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ボクシングを全力で楽しむ世界王者、井上尚弥選手

 

完璧なボクシングスタイルとその圧倒的な実力で”日本ボクシング界の最高傑作”と称された井上尚弥選手。アメリカのボクシング専門誌『ザ・リング』が格付けするパウンド・フォー・パウンドのランキングで日本人として歴代最高となる2位の評価を受けた天才プロボクサーです。

 

アマチュア時代には、日本ボクシング史上初となる高校7冠を達成。プロに転向後も8戦目で2階級制覇し国内最速記録を更新しました。モンスターの異名を持つ唯一無二の存在。今回は、WBAスーパー・IBF世界バンダム級王者の井上尚弥選手についてお話しします。

スポーツメンタルコーチ

目次

  • 6歳で交わした”男同士の約束”

  • ”練習は仕事”という父の言葉

  • ”ボクシングを楽しむ”強いメンタル

 

6歳で交わした”男同士の約束”

神奈川県出身で6歳の時にボクシングを始めた井上尚弥選手。「どうすれば尚弥選手のように育つのか?」と聞かれると真剣に考え込むという父の真吾さん。しかし”幼い頃からの努力の積み重ね”や”本人が素直についてきたから”など漠然としたことしか伝えられないと言います。

 

父親として井上尚弥選手にボクシングをやらせたいと思ったことは、一度もないのは意外です。自身も2戦2勝の功績を持つアマチュアボクサーでした。脳や肉体に与えるダメージがある特殊なスポーツ、そして厳しい減量の辛さ経験を考えると「自分の愛する子供が傷つく姿を見たいとは思わない」と親としての気持ちもわかります。

 

真吾さんがボクシングを始めたのは、井上尚弥選手がまだ2歳の頃で弟の拓真さんもお腹にいるという環境だったといいます。そんななかで『明成塗装』という塗装会社を立ち上げました。親方として事業をやりくりする忙しい日々のなか”それでも強くなりたい”と時間を見つけては、一人練習に励んでいました。

 

ある休日、一人で練習していると「僕もお父さんと一緒にやりたい」と言ってきた当時6歳の井上尚弥選手でした。まだ話す言葉も乏しいながらも表情や目でその真剣さは伝わってきたそうです。ボクシングは、甘いスポーツじゃないということや「ボクシングに嘘をつきたくないから一生懸命やっているんだ。尚もボクシングに嘘はつかないと約束できるか?練習がどんなに辛くてもやり通せるか?」と聞くと「うん。お父さんと一緒にやりたい」と顔を真っ赤にして答えたそうです。

 

それだけ真剣だったのでしょう。真吾さんはこの時『でも』や『だって』という言い訳は禁止だと言いました。子供とはいえ『他人のせいにしない。自分で決めた以上責任を持ってもらいたい」という思いからです。この日交わしたのは、親と子ではなく男対男としての真剣な約束。この時の井上尚弥選手の背丈は、真吾さんの腰にも満たないものでした。

 

そんな頃から親子で一緒に練習の日々。いつしか弟の拓真さんも3人一緒に練習するようになっていました。小さな拳で日が暮れるまで打ち合っていた幼い兄弟は、周りから見ると遊びや趣味に思われていたかもしれません。しかし真吾さんは真剣でした。6歳の子供であっても真剣に取り組む息子たちに、親として彼らにできる練習を考えて共に一生懸命に向き合ってきたのです。

 

親の影響でスポーツを始める子供はとても多いです。一方で、親の影響で始めた際にルールが不明確なケースが原因で親子喧嘩になるケースを度々聞きます。井上選手のケースでは最初にお父さんである真吾さんがルールをちゃんと決めました。子供だからという甘えを一歳見せなかった真吾さんの姿勢はとても参考になる事例だと思います。

 

”練習は仕事”という父の言葉

スポーツの競技によっては、幼少期の練習方法として技術を身につけることよりも”身体を大きくすること”や”基礎体力をつけること”を重要視するという指導者も多いです。しかし大人になると一度頭で理論的に理解してから、体で覚えようとします。

 

これに対し子供の頃だと頭よりも先に体で覚えるため、飲み込みが早いのかもしれないと考えたのが真吾さんでした。ボクシングにおいては、尚更「細かい技術も子供の頃に教えた方が良い」と考えました。実際に技術を一つ積み、スパークリング大会でフェイントを出しました。すると子供ながら達成感を得てとても喜んだと言います。次に、そのフェイントからストレートを出せるようになると子供達はさらに喜び、練習も楽しんで頑張るようになったのです。

