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原辰徳監督、独自の哲学を持つ名指導者の選手起用

アスリートの望む結果にメンタル面でサポートするスポーツメンタルコーチの鈴木颯人です。ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団し、現役時代には6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した原辰徳監督。入団から12年連続で20本以上の本塁打を記録し、華麗なホームランで多くのファンを魅了しました。4番バッターとして出場した試合数は、球団歴代4位。監督としても9度のリーグ優勝、3度の日本一、アジアシリーズでも選手たちを優勝へと導きました。累計17年以上となる歴代最長監督の在任期間も更新中。2009年にWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の日本代表監督として世界一も達成。今回は、原辰徳監督についてスポーツメンタルコーチとしての視点でお話し出来ればと思います。

目次

  • ミスターも惚れ込んだ”原辰徳の存在”

  • 父譲りの”指導者としての才能”

  • ”世界一にカギ”となったWBCでの選手起用

 

ミスターも惚れ込んだ”原辰徳の存在”

福岡県出身の原辰徳監督。父の貢氏も初就任した福岡県立三池工業高等学校(無名校)を夏の甲子園優勝へと導き”三池工フィーバー”を起こした名監督です。のちに功績を残した東海大学硬式野球部の名誉総監督の称号、日本高等学校野球連盟と朝日新聞社から育成功労賞を受賞されました。

 

原辰徳監督が幼少期を過ごしたのは、父が所属していた東洋高圧(現在の三井化学)の社宅。この社宅には、真弓明信氏も住んでいたこともあるそうです。父の東海大相模高校監督就任が決まり、神奈川県に引っ越したのは小学校2年生の時。原辰徳監督も自然な流れで東海大相模高校に進学しました。

 

1年生から3塁手としてレギュラーを掴み、甲子園にも4度出場。高校通算43本の本塁打を記録する活躍をしました。父からの英才教育で得た野球センスと爽やかなルックスで原辰徳監督は大人気。地区大会ながら川崎球場を満員にし”原フィーバー”を巻き起こしたほどでした。

 

大注目されながらもドラフト会議の4日前に大学進学を公表。当時人気がなかった東海大学を含む首都大学野球リーグでさえも原辰徳監督が入学するやいなや多くのファンで殺到しました。

 

在学中7度の優勝、3度の最高殊勲選手、7度のベストナイン、2度の打撃三冠王を受賞。当時早稲田大学に進学していた岡田彰布氏と3番4番を組んで出場した日米大学野球選手権でも逆転満塁ホームランを打つ活躍を見せました。アマチュア野球世界選手権にも大学生として唯一、日本代表に選出されました。

 

”長嶋茂雄の再来”と期待される大活躍を見せた大学時代。そして運命のプロ野球ドラフト会議で4球団から1位指名を受け、念願の巨人への入団が決まりました。長嶋茂雄氏からも「できることなら(永久欠番になっている)僕の3を譲りたい」と言われるほど原辰徳監督という野球人は、惚れ込まれたのです。

 

父親が偉大な方であることがプレッシャーに感じるアスリートが多い中で、原監督は父親以上の活躍をされました。多くのアスリートにとって父親の存在が成長のキッカケになることが多いです。名指導者のお子さんで日本代表バスケットボールの千葉選手も有名です。

 

父譲りの”指導者としての才能”

巨人の一軍野手総合コーチの肩書きで指導者としての第二の野球人生をスタートさせた原辰徳さん。初キャンプでは、外野ノックの際にホームランを連発するという珍プレーを披露し「バットで打ったらスタンドに入れるのが仕事だったもんだから、ついね」と微笑ましい言い訳でファンを喜ばせました。

 

その後、一軍ヘッドコーチに昇格し、将来の監督候補として指揮を任され始めました。長嶋茂雄氏の後任として正式に巨人の監督に就任した原辰徳監督。掲げたチームのキャッチフレーズは”ジャイアンツ愛”でした。

 

引退も考えていたという桑田真澄氏を先発投手へ、支配下選手70名中66名を一軍へと二軍で好調な選手は昇格後即スタメンで出場させる大胆な選手起用。エンドランや盗塁など足でも魅せる野球も積極的に仕掛けました。

 

若手とベテランとの活気あるチーム力”ジャイアンツ愛”でリーグ優勝を成し遂げた原辰徳監督。勢いそのままに迎えた日本シリーズでも球団史上初となる無敗の4連勝で”監督就任初年度での日本一”を達成しました。

 

翌年もAクラス入りの3位という成績を残しながらも監督を辞任し、特別顧問へ転任。テレビの野球解説やラジオでも番組を持ち、独自の視点で野球について熱く語りました。

 

