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苦悩の中でもブレなかったビッククラブへの夢、南野拓実選手

アジア人そして日本人初となるイングランドのプレミアリーグ・リヴァプールでプレーした南野拓実選手。幼い頃から才能が注目され、ユース時代からセレッソ大阪に所属しプレーしてきました。日本代表の10番も背負い、世界最高峰の舞台で挑戦した経験を活かせるのか注目される選手です。今回は南野拓実選手についてお話します。

目次

  • ”輝かしいデビュー”を飾った南野拓実選手

  • ”苦悩の5年”を耐え抜いたメンタル

  • 財産となった”世界最強クラブでの経験”

”輝かしいデビュー”を飾った南野拓実選手

大阪府泉佐野市出身の南野拓実選手。3歳で見たフランスW杯でロナウジーニョ選手らのプレーに魅了され、幼稚園に入園した時にサッカーを始め、小学生の時に地元のゼッセル熊取に入り本格的なチームサッカーを学びました。

 

当時から「ボールを持ったら離さない」と言われるほどで、キックオフから全員を抜いてゴールしたこともあったそうです。そしてベンチに下げられると練習であっても悔しがり監督に抗議するほど負けず嫌いな性格でPK戦でも自らゴールキーパーを務めたこともある少年だったと言います。

 

12歳の時に、複数のJアカデミーからスカウトされた南野拓実選手。中学入学時にセレッソ大阪のU15として入団しました。14歳の時に出場したクラブジュニアユースサッカー選手権大会では、ベスト8まで進み個人でも得点王を獲得。セレッソ大阪U18に昇格後するとプリンスリーグ関西1部で初戦でハットトリックを達成し、無敗のままチームを優勝に導きました。

 

15歳の時に出場したプレミアリーグウェストで得点ランキング4位となる9得点を記録し、Jリーグユース選手権大会でも8試合で13得点を挙げ得点王。16歳でセレッソ大阪のトップチームの2種登録選手となり公式戦デビュー。天皇杯で初得点を挙げ、プレミアリーグウェストで16点、得点ランキング2位となる成績を残しました。

 

17歳で正式にセレッソ大阪の選手としてプロデビュー。第1節から先発出場し、高卒ルーキーとしてクラブ史上初の開幕スタメン入りを果たしました。14節で初得点を記録し、大久保嘉人選手が持っていた18歳10ヶ月5日のJリーグ最年少得点記録を更新。マンチェスターユナイテッドとの親善試合では、全得点に絡む活躍を見せ「世界と互角にやりあえる」と監督や選手から賞賛を受けました。

 

ルーキーイヤーながらチームの主力並みの活躍を見せた南野拓実選手。監督からは「ゴールに近いポジションでプレーしていればもっとゴールを決めることができたと思う。しかし、チーム事情のために自分を犠牲にしてサイドで守ってから攻撃に行くという役割をよくやってくれた。日本のサッカー界を背負って立つ、将来明るい選手であると思う」と守備面でも攻撃面でも高く評価されました。

 

リーグ戦出場29試合5得点(カップなどを含めると38試合8得点)の結果を残し、Jリーグベストヤングプレーヤー賞を受賞。プロサッカー選手として輝かしいデビューを飾ったのです。

 

”苦悩の5年”を耐え抜いたメンタル

3年目にオーストリア・ブンデスリーガのFCレッドブル・ザルツブルグに移籍し、海外リーグに初挑戦した南野拓実選手。デビュー年ながら主力としてチームリーグ優勝に貢献し、シーズン10得点を上げる活躍を見せました。

 

2年目にはプロ入り初となるハットトリックを達成し、2年連続となる2桁得点を記録。3年目にもチーム5連覇に貢献し、4年目にはUEFAヨーロッパリーグで日本人初のハットトリックを達成。チーム6連覇にも貢献しました。

 

5年目には、チャンピオンズリーグにも出場。しかし移籍当初「早く結果を出して2、3年でステップアップしたい」と話していましたが、日本代表にも定着できない苦悩の5年間を過ごしていたのです。ただ決してブレなかった南野拓実選手。

 

