自身の言葉で伝えたのは”日本人を信じる力”、トム・ホーバス監督
目次
選手、監督としても”日本バスケットボール界のヒーロ”
アメリカ合衆国コロラド州デュランゴ出身のトム・ホーバス監督が、バスケットボールを始めたのは、5歳の時。NBAプレーヤーになることが幼い頃からの夢でした。大学は、ペンシルベニア州大学へ進学。航空宇宙工学の分野で優れ、バレーボールの名門校としても有名な学校です。
大学卒業後ポルトガルリーグのスポルティングに加入しましたが、異国の環境に馴染むことができず、すぐにやめてしまいました。それでも働きながらバスケットボールがしたいと考えたトム・ホーバス監督は、代理人に相談。ニューヨークでトヨタ自動車ペイサーズがトライアウトを受け、入団が決まったのです。
23歳で日本に来日し、バスケットボールができる環境が整いました。実業団でと言う形なので会社員としてデスクワークの勤務。主な仕事は、海外向けの冊子の編集とライティングだったそうです。バスケットボールをしながらの仕事は大変だったかと思いきや「忙しいのは性に合っている」と話し、勤勉さを感じることができます。
4年連続でリーグ得点王、2年連続でスリーポイントシュート王にも輝き、日本リーグで大活躍したトム・ホーバスは27歳の時に念願のNBAのリーグ、アトランタ・ホークスへの移籍を実現させました。翌年に独立リーグCBAピッツバーグピラニアズを経て日本に再来日。トヨタ自動車ペイサーズに復帰し、4年間プレーしました。
東芝レッドサンダースに移籍し、33歳で現役を引退。アメリカの一般企業で8年間勤務し、携帯関連の企業で副社長にまで昇進しました。仕事のスキルやセンスまで抜群なトム・ホーバス監督。その間も高校でバスケットボールのコーチをしていたそうです。JXサンフラワーズ(現在のENEOS)からのオファーを受け、再び日本へ来日。指導者としての第二のバスケ人生をスタートさせました。
「僕は日本のバスケットボール界に助けてもらった。その恩返しがしたい」と話していたトム・ホーバス監督。コーチ・オブ・ザ・イヤーを受賞し、監督としても素晴らしい功績を残しました。女子日本代表のアシスタントコーチを経て、外国人初となるヘッドコーチ(監督)にも昇格。FIBA女子アジアカップ優勝へと導き、東京オリンピックでもチームを史上初となる銀メダルへと導きました。
その後、日本男子代表のコーチ(監督)に就任。W杯で格上と言われるチームを相手に素晴らしい試合を繰り広げ、2大会連続となるオリンピックへの切符を掴みました。自力での出場は48年ぶりとなる快挙へと選手たちを導いた。トム・ホーバス監督。選手、監督としても日本バスケットボール界を歓喜に包んだのです。
原動力は”ベストな理解者”の存在
日本で国際結婚し、自宅での会話も日本語だというトム・ホーバス監督。妻の英子さんとの出会いは、いわゆるナンパだったとチャーミングに明かしていました。出会ったのは来日2年目のため、まだ日本語が喋れませんでした。バーで会った英子さんに一目惚れでしたが、この時は特に進展がなかったと言います。
しかし後日、偶然再会したことでお互い”運命”を感じ、交際をスタート。英語やフランス語が堪能な妻の英子さんを「海外思考も強く、真面目で自立した人」だと話し、自分にとってベストな理解者だと感じていたそうです。
日本で4年連続でリーグ得点王、2年連続でスリーポイントシュート王にも輝き、次第に”NBAにチャレンジしたい”という思いが芽生えてきたトム・ホーバス監督。そんな時、幼い頃から思い描いていた夢への挑戦に背中を押してくれたのが英子さんだったそうです。
NBAのリーグ、アトランタ・ホークス、翌年に独立リーグCBAピッツバーグピラニアズでプレー。日本に再来日し、トヨタ自動車ペイサーズに復帰した頃に5年の交際を経て、英子さんと結婚しました。
東芝レッドサンダースで現役を引退後、夫婦でサンディエゴに移住。2人の子宝にも恵まれました。長男のドミニクさんも中学校の時にバスケットボールを始め、コンコルディア大学アーバインの男子バスケットボール選手としてプレー。政治学の学位を取り、高校生にバスケットボールを指導する活動も行っています。しかしドミニクさんの将来の夢は、軍隊に入ること。トム・ホーバス監督の父は空軍、兄が海軍として勤務していることがドミニクさんに影響を与えたそうです。
そしてドミニクさんと3歳年下の長女のマリッサさん。父から抜群の運動能力を引き継いだ彼女もフィギュアスケートの選手でした。現在サンフランシスコで携帯アプリの制作会社を立ち上げ、プロダクトデザイナーとして会社を経営しています。
トム・ホーバス監督のバスケットボールへの思いを理解し、常に背中を押してくれる妻の英子さんの存在。アメリカと日本で離れて暮らしていても強い絆があります。家族の存在が、トム・ホーバス監督の原動力なのです。
日本の弱点、引き出したいのは”日本人を信じる力”
「多少の違いがあっても自分の言葉で伝える方がインパクトがある」と話すトム・ホーバス監督。日本語が堪能になった今でも”言葉を伝えることの難しさ”を理解しています。
直接的な言い方だと選手たちにとってキツく感じないか、肝心なアドバイスができているか常に注意をはらっています。叱り方を間違えると選手のモチベーションを下げてしまうので”君ならもっとできる”というポジティブな指導方針へ切り替えています。
そして”自分で伝えること”へこだわりを持ち、選手の指導や日本国内のマスコミへも通訳なしで対応しています。細かい表現は難しいため、スマホにある”日本語学習アプリ”で日々勉強していると言います。
日本の選手について感じたことは、メンタルだったと話したトム・ホーバス監督。”プレッシャーに弱い”と言うより”自分の力を信じていない”と感じたそうです。
自らシュートを打てる選手が、打たずに後ろにパスする消極的なプレーをしたためにベンチに下げたことがありました。その真意は”迷いをクリアにすること”で「打たないんだったらベンチ。だから試合に出る時には(迷わず)打つしかない」と自覚させたかったのです。
日々練習を重ね、スキルを持つ選手たち。最後に足りないものは自信を持つこと=強いメンタルなのです。そして20年以上日本を指導してきたトム・ホーバス監督の強い思いは選手たちに引き継がれました。
心を揺さぶったと言う光景が、東京オリンピック決勝戦のロッカールーム。オリンピックで55連勝中のアメリカ相手に”勝つ”と言う思いで戦っていた選手たちが悔し涙を流していました。26年間負けていないチームに対しても臆することなく、”勝つ”という思いで戦って負けた悔しさ。これこそトム・ホーバス監督が選手に一番伝えたかった”日本人(自分達)を信じる力”です。指揮官を驚かせるほどメンタル面で成長したチームが次に狙うのは、優勝ただ一つなのです。
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