2年後には監督へ再復帰し、名のある選手を抱えながら4位に低迷していたチームを3年目にリーグ優勝へ導いた原辰徳監督。故障で出遅れた上原浩治投手をクローザーに抜擢し、クリーンナップだった高橋由伸選手を1番に起用した事が大成功しました。

 

翌シーズンは、好調すぎるスタートを見せた阪神タイガースに13ゲームの差をつけられながらも終盤に12連勝を含めた26戦中21勝利と劇的な逆転劇で2年連続リーグ優勝。

 

前年に敗退してしまったクライマックスシリーズも勝利し、日本シリーズへ出場しました。パ・リーグのチャンピオン埼玉西武ライオンズに敗れましたが、この功績からWBCの日本代表監督に抜擢された原辰徳監督。

 

決勝戦で韓国を破り、大会2連覇を達成しました。勢いそのままに開幕した翌シーズンでもリーグ優勝を果たし、クライマックスシリーズでも勝利。迎えた日本シリーズで北海道日本ハムファイターズを破り、日本一を達成し自身2度目となる胴上げ監督となったのです。

 

これだけの戦力を持ち、結果を残し続ける指導者としてのプレッシャーは相当なものがあると思います。ましてや、巨人だけでなくWBC日本代表でも監督を務め、優勝に導いてきた手腕は改め称賛に値すると思います。では、なぜそこまで結果を残してこれたのでしょうか?私なりに考えると、1つは言葉が巧みであると思っています。選手をその気にさせる会話を聞いていると、選手のやる気を高めチームを優勝に導いているのです。

 

”世界一のカギ”となったWBCでの選手起用

2度の日本一胴上げを経験し、指揮官としてさまざまな選手起用で多くの人を驚かせてきた原辰徳監督。栗山英樹監督との対談でも独自の野球哲学を語りました。

 

WBCの監督就任後に日本代表メンバーを選ぶ上で最初に決めたのは、いわゆる”サブプレーヤー”だったそうです。「誰を外野の、足の、ピンチヒッターの」ということから選考に入ったという原辰徳監督。求めたのは、例え試合に出られずとも”チームのために尽くすマインド”と”時にスペシャリストとして躍動する能力”の持ち主でした。

 

身体の強さはもちろんボールを怖がらないことも重要です。怪我などの可能性が頭によぎるバッターですが、リスク重視で腰が引けて屁っぴり腰になっていたら短期間のなかで日の丸を背負うのは難しいもの。そして原辰徳監督の起用法として世界一へのカギだと話したのが”スピード”でした。

 

世界一へと上り詰めるには、パワーや強いボールを投げる外国人に勝つ必要があります。日本がどのチームにも負けないナンバーワンなものは、チームプレーと献身性そしてスピードだと28人のメンバーの前でも話したそうです。

 

最後に栗山英樹監督が投げかけた質問の一つが、監督として”選手を信じること、我慢することのタイミング”の判断でした。韓国との決勝戦で決勝タイムリーを含む4安打で”大会のヒーロー”と言っても過言では無い輝きを見せたイチロー選手。

 

しかし、準決勝までの打率2割1分ほどで12打席連続ノーヒットという極度の不振に陥っていました。そんななかでもイチロー選手を外すことは全く考えなかったという原辰徳監督。

 

誰より早くグラウンドに来て、誰より仲間に声を掛け、誰よりチームを引っ張るという野球に対する姿勢が素晴らしいイチロー選手ですが、彼にとってごく自然ないつものルーティンでした。「そんなイチローをベンチに下げることは、このチームを否定すること」と感じたそうです。

 

原辰徳監督が求めた”チームのために尽くすマインド”と”時にスペシャリストとして躍動する能力”の持ち主。そして世界一へのカギだと話した”スピード”。イチロー選手には備わっていました。その結果、チーム皆が一丸となり世界一を掴む事ができたのです。

 

今回は、原辰徳監督についてお話しました。アマチュアながら学生野球の名指導者だった父から教わった野球センスとプロ野球選手として活躍した野球人生。そのなかでたどり着いた着いた監督としての哲学は、野球やスポーツのみならずビジネスにも通用するものです。今後もアスリートにとって有益となる情報や指導者を発信していきたいと思います。

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【このコラムの著者】

プロスポーツメンタルコーチ/一般社団法人日本スポーツメンタルコーチ協会
代表理事 鈴木颯人

プロ野球選手、オリンピック選手などのトップアスリートだけでなく、アマチュア競技のアスリートのメンタル面もサポート。全日本優勝、世界大会優勝など圧倒的な結果を生み出すメンタルコーチングを提供中。>> 今も増え続ける実績はこちら

【プロフィール】フィリピン人の母と日本人の父との間に生まれました。生まれた国はイギリス。当時から国際色豊かな環境で育って来ました。1歳になる頃には、日本に移住しました・・・。>>続きはこちらから

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