バレーボール選手のオールラウンダーに必要なメンタル 高橋藍選手の事例

オールラウンダーに必要なメンタルとは?
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バレーボールで繋がる”家族の絆”
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楽しむことが”高橋藍選手の自信”
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”バレーを多くの人に知ってもらいたい”思い
バレーボールで繋がる”家族の絆”
京都府京都市出身の高橋藍選手。実家は、京都で120年続く産婦人科医院です。バレーボールを始めたのは小学校2年生の時、兄がいるバレーボールチームに入ったのがきっかけでした。
2つ年上の兄は、Vリーグのサントリーサンバーズでプレーする高橋塁選手。両親は、息子たちの試合があれば、夜中の何時であろうと構わずライブで応援するほど熱心だそうです。それでもバレーボールに対して一切口出しせず「自分達兄弟がバレーを続けられているのは”両親のおかげ”だ」と兄の塁選手が話すほど優しく見守る性格。
父の政次さんは、高校球児だった元アスリートで高橋藍選手の名前も野球の”ホームラン”からランを取って漢字を考えました。母の小百合さんは、日本人の母とアメリカ人の父を持つハーフ。小百合さんの父で高橋藍選手にとっての祖父もイギリスとドイツのハーフです。
栗原恵選手を見て「この人のようになりたい」とバレーボールを始めた兄の塁選手。その兄の後を追い、高橋藍選手と妹の莉々さんもバレーボールを始めました。そして父方の祖父は、リーガロイヤルホテルに勤務した元シェフで定食屋を営んでいます。写真などを飾り、高橋藍選手が祖父の自慢なのだそうです。
中学時代に兄弟揃って全国大会出場。高校も兄と同じ東山高等学校に進学し、兄弟ダブルエースとして活躍しました。高校でも兄と共に全国出場という偉業を成し遂げることはできませんでした。
しかしキャプテンに就任した高橋藍選手は、2年目に全国大会へ出場。翌年に出場した全国大会(春高)で見事優勝し、全国制覇を成し遂げました。高校MVP選手にも輝いた高橋藍選手は、東京オリンピックを見据えた日本代表登録メンバーにも声がかかりました。
この年はコロナ禍により国際的な大会は中止が相次ぎ、東京オリンピックまで延期となりましたが、それでも日本体育大学に進学した高橋藍選手の勢いは止まりませんでした。1年生から全日本インカレに出場し、チームを準優勝に導きました。
延期された東京オリンピックにも出場した高橋藍選手。日本体育大学のオンライン授業を受けながらイタリアセリエAのパドファでプレーし、文武両道を貫きながら海外へ挑戦したのです。
楽しむことが”高橋藍選手の自信”
188センチの長身で日本代表では、アウトサイドヒッターのポジションを務める高橋藍選手。しかし中学入学時には158センチしかなかったため、リベロのポジションでした。そのため長身でありながら中垣内祐一監督や石川祐希選手からも認められるレシーブ技術も持ち合わせています。
高校時代には緊張しやすい性格だったという高橋藍選手。同じ京都府内の強敵である洛南に負け続けた苦い記憶のなかで感じたのは「この考えがどれだけ小さいのか」ということでした。苦しい思いを言葉にし、実感することで自己進化することができました。
日本代表としての決意も「口に出せば自分自身も実践しなければ」と「五輪の切符を取る」と宣言し、強いメンタルで成し遂げました。高校時代での挫折感は、現在の強気な自信へと変わる大きな原動力に変わりました。
困難や挫折を経験することは、心理学的な”成長の機会”。それにプラスされたのが海外での経験で身についた自信でした。2シーズンの経験で感じたのは”海外の選手の主張の強さやアグレッシブさ”。そこで戦っていくためには、自分自身も海外選手に負けないように強さを身につける必要がありました。
海外の選手と比べると身長も小さく、評価も低く見られがちなことに対して「自分はここで戦える選手なんだ」と自信を持つことを強く意識しました。日本人なら独特の空気感で察してもらえても海外ではうまくいきません。海外でのコミュニケーションは”言わないと伝わらない”のだそうです。しかし、そのコミュニケーションこそが信頼を築くカギ。コミュニケーションを取るための語学力と同時に大切なのが自己管理でした。
イタリア料理のイメージは、パスタやリゾットなど日本人の口にもよく合う美味しいもの。意識せずに食べていたら体型が変わってしまいますが、食欲を我慢することも良くありません。お酒や睡眠などに関しても適度に自分に合うものを見つけて実践しなければなりません。そして高橋藍選手にとって”楽しむ”というのが1番の武器となりました。
「元々の性格がどこでも楽しめてコミュニケーションを取るのも好きなので馴染むのも早い方だと思います」と話した高橋藍選手。さらに自分で望み、遠い異国の地で海外へ挑戦しているため「日本では得られないものをバレーボールでもそれ以外でも得たい。いいものを見て学び、街も楽しみたい」とポジティブに考えました。楽しむこと=それが自信へと繋がるのです。
”バレーを多くの人に知ってもらいたい”思い
ストレスを感じ、不安な時ほどバレーに集中していたいという高橋藍選手。苦しい時ほど明確な目標を立てるのだそうです。イタリア挑戦で壁に当たらないわけがないと開き直り、”乗り越えられた先には成長がある”と強いメンタルで進んできました。
その他にも力になったのは、イベントに参加したことや練習や試合会場でのパドヴァの人たちやファンとの交流。おしゃべり好きだという高橋藍選手にとって”人との絆”は、リフレッシュできる時間です。
現地の人に日本人のイメージというのを作ってもらい、コミュニケーションを取ることで応援してもらえる存在になりたかったそうです。遠くまで足を運んでくれる日本人ファンへの感謝の思いはもちろん、高橋藍選手と話したいがために”日本語を勉強している”という台湾人ファンの思いも嬉しかったと言います。
多くの人からの温かい思いを受け、イタリアで成長を誓う高橋藍選手。「日本へ帰ったらもっと強くなった自分を見せたい。イタリアでの経験を見せることこそこれ以上ない幸せだ」と話しました。
同世代の大塚達宜選手、そしてイタリア代表のアレッサンドロ・ミケレット選手やブルガリア代表のアレクサンダル・ニコロフ選手などの活躍に刺激を受けたことで「試合に出る以上年齢は関係ない。日本代表の軸になって周りを引っ張って行けるような選手になりたい」と強く感じるようになったと言います。
サッカーW杯や野球WBCで”日本選手だって世界で活躍できる”と見事に証明できました。結果が全てのスポーツの世界。それを承知の上であっても”バレーボールの面白さを伝えたい”という純粋な気持ちが高橋藍選手の心の根底にあります。常に全力で自分のプレーを出し切れば、結果はついてくると”ポジティブな自信”を持って前に進んでいるのです。
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【このコラムの著者】