”柔軟なマインド”で世界最大のクラブに挑戦、冨安健洋選手
目次
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”足の速さ”から始まったサッカー人生
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海外で培った”強靭なメンタル”
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ポジションを選ばない”柔軟なマインド”
”足の速さ”から始まったサッカー人生
福岡県博多市出身の冨安健洋選手。”健康で太平洋のように広い心を持った人間に育ってほしい”という願いから”健洋(たけひろ)”と名付けられたそうです。二人の姉が水泳をしていたため、自身も水泳を習う予定でした。しかし祖母の家にあったランニングマシーンで遊んでいた時に転倒し顎を怪我してしまい水泳を習わなかったそうです。
サッカーを始めたキッカケは、小学生になった冨安健洋選手を見かけた少年サッカーチーム・三筑キッカーズの総監督との出会い。目を見張るスピードで走っているのを偶然見かけ、知り合いの父母を通して「あの子を何とか(三筑)キッカーズに入れてくれへん?」と勧誘を受けました。「ドリブルをさせたらおそらく福岡県で追いつける足を持っている子は居なかった。恐ろしいくらい速かった」と評価されていました。
練習前にいつも一番早く来て準備を手伝い、帰るのも片付けを見届けてからという責任感ある性格。そしてチームの練習がない時でも近所の公園で自主練習を重ね、練習量が半端なかったと言います。目標とする選手は、アルゼンチン代表でディフェンダーやミッドフィルダーとして活躍したU20アルゼンチン代表の監督を務めるハビエル・マスケラーノ氏。
駆け引きが上手く、ボランチもこなすプレーに少年時代から憧れていたそうです。11歳の時、バルセロナスクール福岡校のコーチに入会を勧められた冨安健洋選手。小学校6年生になるとナショナルトレセンに選ばれ、地元ではすでに有名な存在になっていました。
一定レベルの才能を持つ福岡校の少年たちの中でもズバ抜けていた才能は、コーチからFCバルセロナへの推薦の話が出るほど。しかし日本から遠く離れたスペインまで小学生を連れて行くことは現実的に難しいもので実現はしませんでした。
中学生になるとアビスパ福岡の下部組織に入団し、ジュニアユース時代に3年連続キャプテンを務めました。中学生ながら異例の飛び級でアビスパ福岡のトップチームの練習にも参加し、高校2年生の時にアビスパ福岡で2種登録を受け、天皇杯に出場し公式戦デビュー。高校卒業前には、正式にトップチームの昇格しアビスパ福岡史上初の高校生プロ選手となった冨安健洋選手。
すぐにディフェンスラインのレギュラーとして定着し、翌年にはプロ初得点も記録。小学校の卒業文集に「プロのサッカー選手になってお父さんとお母さんにお家を建ててあげたい」と夢を記していたという冨安健洋選手。見事に夢を叶え、サッカー選手としての才能を一気に開花させていきました。
3カ国で培った”強靭なメンタル”
19歳の時になり、ベルギー1部のシント=トロイデンVVへの移籍が決まった冨安健洋選手。小学生の頃にスペインに渡ることを断念した思いから今回の海外挑戦をとても楽しみにしていたそうです。移籍後すぐに巡ってきた初試合で勝利に大きく貢献する初ゴールを決めました。
シーズン終了時、年間の活躍を評価されクラブのサポーター団体”Spionkop Geel-Blauw”によりシーズン最優秀選手に選ばれるほど活躍した冨安健洋選手。ブレーメンからのオファーを受けましたが、翌シーズンにプレーする舞台としてイタリアのセリエA・ボローニャを選び、プレーすることを決めました。初出場は親善試合ながら鮮やかなヘディングシュートを決め初得点を記録。コパ・イタリアで公式戦デビュー、セリエAの開幕戦でリーグ戦デビューを果たし、地元記者から賞賛を受けました。
ガゼッタ紙が選ぶ新星ベスト5、イギリス”トーク・スポーツが発表する”今季ヨーロッパのワンダーキッド トップ20”で10位、そしてクラブ月間MVPなどにも選ばれました。シーズン通して先発出場を重ね、コリエレ・デロ・スポルト紙から”冨安は黄金の宝。シニシャ・ミハイロヴィッチ監督にとってなくてはならない選手”と評価されたのです。
ACミランから正式にオファーを受けましたが、次に選んだ挑戦の舞台はイングランドのプレミアリーグ。世界最大のビッグクラブ、アーセナルFCに移籍が決まったのです。
ポジションを選ばない”柔軟なマインド”
「ここに来るのが楽しみでした。本当に嬉しいです。アーセナルの選手としてプレーできるとは思ってもいなかったのでとてもワクワクしています」と話した冨安健洋選手。子供の頃からの夢を叶え、プレミアリーグでプレーできる喜びと挑戦する緊張が入り混じった様子でした。
プレースタイルなどのアピールポイントついて聞かれると「両足でプレーできるし、ディフェンダーとして全ポジションやれます」と自信をアピール。ベストポジションについて聞かれると「僕にとって(ポジション)は問題じゃないです。大切なのは試合に出ること。もし監督に”ストライカーで出ろ”と言われたらストライカーとして出ますよ」と話したことで注目も集めました。
ディフェンスでもフォワードでも監督が望むならどのポジションでも関係なく試合に出れるという覚悟を持っているのです。まずプロのサッカー選手としてプレーし続けることは難しいですが、世界最高峰のプレミアリーグでプレーすることはさらに厳しいものです。
その上で慣れないポジションであってもやれると考える”柔軟なマインド”の冨安健洋選手。この覚悟は、ミケル・アルテタ監督からも「本当にポジティブ」だと評価されました。同じくプレミアリーグでプレーする南野拓実選手について”プレミアで日本人プレーするのは決して簡単なことではない”と理解した上で「とてもフィジカルですが、僕は準備ができていますよ」とここでも自信を示しました。
またアーセナルの女子チームには、岩渕真奈選手も所属しプレーしていることについても「(彼女に)メッセージを送りましたし、彼女も”応援しているよ”と言ってくれました。僕も応援します。良い関係が築けていると思います」と同じ日本から挑戦する仲間との交流も話しました。
メンタルの強さが現れ、流暢な英語で受け答えする姿に現地のサッカー関係者から高評価を受けた冨安健洋選手。海外挑戦に並行し、日本代表としても大活躍してきました。U19の頃から初招集され、20歳になるとA代表としてW杯予選に出場。日本代表のセンターバックとしては、39年ぶりの20歳でW杯予選デビューを果たしました。チームトップとなる90%以上のパス成功率、こぼれ球奪取数3回、シュートブロック2回、クリア数3回を記録し守備面でW杯出場に大きく貢献したのです。
今回は、冨安健洋選手についてお話しました。ベルギー、イタリア、イングランドと海外のリーグを周り培った数々の経験は、今後のサッカー人生において大きな財産となります。日本代表にも選ばれている冨安健洋選手のさらなるご活躍を楽しみにしています。
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【このコラムの著者】