自宅の壁に貼っていた”ビッククラブでプレーしたい、スタメンでプレーする、チャンピオンズリーグに出る”という夢に向かい、苦悩に日々を送りながらも「(夢のために)今季いくつゴールをとって次の試合に出るためにこういうところを意識する」という近い目標も設定し続けました。

 

日本でプレーしていた時よりも意識して変えたのは、ゴールに対しての姿勢。”最後の最後で顔を出せる”ボックス内で仕事をできる選手、それまでの過程がいくら良くても評価されない世界であると意識し、ポジショニングやターンを磨いたのだそうです。”このチームでは得点が全て”くらいの気持ちで常にゴールを考えたという南野拓実選手。

 

来た当初は、週に3回ドイツ語を学んでいた家庭教師に質問するも英語で返され、その英語すら理解できず困り果てたこともあったと言います。サッカー以前に家(住むところ)も探さなきゃならない、一人で銀行に行けるようにならないとなど私生活でも大変な日々。しかし”自分の想定の範囲外”ではなく”海外でやってるんだから”起きて当たり前”と考え、”どんなことでも全て受け入れる覚悟”を強く持ったのです。

 

「ビッグクラブでプレーするために海外でプレーして、その目標のために頑張ってきたので」と話した南野拓実選手。すると一試合ずつ丁寧に考え抜いてきた日々の積み重ねが報われる機会がついに訪れました。チャンピオンズリーグのグループステージでリヴァプールFCと対戦。3対4で敗れはしたものの前大会優勝の強豪クラブを相手に1アシスト1ゴールの活躍を見せ、強烈な印象を与えました。

 

そのリヴァプールに移籍するチャンスを獲得した南野拓実選手。華やかな道を歩み続けながら一転した苦悩の5年間にもブレなかったメンタルの強さでプロ6年目にしてビッククラブでプレーしたいという夢を叶えたのです。

 

財産となった”世界最強クラブでの経験”

世界最強クラブであるリヴァプールの一員となった南野拓実選手。ポジション争いを繰り広げる選手は、31得点記録のモハメド・サラー選手、23得点記録のサディオ・マネ選手、21得点を記録したディオゴ・ジョタ選手、11得点を記録したロベルト・フィルミーノ選手などの一流選手たちです。

 

この中で数少ない出場機会の中で公式戦24試合10得点1アシストの成績を残した南野拓実選手。FAカップでは4試合3得点を記録し、16年ぶりとなる優勝にチームを導きました。

 

この活躍が評価され、名だたる実力選手と共に大会ベストイレブンに選出された南野拓実選手。カラバオカップでも5試合4得点1アシストを記録し、優勝に貢献しました。監督からも「彼がいなければ、この2つのカップ戦の優勝はなかっただろう」と高い評価を受け、現地メディアやサポーターも賞賛。

 

しかし「僕が出る試合は誰もあまり関心がない試合が多かったが、自分の価値を証明するために奮い立たせて頑張っていた」と話しました。選手としてここまで試合にでられない期間はなかった南野拓実選手。「もっと重要な試合に出て結果を残せる選手になりたい」とさらなる高みを目指す決意をしています。

 

リヴァプールでの出場機会は少なかった南野拓実選手ですが、常にストイックに目標を持ち続けたビッククラブでの貴重な経験。今後のサッカー人生において大きな財産となったのです。

 

今回は、南野拓実選手についてお話しました。世界挑戦での苦難を乗り越えてきたメンタルと世界最強クラブでの大きな経験を胸にさらなる挑戦を続けていく日本の10番を背負う選手。今後も南野拓実選手のご活躍を願っております。

 

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【このコラムの著者】

プロスポーツメンタルコーチ/一般社団法人日本スポーツメンタルコーチ協会
代表理事 鈴木颯人

プロ野球選手、オリンピック選手などのトップアスリートだけでなく、アマチュア競技のアスリートのメンタル面もサポート。全日本優勝、世界大会優勝など圧倒的な結果を生み出すメンタルコーチングを提供中。>> 今も増え続ける実績はこちら

【プロフィール】フィリピン人の母と日本人の父との間に生まれました。生まれた国はイギリス。当時から国際色豊かな環境で育って来ました。1歳になる頃には、日本に移住しました・・・。>>続きはこちらから

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