 

真吾さんとの日々で成長した井上尚弥選手は、中学校3年生の時に行われた15歳以下の全国大会で優秀選手賞を受賞。高校に進学後も1年生でインターハイ、国体、選抜の高校三冠を達成しました。3年生で世界選手権ベスト8、高校7冠も達成。プロになると6戦目で世界王座、国内最速記録となる8戦目で2階級制覇を達成すると世界ボクシング界の年間MVPも獲得しました。16戦目で3階級制覇も達成。ボクシングの聖地であるラスベガスでの試合でも見事に勝利しました。

 

コロナ禍のため無観客で行われながらも『一億円の価値がある試合』と話題の試合となりました。2歳の時からトレーニングに打ち込む父の姿を見てきた井上尚弥選手。父は、息子達を名のあるトレーナーに預けるか悩んだ時期もあったそうですが「親子二人三脚で世界チャンピオンを目指す」と井上尚弥選手が口にしたと言います。

 

そんな父、真吾さんの言葉で胸に刻まれているのは”練習は仕事”という言葉だそうです。小学校高学年の時から常に言われてきたこの言葉。当時はまだ理解できなかったようですが、徐々に分かるようになっていきました。そして父の言葉を理解すればするほど”練習は仕事”という日々の姿勢が、どれだけ大切かを噛み締めるようになったそうです。

 

自分がやっていることが好きじゃないとそこまで追い込めないもの。「ボクシングが好きだし強くなりたい」そこまでモチベーションを上げるために、井上尚弥選手にとって必要な言葉だったのでしょう。

 

私自身、スポーツメンタルコーチとしてプロ野球選手になった選手を何人も見てきました。アマチュア時代と違い、プロになってから競技を楽しめない話を何度も聞きました。つまり、プロになると、純粋に競技を楽しめないのです。この事実と向き合うにはプロであるということは仕事である認識を持たせる必要があります。その点を早々と伝えていたのは凄いなと思います。

 

”ボクシングを楽しむ”強いメンタル

本番のようにKOを狙うつもりで臨むのは「練習でやっていないことは試合では出ない」という井上尚弥選手。メンタルというものは、どんなスポーツをする上でも非常に重要になってきます。

 

ボクシングともなれば尚更のことでしょう。素晴らしい才能を持ち、モンスターと称される井上尚弥選手でさえ「スパークリングでできていることが試合でできない」という時期があったそうです。そのために追求した自分のスタイルが練習から全力で向き合うことでした。

 

「スパークリングでも”相手を倒す”と試合と同じ気持ち」で練習することで克服できたのです。怪我の心配もあるためスパークリングを全力でする選手の方が珍しいそうです。そして技術的な試行錯誤やフィジカルなトレーニングも日々積み重ねています。このように練習で全力を出し切ることで、不安がなくなるそうです。

 

普段から自分を追い込み練習することが”楽しむ”という気持ちでリングに上がるために必要なのです。6歳の頃から自分が好きでやってきたボクシング。練習から試合まで、そして試合の時間も全てを目一杯”楽しんでいる”という井上尚弥選手。父と約束したあの日から積み重ねてきた努力の日々が、彼のメンタルをここまで強固なものにしたのかもしれません。

 

今回は、ボクシングWBAスーパー・IBF世界バンダム級王者の井上尚弥選手についてお話しました。元々は父の影響で始めたボクシング。しかし幼い頃から真剣に取り組んできたその姿勢は尊敬できるものです。数々の記録を塗り替える素晴らしいボクサーへと成長し、父との二人三脚で世界王者へと上り詰めました。日々の練習から試合まで全てを楽しむという境地にたどり着いたことでそのメンタルは揺るぎないものになりました。井上尚弥選手の更なる活躍を楽しみにしています。


 

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【このコラムの著者】

プロスポーツメンタルコーチ/一般社団法人日本スポーツメンタルコーチ協会
代表理事 鈴木颯人

プロ野球選手、オリンピック選手などのトップアスリートだけでなく、アマチュア競技のアスリートのメンタル面もサポート。全日本優勝、世界大会優勝など圧倒的な結果を生み出すメンタルコーチングを提供中。

【プロフィール】フィリピン人の母と日本人の父との間に生まれました。生まれた国はイギリス。当時から国際色豊かな環境で育って来ました。1歳になる頃には、日本に移住しました・・・。>>続きはこちらから

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