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頼れるチームの存在で安定したメンタル、松山英樹選手

レクサス(トヨタ自動車)に所属するプロゴルファーの松山英樹選手。日本人最年少でマスターズ予選を通過した記録を持ちます。アマチュア時代、日本人として初めてマスターズ・トーナメントに出場し、アマチュア選手最高位となるロー・アマチュアのタイトルを獲得。プロ転向後には、日本史上初となるルーキーイヤーでの賞金王に輝きました。今回は、松山英樹選手についてお話します。

目次

  • ルーキーイヤーでの快挙連発

  • メンタルを安定させる”運命の出会い”

  • ”他人を頼る力”の大切さ

 

ルーキーイヤーでの快挙連発

愛媛県松山市出身の松山英樹選手。ゴルフを始めたのは4歳の時、日本アマチュア出場経験もある父の影響でした。中学2年生の時に”ゴルフ環境を整える”という目的でゴルフ部のある明徳義塾中学へ転校することを決意しました。

 

高校も明徳義塾に進み、2年生の時に全国高等学校ゴルフ選手権で優勝。日本ゴルフ協会(JGA)のナショナルチームにも選出されました。東北福祉大学に進学後も日本人として初めてアジアアマチュア選手権で優勝し、マスターズ出場を決めました。予選も難なく通過し、日本人初のローアマチュアのタイトルを獲得しました。

 

その年に行われた夏季ユニバーシアードで個人、団体共に金メダルを獲得。三井住友VISA太平洋マスターズでも日本人史上3人目となるアマチュアでのツアー優勝を果たしました。この活躍でR&Aによる世界アマチュアゴルフランキングで日本人初となる1位に輝いた松山英樹選手。

 

その後プロに転校を決意しましたが、しばらくは在学中の東北福祉大学に籍を置いたまま主将を務めながら活動をスタートさせました。ゴルフ協会などとの事務手続きや大会中のホテルの手配などのサポートは、東北福祉大学が行いました。大学OBでプロキャディの経験も持つ進藤大典氏がキャディを、同じく大学OBの金田相範氏がトレーナーを務め3人チームでルーキーイヤーを戦ったのです。

 

プロ2戦目となる大会で逆転優勝を飾った松山英樹選手。全米オープンで10位タイ、全英オープンに出場6位タイの成績を残し、日本人初となる海外メジャー2戦連続10位以内の快挙を達成しました。震災復興を心から願い、支援する基金も設立。バーディー1つ毎に1万円とイーグル1つ毎に2万円を積み立て、被災した子供たちへの支援に役立てたのでした。

 

プロ初年度に4勝を達成し、史上初となるツアー初参戦ルーキーイヤーで賞金王を獲得した松山英樹選手。獲得賞金2億円突破は、尾崎将司氏をも抜き去る史上最速のプロデビューから16試合で達成の快挙となりました。この年のジャパンゴルフツアー表彰式では、最優秀選手賞、賞金ランキング、最優秀新人賞など史上最多となる9冠を達成。

 

華々しいルーキーイヤーを飾るとトヨタ自動車と契約を結び、レクサスへ所属することが決定しました。大学卒業後も22歳で米ツアーを制覇。日本人として初となる記録や最年少記録を打ち立てながら世界で成長を続け、日本人及びアジア人史上初となるマスターズトーナメント優勝を果たしました。そして菅総理大臣から内閣総理大臣顕彰を授与されるほどの選手に成長したのです。

 

メンタルを安定させる”運命の出会い”

高校時代に全国制覇を果たし、数々の快挙を達成してきた松山英樹選手。才能を過信することは一切無く、米ツアーのなかでもトップクラスに入るほどの練習量で”完璧を追求する頑固者”と自称するほどストイックに過ごしてきました。しかしミスの原因も追求しすぎるため、メンタルが弱ってしまうことも多くプレーに悪影響を及ぼすこともありました。そんな時に出会ったのが目澤秀憲コーチ。

 

主にアメリカ女子ツアーで戦う河本結選手を指導していた人物です。東北福祉大学在学中にプロ転向を決意して以降、特定のコーチをつけることがなく世界で戦ってきた松山英樹選手。そのため目黒秀憲コーチとの契約は、ゴルフ界を驚かせたそうです。

 

