って間もない頃の中学校3年生の時「私はこれで行きます」とジャンボ尾崎の指示よりも自己流を貫いたそうです。父はファンであったと言いますが、本人はジャンボ尾崎氏の絶世期は知らない世代である西郷真央選手。試合前でスイングをいじりたくないという事情もあったそうですが、それでも師匠に自分の意見を通すということは、なかなかの怖いもの知らずです。

 

尾崎氏も「俺に刃向かった奴は初めてだ」と話していました。もちろん当時から師匠として尊敬し、自信が深まった師弟関係であったと言いますが、そんななかでも”自分の考えはブレずに主張し行動できる”そんなメンタルの強さを中学3年生にして既に身につけていたのです。

 

”あと一歩”を身につけ、卒業したシルバーコレクター

100人以上が出場する試合でも優勝者はたったの一人、それがゴルフの世界。負けることの方が圧倒的に多い中で「また負けた」「また勝てない」と言われるのは、常に優勝争いをしている証拠なのです。しかしいくら新人らしからぬ活躍を見せても、ストイックな西郷真央選手は”シルバーコレクター”と言われる度に複雑な心境だったことでしょう。

 

プロデビューから届きそうで届かない優勝への道のりは、本人にとって実際の2年よりも更に長く感じていたのかもしれません。初日に首位発進しながらも最終日にスコアを落とすことを何度も経験しました。しかしこの悔しい経験で強いメンタルを身につけたのです。

 

ショット、パッティング、マネジメント、メンタル全ての面で感じていた優勝する選手とのあと一歩の差。ショートゲームの強化、アプローチの基礎を見直し「悔しいって思いながら練習した」と言います。また「ミスに対して怒りがこみ上げてくるのはしょうがない。次の一打に入る前に気持ちをリセットする」ことも意識して心掛けたそうです。この”あと一歩”を埋めるための努力が実を結ぶことになります。

 

最終日に5打差をひっくり返すという大逆転劇で、待ちに待った初優勝を飾りシルバーコレクターを卒業した西郷真央選手。この優勝に満足することなく「複数回優勝できるように」と持ち前のストイックさと更に上へと進んでいく勝利欲を見せ、強いメンタルを手に入れたことでさらに優勝を重ねて行きました。

 

今回は、西郷真央選手についてお話しました。幼い頃から”遊ぶことよりゴルフで強くなりたい”という思いの強さ、ゴルフ界のレジェンドの前でも”私はこれで行きます”と自己流を貫き曲げなかった意志の強さ、”あと一歩”を埋めるための試行錯誤に向き合う強さ。常にステップアップしてきた強いメンタルで、優勝を掴んだのです。さらに優勝を積み重ね、今後の大会でも西郷真央選手の活躍を願っています。

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【このコラムの著者】

プロスポーツメンタルコーチ/一般社団法人日本スポーツメンタルコーチ協会
代表理事 鈴木颯人

プロ野球選手、オリンピック選手などのトップアスリートだけでなく、アマチュア競技のアスリートのメンタル面もサポート。全日本優勝、世界大会優勝など圧倒的な結果を生み出すメンタルコーチングを提供中。

【プロフィール】フィリピン人の母と日本人の父との間に生まれました。生まれた国はイギリス。当時から国際色豊かな環境で育って来ました。1歳になる頃には、日本に移住しました・・・。>>続きはこちらから

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