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セカンドキャリアで輝きを増すヒロイン、浅田真央選手

アジア人として初めて1大会で3度のトリプルアクセルを成功させた浅田真央選手。幼い頃から数多くの大会で入賞を重ね、日本にフィギュアスケートブームを引き起こした選手と言っても過言ではないアスリートです。韓国で”国民の妹”と称されたキム・ヨナ選手との良いライバル関係も話題となりました。今回は、浅田真央選手についてお話します。

スポーツメンタルコーチ

目次

  • 14歳でトリプルアクセルを成功の”天才少女”

  • ”天と地”のオリンピック

  • 結果以上に納得感を持つことがセカンドキャリアにも影響する話

 

14歳でトリプルアクセルを成功の”天才少女”

愛知県名古屋市出身の浅田真央選手。名前の由来は、父が女優の大地真央さんの大ファンだったからだそうです。尊敬する伊藤みどりさんの衣装を着て競技に出場した事もあり「みどりさんの衣装を着るといつも調子が良い」と話した浅田真央選手。長野オリンピック金メダリストのタラ・リピンスキーさんにも憧れ「彼女の演技を見てオリンピックに出たいと思うようになった」と話しています。

 

そんな浅田真央選手がスケートを始めたのは、5歳の時。姉の舞選手と共にスケートリンクに遊びに行ったことがきっかけでした。安藤美姫選手も通っていた名門クラブでスケートを学び、3から12歳までバレエのレッスンも受けていました。元々スケートを始めたのもバレエで使用する足首を鍛えるのが目的だったそうです。

 

真央選手と同じく懸命だったのが母の匡子さん。フィギュアスケートの経験はありませんでしたが、娘の浅田真央選手を強くするために独学で学びました。長野オリンピック金メダリストタラ・リピンスキー選手の本を読み、映像を見て研究。周りから「素人が何やってるんだ」と言われても一切怯む事なく真央選手と二人三脚でスケートに没頭する日々を送りました。

 

小学校6年生の時に3回転フリップ・ループ・トウループのコンビネーションジャンプを成功させ「天才少女」として注目を浴び、一躍有名人アスリートの仲間入りを果たします。全日本ノービス選手権では2000年?2004年(10歳?14歳)までA・Bクラスの4年連続で優勝。14歳で出場したジュニアグランプリの3戦全てで優勝し、グランプリファイナルでは女子ジュニア史上初のトリプル(3回転)アクセルを成功させました。

 

全日本ジュニア選手権で初優勝、シニアクラスの全日本選手権でもトリプルアクセルを決め準優勝、世界ジュニア選手権でも優勝を飾りました。天才アスリートと呼ばれた浅田真央選手は、順調に一流アスリートへの階段を駆け上がっていったのです。

 

”天と地”のオリンピック

2010年バンクーバーオリンピックに出場した浅田真央選手。女子シングル史上初となる1競技中に3度のトリプルアクセル成功の快挙を達成しました。しかし、観客を魅了する完璧な演技を見せた韓国キム・ヨナ選手に敗れ、惜しくも銀メダル。4年後の2014年ソチオリンピックで悲願の金メダルに挑みました。

 

しかし女子ショートプログラムで浅田真央選手に起こった悪夢。ミスが続きまさかの16位スタートとなり「何も分からないです。自分の頭の中も考えも体も全く動かなかったです。滑っていていつもの練習のような状態ではなかったです」と演技後のインタビューに応えた浅田真央選手。何も考えられない中でここまで正確に気持ちを言葉にできるのは”さすが一流アスリート”だと感じましたが、”生気を失ったかのような表情”に世界中のファンが驚きを隠せませんでした。

 

翌日のフリーでは、さまざまな思いを抱えながらも強いメンタルで滑り切った浅田真央選手。その懸命な演技は、多くの人に感動を与えました。冒頭のトリプルアクセルを見事に成功させ、6種類の合計8回の3回転ジャンプを無事滑り切りました。自己ベストのスコアを叩き出し、フリーで3位となりましたが、前日のショート16位が響き総合6位。惜しくも表彰台には届きませんでした。しかし6位の選手の演技とは思えないほど観客の拍手が耐えることなく浅田真央選手を包み込みました。

 

