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スポーツ選手が口を揃えて話す言語化に潜む罠

言語化をすることが求められる場面が増えました。日本ではサッカーでよく言語化と言われます。

しかし、言語化する事で本当にサッカーが上手くなるのでしょうか?例えば現役を引退されたばかりの大久保嘉人さんがご自身のシュートについてこう話してます。「腸を潰す感じで蹴る」この表現はどう考えても他人では到底理解できない話であります。しかし、ご本人には理解できている話なんです。

今回は言語化による弊害をスポーツメンタルコーチ目線で綴っていきます。

目次

  1. 言語化が限界の理由
  2. 言語化よりも感覚が大切な理由
  3. 言語化できたら競争が激しくなる

 

 

 

言語化の限界

 

我々が言語化に求められることは1つです。それは、単に言語化するだけでなく「言語化されたことが他人にも理解できてこその言語化」になるという定義が無意識にあります。そして、再現性を求める上で言葉にする必要があると思っている方が多いのです。

 

そこで私が言語化によって危惧していることがあります。それが言語化によって選手にしかもっていない独特な感覚を失ってしまう怖さです。

 

そこで私は声を大にして伝えたいことがあります。それが、「私たちは感覚を言語化出来るのでしょうか?」この質問について私は限りなくNoに近いと考えています。

 

例えば、私が患ったことが腰椎ヘルニアの悲痛にも似たあの痛み。この痛みを言葉に表現しても万人に伝わるのでしょうか?何となく伝わっても、完璧に伝わることはないと思うのです。それ以外にも、メンタル的に落ち込んで心が痛いと感じることもあると思います。しかし、それすら他人が完璧に共有できるのでしょうか?

 

それと同じように技術的な感覚も同じことが言えます。技術の細かいところが伝わりそうであっても、完璧に伝わらないのが技術なのです。

 

言語化よりも感覚を大切にしたい理由

 

そこでもう一度聞きたいことがあります。それが、「言語化する目的は一体何なのか?」この目的が明確にしたいのです。おそらく、私が思っているところでは再現性を求める指導者の意図を感じてます。指導する側の人間が相手の気持ちや感覚を理解し、納得したいだけなのではないか?と思っています。

 

しかし、その納得感のために失われてしまう選手の未来を痛烈に感じるのです。なぜならば、無理に言語化された技術が結果的に陳腐化されて選手の才能を潰しかねないと思うのです。

 

前置きが長くなりましたが私はスポーツメンタルコーチとして2011年より選手のサポートをし続けています。中にはオリンピックでメダルを獲得した選手やプロ競技で活躍する選手を陰で支えてきました。

 

そんな中で感じるのが、選手が話す感覚的なところはコーチやトレーナーであっても到底理解できないということです。理解できそうな気持ちにはなりますが、完璧に理解するなんて無理です。スポーツメンタルコーチでありながらも、選手の気持ちを100%理解するのは無理だと思っています。なぜならば、その場に立てる人間は選手だけだからです。

 

私自身、うつ病を2011年に経験しています。精神科に通い、先生と会っては症状を聞かれます。薬を飲んでいなくても、薬が効いていると言われた時には本当の意味で自分の症状を理解できる人なんていないと気付きました。つまり、自分の感覚を理解できる人はいるようにみえていないのです。それが真実であり、本質だと気付きました。

 

なので、感覚の共有には限界があると思っています。感覚の共有は限りなく出来そうに見えて出来ないと思っています。例えると、料理本に書かれているレシピ通りにカレーを作っても同じように再現できるとは限らない話と同じだと思っています。

 

言語化できたら競争が激しくなる

もし、感覚を言語化できたらとしたらある弊害があります。本当の意味で言語化できるのであればどの選手も同じように技術を取得する事ができ、より一層の競争激化のスポーツ界が待っているはずです。しかし、それが現実として起きていないのは言語化で継承されているはずの感覚や技術が伝わりきれていない現実があるのです。

 

もし、本当に言語化が再現性を生み出す上で大切だとしたら誰もが結果を残せるはずです。しかし、そのような現実にならないのは言語化する能力がないからだと話す指導者がいます。しかし、それは本当なのでしょうか?むしろ、選手にしか感じることができない感覚を無理に言語化すること自体に限界があるのではないのでしょうか?

 

だったら、無理に言語化するよりも選手自身の感覚をもっと高めていく必要があると思うのです。他人に理解されることよりも、自分の世界感を大事にしていくことの方が言葉のレパートリーが少ない幼少期の選手にとっては無理がないと思うのです。

 

スポーツだけで例えるだけでなく、音楽や芸術の世界などでは言語化できない世界があります。それがトップの世界です。奏でる音、ちょっとした感覚の差、繊細な色使いや、配色。どれも言語化には限界があります。この言語化こそがサイエンスと称されます。

 

私自身、脳科学や心理学、スポーツ科学を勉強してきました。しかし、最後はアート(感性)の部分が1番なんです。心の声に従った判断ほど最適解はないのです。それを「自己決定理論」と言います。この自己決定感を持てると心の葛藤がなくなり、結果も出しやすくなります。特に、経験や知識が豊富なプロアスリートほど陥るジレンマを乗り越えやすいです。

 

まとめ

 

指導者との共通認識を深める上での言語化はどうなのか?この問いにも限りなく限界があると思います。むしろ、指導者の納得感のために言語化が流行ってるとしか思えないです。

 

表向き、再現性を求めるために言語化することに価値を見出しているように見えます。しかし、スポーツしかしてこなかった子が急に表現力豊かな単語を並べて話すことは到底不可能だと私は思っています。

 

それ以上に、大人である指導者が子供たちに話した際に返答が返ってこない怖さや、指導者自身が伝えたことをちゃんと理解してもらえてるのか?その確認でコミュニケーションを図ってると思うのです。

 

結局、指導者としては選手の感覚の共有をはたしてこそ初めて相手を理解できると思っていたり、何となく言語化することが技術の再現性を高める上で大事だと思い込んでると感じます。

 

もちろん、感覚的なことを言語化することで得られるメリットはあります。技術を言語化する以上に、どんな言葉も受け取れる力や理解力、そしてコミュニケーションが言語化以前に必須だと思っています。そのためにも、本をもっと読んでほしいのです。それは、とくに指導者に伝えたいメッセージです。

 

言語化できるものは全てコピーが出来ます。つまり、唯一無二の存在になりたいのであれば言語化出来ない孤高の世界に旅立つ必要があります。ご参考までに。

 

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【このコラムの著者】

プロスポーツメンタルコーチ/一般社団法人日本スポーツメンタルコーチ協会
代表理事 鈴木颯人

プロ野球選手、オリンピック選手などのトップアスリートだけでなく、アマチュア競技のアスリートのメンタル面もサポート。全日本優勝、世界大会優勝など圧倒的な結果を生み出すメンタルコーチングを提供中。>> 今も増え続ける実績はこちら

【プロフィール】フィリピン人の母と日本人の父との間に生まれました。生まれた国はイギリス。当時から国際色豊かな環境で育って来ました。1歳になる頃には、日本に移住しました・・・。>>続きはこちらから

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