目澤秀憲コーチは、日本大学ゴルフ部を卒業し、指導者の道を歩み始め、TPIというアメリカティーチングプロシステムのレベル3を取得した日本で数人の指に入る指導者の一人。TPIとは、世界的ゴルフメーカーであるタイトリストが設立したアメリカのゴルフの総合研究機関です。

 

世界ランク40位に入る選手のうち、35人のプレーヤーのチームにTPIの資格を持つトレーナーや理学療法士たちが所属しているというデータがありました。お互い名前は知っているだけで面識はなかった二人でしたが、共通の知人を通して松山英樹選手からコンタクトを取ったそうです。

 

米ツアーで勝てない日々が続き、悔しさを募らせながらも懸命に戦ってきたなかで自身の理論や感性を磨いてもメジャーで頂点を狙うことに限界を感じ始めていた松山英樹選手。”何かを変えなければならない”そう考えた時に目澤秀憲コーチの存在にたどり着き、多忙である彼とタイミングを合わせることができたのです。

 

河本結選手が出場した全米女子プロツアーを終え、松山英樹選手の元に急遽駆けつけた目澤秀憲コーチとのさまざまな会話は、新鮮な刺激を与えてくれたと言います。「いろいろなアイデアが出て毎日のように新たな発見があって、それらが良い方向、悪い方向にいく中で良い方向に行きました」と話した松山英樹選手の穏やかな表情が、メンタルの安定を物語っていたのです。

 

”他人を頼る力”の大切さ

目澤秀憲コーチとの運命の出会いでゴルフに対する何かが変わり始めた松山英樹選手。自身を客観的に見ることができるようになったそうです。目澤秀憲コーチがコーチングする上で最も大切にしていることは”自分自身が理想とするスイングに選手を当てはめないこと”そして”しっかりと話を聞く”姿勢だと言います。

 

松山英樹選手より1歳年上で年齢も近く、日本語で細かいところまでコミュニケーションが取れることで一人で悩む時間が無くなりました。その結果、心技体の全てをプレーだけに集中できるようになったのです。

 

お互い知り合い、正式にコーチとして就任すると目澤秀憲コーチの手腕がさらに発揮。得意とするデータ分析を介したコーチングも加わり、初めて特定のコーチをつけたシーズンの変化が徐々に現れ始めました。

 

多少ミスをしても引きずらず、すぐに気持ちを切り替えられるほどメンタルが安定した自分自身を「”波風を立てない状態”で集中できた」と表現した松山英樹選手。スポーツの中でも特にメンタルを必要としますが、レベルが高くなればなるほどメンタルによって結果が左右されるゴルフ。個人競技であっても世界でトップを争うプロゴルファーたちは、チームを組んで戦っています。

 

スイングやメンタル、フィジカル面はもちろんですが、ギア(道具)に至るまであらゆる分野の専門家や企業が選手を支えているのです。才能はありながらも世界でトップを目指すことに限界を感じた松山英樹選手。

 

復活を支えてくれたのは、コーチやチームの存在でした。”他人を頼る力”を持てないために、壁にぶつかったまま乗り越えることができず潰れてしまうアスリートもたくさんいます。素晴らしいチームに恵まれる縁も選手にとって重要なこと。そして他人に身を委ね頼ることもまた選手として大切なことなのです。

 

今回は、松山英樹選手についてお話しました。アスリートが心技体100%プレーに集中するためにチームの存在は不可欠なもの。スキルや知識はもちろんですが、何より選手に”頼られる存在”でなくてはならないのです。サポートする側の大切さを再認識しながら今後も多くのアスリートそして松山英樹選手の更なる活躍が楽しみです。

 

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【このコラムの著者】

プロスポーツメンタルコーチ/一般社団法人日本スポーツメンタルコーチ協会
代表理事 鈴木颯人

プロ野球選手、オリンピック選手などのトップアスリートだけでなく、アマチュア競技のアスリートのメンタル面もサポート。全日本優勝、世界大会優勝など圧倒的な結果を生み出すメンタルコーチングを提供中。>> 今も増え続ける実績はこちら

【プロフィール】フィリピン人の母と日本人の父との間に生まれました。生まれた国はイギリス。当時から国際色豊かな環境で育って来ました。1歳になる頃には、日本に移住しました・・・。>>続きはこちらから

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