哲学を纏い最後まで戦った、村田諒太選手
新型コロナウィルスの拡大を受け延期されていたゲンナジー・ゴロフキン選手とのWBA、IBF世界ミドル級王座統一戦が2022年4月9日に行われました。
ゴロフキン選手は15億円、村田諒太選手は6億円と両者のファイトマネーの合計は、日本ボクシング史上最高額として大注目された一戦。9回まで続いた死闘の結果、最後は立つこともできず膝から崩れ落ち全てを出し尽くした村田諒太選手陣営からタオルが投げ込まれ決着がつきました。
プロ初のダウンを喫し、悔しい気持ちながら「試合が終わってもお客さんは帰らずにいてくださった。その事実に対しては、自分を評価してあげてもいいかな」と話しました。WBA世界王者から陥落したものの真の”強さ”を証明できた試合ではないでしょうか。今回は村田諒太選手が、ボクシングに対してどのように向き合ってきたのかをお話しします。
目次
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”高校5冠”を達成した村田諒太選手
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強いメンタルを作り上げた哲学
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受け継いだのは王者の誇り
”高校5冠”を達成した村田諒太選手
奈良県出身で3人兄弟の末っ子として生まれた村田諒太選手。5歳の頃から水泳を習い、中学校では陸上部に所属すると1500mで奈良市4位という成績を残すほどズバ抜けた運動神経を持っていました。
しかし陸上を続けることなく、金髪に染め喧嘩が絶えない状態で学校にいくという荒れた日々を送っていました。そんな村田諒太選手を見兼ねた当時担任の北出先生から「何かやりたいことはないんか?」と問われると「ボクシングやったらやるわ」と答えたのでした。喧嘩よりもルールがあるボクシングに興味を持ったのだそうです。
これがきっかけとなり、北出先生の紹介で地元の奈良工業高等高校ボクシング部が主催する教室に通い始めました。陸上で奈良市4位の記録を保持する運動能力からスピードはあったものの、ボクシングの練習が辛く2週間ほどで挫折してしまったそうです。
しかし「強さという評価で人より下は嫌だ」と中学校3年生に再びボクシングを志した村田諒太選手は、南京都高等学校に進学。徐々に頭角を現すと高校2年生で選抜、総体、国体の全てで優勝し高校3冠を達成しました。
また国体は逃したものの3年生でも選抜、総体を制し5冠を達成。東洋大学に進学後もボクシング部に所属し、全日本選手権で初優勝を果たしたのでした。順調にボクシング人生を歩む村田諒太選手でしたが、オリンピックに出場できなかったため現役引退を決断。
しかしボクシングへの情熱の炎は消えることがなかったため、現役復帰し世界選手権で銀メダルを獲得しました。日本人として初めて決勝に進む快挙。そして翌年のロンドンオリンピックにて見事に金メダルを獲得。オリンピックでの金メダル獲得は、1964年東京オリンピックで桜井孝雄氏に続く日本人史上2人目の快挙となりました。
プロボクサーとして転向後もその安定した強さで12勝無敗(うち9KO)という記録を残していた村田諒太選手。72.575をリミットとするミドル級は、ヘビー級、ライト級に次いで歴史が古いものです。人気階級でありながら競技人口も多い”超難関階級”であるミドル級の歴史は、ボクシングの歴史そのものだと言っても過言ではないのです。そんなミドル級スーパー王者にまで上り詰めた村田諒太選手の強さの秘訣は、何なのでしょうか。
強いメンタルを作り上げた哲学
「”本を読め”が、父の口癖だった」という村田諒太選手。たくさんの本を読んできたなかでも特に好んで読むのは意外にも、アルフレッド・アドラーやヴィクトール・フランクルなど心理学者や哲学の本だそうです。
人は生きる上でいろんな壁にぶち当たりますが、時としてどのように解決したのか理由や意味は重要ではなく、感覚をつかむことが転機になることもあります。自分なりに解釈しその感覚を照らし合わせると勇気づけられる言葉があります。
哲学書に登場する言葉は一見すると難しく感じますが、客観的に考えると興味深いのです。”自分の心に問いかけ、客観的に己を眺める自分がいる”村田諒太選手にとって格好の鏡になったのでしょう。
最近は「自己肯定、自己受容というものを考えている」自分を否定すると自信が湧いてこないからだそうです。これは心理学、メンタルの面でも言えることです。そして最も重要なのは「自己対話」。試合前に怖くなると行うのが「自分自身との会話」だそうです。
