アスリートの望む結果にメンタル面でサポートするスポーツメンタルコーチの鈴木颯人です。
結果を求めるあまりに完璧を目指すアスリートがいます。
それはどんなミスも、どんな失敗も許さない、一切の妥協を自分自身に許さない姿勢です。
それを「完璧主義」とも言います。
「〇〇が出来ない」
「〇〇をまた失敗した」
自分を責めてしまいがちな人ほど完璧主義な人に多い傾向です。
しかし、得たい結果を求めるために完璧を目指すのは当たり前だと思います。
技術力を要する競技であればあるほど、完璧を求める傾向が高いと言えます。
理想とする技術力が手に入れば、試合で結果を残せると思うのがアスリートです。
一方で、どれだけ練習しても理想とする完璧なプレーが訪れないことに気が滅入ってしまう人もいます。
だからこそ、練習の結果次第で試合の結果がある程度予想できてしまう自分がいるのがスポーツといえます。
こういった考え方によって生まれる不安を払拭するためにも、練習を積み重ねて行きたいのです。
そして、
完璧な自分になりたいと願うのです。
しかし、
そうそう完璧なプレーができるほど簡単ではないのがスポーツです。
ゴルフ、野球、さらにはサッカーであっても失敗が生まれます。
失敗がなく完璧で終えたくても細かな失敗があるものです。
その失敗に対する捉え方によってモチベーションに影響を与えて行きます。
その上であるアスリートがこう述べてます。
僕はプロになってから928回も三振していて
打たれたヒットの数は647で
ホームランは59本打たれ
しかも失点数はぜんぶで281
チャンスで506回凡退して
怪我で692日間も投げられなくて、
試合に負けて泣いた日もたくさんあったし
二刀流が無理だと言われたことは数えきれない
でも、二刀流が無理だと思ったことは一度もない
10勝と30本塁打を同シーズンで達成した選手
失敗の数だけ、僕たちは成長できる。
次の世界へ。
大谷翔平
引用・セールスフォース
https://youtu.be/g5wG-0NqrVQ?si=toGvEhx2RydwIWld
失敗と成功は紙一重と言われますが、失敗なくして成功した人もいません。
どれだけ完璧を目指したとしても、完璧中の完璧はないことを知っておく必要があります。
これを思うのがどれほど辛いものか・・・
しかし、モチベーションの観点で言えば完璧を達成しない方が良かったりするものです。
スポーツをして完璧を達成しないことがいい?と言われるとちょっと驚く方も多いかもしれません。
その理由にちょっとお付き合いいただければと思います。
なぜ、完璧を達成しない方がいいのか?
結論からお伝えすると、完璧を達成してしまうと完璧以上の目標を立て辛いからです。
例えば、
完璧な投球を目指す野球選手がいます。
ある試合で理想的なピッチングができ圧倒的な結果を試合で残すことができました。
完璧という文字を使う試合であったことはいうまでもありません。
しかし、
一度得てしまった完璧にしがみつくようになります。
基準が完璧なピッチングであることでそれ以外の日でのピッチングでは全て赤点をつけるような結果に切り替わるのです。
たとえ打者を抑えたとしても自分の気持ちは満たされない日々・・・
不安を抱えた状態で先発のマウンドに上がることも増えたあたりから試合で打たれるようになりました。
こういった事例から完璧を達成しない方がいいのです。
仮に完璧を目指すであれば、その完璧が超理想である必要があります。
では、この完璧を目指したくなる気持ちに対してどう折り合いをつけたらいいのでしょうか?
その上で参考にしたいのがスペインにあるサグラダ・ファミリアです。
彫刻家のガウディーが設計し、彼が在命中ですら完成は不可能と言われていた今なお建築中の建物です。
かれこれ1882年に着工し、当時は300年以上が必要だと言われています。
このサグラダ・ファミリア、私は完成しないことに意味があると思うのです。そして、完成しないことと完璧主義の折り合いのしかたにヒントが隠れています。
もし、サクラダファミリアが完成することで失職する人、未完成であることを楽しんでいた人の楽しみがなくなるなど考えられます。
だからこそ、過程ほど価値があるものはありません。人によってはそこに楽しみを見いでしているのも事実です。
しかし、成長が止まってしまうことで失われてしまうものが多々あります。
スポーツも同じように完璧を求めることは完璧でないからこそ楽しいと言えます。
その1つ1つの過程を楽しむためにも、完璧主義である自分の気持ちに折り合いを上手につける必要があるのです。
出来ないことが悪いのではなく、出来ないことにこそ「楽しいと思える本質」が隠れています。
そこに結果を求めてしまうことでアスリートとしての歯車が狂ってくるのです。
棋士の羽生善治さんがこんな言葉を残しています。
それは、最高の一手を相手に求めていることです。
普通であれば、相手のミスを喜ぶものですが一流は相手に最高のパフォーマンスを求めます。
お互いが極限の状況に置かれることで生まれる、最高の戦いに興味があるのであって結果は二の次なのです。
これは一流のスポーツでも同じことが言えます。
相手がいいパフォーマンスで向かってきてくれるから、自分の能力が引き出される感覚を持ってます。
かつて、野球のイチローさんも相手の失投を打つのではなく、ベストピッチを打つことを大事にしている話がありました。
次元の高い戦いを完璧の世界と捉えることもできますが、それ以上の最高のパフォーマンスを発揮したい、自分の限界を越えたいと思っているのが一流の条件といえます。
完璧を目指すことに興味があるのではなく、対戦を通じて得られる至高の世界に入れる事を良しとしてるのです。
この点を理解出来るようになると、完璧主義に対してうまく気持ちの整理がつくのかなと思います。
だからこそ、好敵手(ライバル)を求めることが出来れば自然と完璧主義によって自己嫌悪に陥る自分から卒業出来ると言えます。
ライバルの結果で一喜一憂してしまうこともあるかもしれませんが、高めあう同士であると捉えることが出来れば完璧主義からは卒業できると思います。
是非とも良いライバルの存在を見つけて下さい(^^)
ご参考までに。