満面の笑みも浮かべた後、全てのプレッシャーから解放されたようなその目には涙が溢れました。4年前の悔しい思いと違った涙は、これまでのスケート人生を噛み締めたかのように感じました。多くの感情やプレッシャーに押し殺されそうななかで滑り切った安堵も混じり、悔しさやたくさんの人への感謝も感じられた喜怒哀楽の全てが感じられるそんな表情。当日の公式練習では、まだ気持ちの整理がついていなかったそうです。そんな状態の浅田真央選手に声をかけたのは、姉の舞さんだったと言います。

 

厳しくも愛情のこもった叱咤激励をはじめとして言葉。そして誰よりも浅田真央選手の演技を楽しみにしていた母の匡子さんへの思いもあったはずです。「最後は覚悟を決めてリンクに立ちました」「昨日はすごく悔しい思いをして心配してくださった方もたくさんいると思いますが、こうして自分の中で最高の演技をできたので恩返しができたと思います」とフリーの演技の後のインタビューで応えました。ソチではショート、バンクーバーではフリーをミスしたことで悔しい思いが残りましたが「(オリンピック)2つ合わせて考えると全てを達成できて満足。

 

オリンピックでしか返せないものを返せました」と2つのオリンピックを振り返りました。ソチでのショートとフリーについて「天と地の差でした」と表現しました。天才少女と注目されてきた彼女にとって今回のような”地”というのは初めてだったに違いありません。しかし”地”のままではなく、母の匡子さんのところまで届くような”天”の演技をやり通したのです。

 

結果以上に納得感を持つことがセカンドキャリアにも影響する話

トリプルアクセルを軽々と跳び”天才少女”と呼ばれた浅田真央選手。しかし、連戦連勝の無敵の女王のままだったらこれまでに感動を与えることはできませんでした。今まで懸命にスケートをしてきた強いメンタルを持つ浅田真央選手だからこそ”伝説”となったのです。

 

メダルや順位などの結果だけがアスリートの目指すものではないとわかるのが、引退会見で浅田真央選手が話した言葉。引退の決断を「人生の中の一つの通過点」と話し「フィギュアスケートでやり残したことは一つもない」とすっきりした気持ちを明かしました。納得して出した結論。そして「この先も新たな夢や目標を見つけて笑顔を忘れずに全身していきたい」とさらなる夢も語りました。

 

競技生活を終えてもアイスショーで活躍するフィギュアスケーターは多いです。特に浅田真央選手は国民的ヒロインとして注目された人気者。元アスリートがセカンドキャリアに進む時、最も重要なことは競技生活ときちんと決別することだといいます。しかし、現役引退時に”悔いがない”とはっきり言い切れるアスリートは珍しく、戦力外通告やスポンサーの打ち切りなどで競技生活を続けられなくなってしまった選手が断然多いのが現実。そう考えると浅田真央選手は、幸せなアスリートだったようです。

 

元アスリートは、”スポーツだけをやってきて狭い世界しか知らない”また”基礎的な知識が不足している”と言われることもありますが、勉強ばかりしてきた人や趣味ばかりに打ち込んできた人も”狭い世界”しか知らず偏った考え方であることは同じです。スポーツに打ち込んだことで”人の心を読む力”や”感情のコントロール”そして柔軟な考え方や広い視野を持ち合わせていると言えます。

 

さらに厳しい練習で培ってきた強いメンタルやここぞという場面での勝負強さも元アスリートならではの強み。そう考えるとアスリートの転職は、一般の人よりも有利なはずだといえます。セカンドキャリアに進まれるアスリートのみなさんには自信を持って歩んで頂きたいと考えます。

 

今回は、フィギュアスケーター浅田真央選手についてお話しました。天才少女と呼ばれた国民的ヒロイン。オリンピックでは”地”を経験しながら”天”まで這い上がったメンタル復活劇は、多くの人に感動を与えました。セカンドキャリアではさらなる輝きを増す姿を見れることが楽しみです。今後も新たな夢に挑戦する浅田真央選手を応援しております。

 

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【このコラムの著者】

プロスポーツメンタルコーチ/一般社団法人日本スポーツメンタルコーチ協会
代表理事 鈴木颯人

プロ野球選手、オリンピック選手などのトップアスリートだけでなく、アマチュア競技のアスリートのメンタル面もサポート。全日本優勝、世界大会優勝など圧倒的な結果を生み出すメンタルコーチングを提供中。>> 今も増え続ける実績はこちら

【プロフィール】フィリピン人の母と日本人の父との間に生まれました。生まれた国はイギリス。当時から国際色豊かな環境で育って来ました。1歳になる頃には、日本に移住しました・・・。>>続きはこちらから

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