「負けたらどうしよう」と不安になる自分に、もう一方の自分が「結果はやってみないとわからない。自分の良いところはどこ?」と問います。すると「ガードの固さ、ハートの強さ、プレッシャーをかけられるところ、パンチがあるところ」と自分の良さを確認します。
そして「それで勝負しろ。他のことをしても勝てないぞ」と背中を押します。最終的に「そうだよな」と不安を振り切り、自信が持てます。自分自身に勝つことができれば、あとは目の前の敵に全力で打ち込めるのです。
”自分自身との対話”で得られた自信は、最強の武器である右ストレートを最大限に活かすための起爆剤となります。いずれの試合もKO勝ちで勝利し、ミドル級世界王者に上り詰めた村田諒太選手。「勝てばオープニング、負ければエンディング」と防衛戦で敗れ陥落、奪還と王者を維持することの難しさも経験しました。
特に心に残っている言葉は、ヴィクトール・フランクルの「人間は、人生に意味を求める必要はないということ。人生から問いかけられ、こたえて行くのが人生」というものだそうです。
世界王者になるのは重要なことです。しかし”世界王者”に意味など求めていないのです。チャンスが目の前にある限り、その問いかけに全力でこたえる。”世界王者になることは通過点でしかない”それが、村田諒太選手の強いメンタルを作り上げた哲学なのでしょう。
スポーツメンタルコーチとして選手と携わっていくと、目的や手段を混合してしまう人がいます。例えば、目的がメダルだと危ういメンタルになりがちです。なぜならば、メダルを獲得できても出来なくても目的を喪失しかねないからです。メダルを取ることは本来は目的を達成するための手段でしかないはずなのです。
私が選手をサポートする際に大事にしているのが「選手自身が幸せになること」です。この目的を叶える手段としてメダルがあるだけです。そこがブレなければ結果的に燃え尽きるメンタルにならなくて済むのです。手段はいくらでもあります。メダルを取れなければ落ち込むこともあるでしょう。しかし、生きる希望をメダルやチャンピオンにしないことがポイントなのです。
これは私の個人的な意見ですが、純粋に技を極めようとしている選手ほど幸せな人は多いです。ここまで来ると、スポーツというより武道のような感覚なのでしょうね。
受け継いだのは王者の誇り
先日行われたWBA世界ミドル級のスーパー王者である村田諒太選手が、IBF世界ミドル級王座であるカザフスタン出身のゲンナジー・ゴロフキン選手に挑んだ歴史的一戦。40歳という年齢の衰えを感じさせないゴロフキン選手の強烈なフックが目立ち、9ラウンドで村田諒太選手側からタオルが投げ込まれ決着しました。
勝利したゴロフキン選手は「スーパー王者ムラタ。その名にふさわしい戦いを見せてくれた」と自身のガウンを村田諒太選手に羽織らせてくれました。このガウンは、民族衣装であるチャパンというもので「カザフスタンには、チャパンを最も尊敬する人に送るという習慣がある」と敬意を表して贈ったと話したゴロフキン選手。40歳のベテラン王者が対戦選手にガウンを贈ったのは、村田諒太選手が初めてだそうです。
そして控室に訪れたゴロフキン選手は、奪ったばかりのベルトを「リョウタ。これは君のベルトだ。一生持っておいてくれ」と差し出したのでした。死闘を終えお互いを讃え合い抱擁を交わした二人は、走馬灯のようにいろんなことを思い浮かべたのでしょう。
プロ1年目のアメリカ合宿で、ゴロフキン選手とスパークリングをした際「世界の壁の高さを感じた。でも同時に登りたいと思った」と話していた村田諒太選手。あれから必死で食らいつき、36歳まで続けてきたボクシング。目指した”強さの頂上”にいるカザフスタンの英雄から渡されたものは、ベルトだけではなく王者としての誇りでした。
「ボクシングで何を証明し、何を得たいのだろう。いろんなことで強さを証明したかった。強さとは何なのか」と話した村田諒太選手。哲学を身に纏い最後まで戦い貫いたもの、この強さを私たちは心から讃えたいです。
今回は、哲学から強いメンタルを得た村田諒太選手についてお話ししました。死闘を繰り広げた直後なので今後の進退については「ゆっくり考える」とのことですが、また戦う姿が見たいと願う人も多いはずです。ガウンやベルトと共に贈られた王者の誇り、そして哲学から得た村田諒太選手の強さは、どのような形であっても”後世に受け継がれる”でしょう。
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【このコラムの著者】