強者が持つのは”根性論とのバランス”、武尊選手
目次
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恩師に救われ、腹を括った武尊選手
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憧れたのは、華やかな強さを持つ”スター”
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折れなかった”鍛えられた心”
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強者がメンタルまで強いとは限らない
恩師に救われ、腹を括った武尊選手
武尊選手が空手を始めたのは、小学校2年生の時。指導者の安井博美氏が、幼い武尊選手に対しても非常に厳しく、空手道場に通い始めた頃は大変だったそうです。組み手で倒された後にも上から踏み潰され、先生以外のみんなからもボコボコにされたといいます。しかし、泣きながらも決して”参った”と言わなかった武尊選手。当時から負けず嫌いだったことが伺えます。
練習にいく送迎の車の中では、毎回「行きたくない」と母に訴えていたそうです。それでも週に3回、休むことなく必ず道場に通った根気ある小学生時代。しかし中学生になると髪を染めて左耳にピアスを開けて過ごしました。「田舎って不良がモテるんです。悪いことをすればカッコいい。だからバンドとかカッコいいと思われることを全部やりました」とこの頃も”かっこよさ”を追求しましたが、空手だけは休まず通い続けました。
もちろん厳しい安井博美氏には、髪の毛もピアスもかなり怒られたのでした。ただ、不良であっても進路のことは真剣に考えていた武尊選手。アンディ・フグ選手のような”スターになること”そしてもう一つは、子供が好きだったので”保育士になること”も夢でした。迷いがあった武尊選手は、ボクシング部があって保育士の資格も取れる高校に進学。顔へのパンチがない空手のみをやってきたためボクシングは、この先自身にとって必要な技術でした。
しかし中学時代のヤンチャ癖が抜けきれず、わずか3ヶ月で退学。K-1選手と保育士の2つの夢が一気に閉ざされたと感じ、塞ぎ込んでしまったのです。幼少期に「行きたくない」と言い続け、どんなにきつくても休まずに通い続けた空手の練習にも出向くことが出来ませんでした。
そんな時に支えてくれたのが安井博美氏だったそうです。「安井先生はわざわざ家まで来てくれました。怒らず親身になって僕と話してくれたんです。そのおかげで腐ることなく、何とか前向きに頑張ろうと思えたんです」と当時の思いを話した武尊選手。”こうなったら格闘技で成功するしかない”と腹を括ることができたのです。
折れなかった”鍛えられたメンタル”
退学を機に進路を一本に絞ると”キックボクシング”にも通い始め、同時にアルバイトも始めた武尊選手。17歳になると、1年半で貯めたアルバイト代を元手に単身タイに修行に出ることを決意。魔裟斗氏や山本KID徳郁氏などのトップ選手は、皆タイでトレーニングを詰んだ経験もあるためです。
最終的に資金が足りず、大事にしていたバイクまで売ったことから武尊選手の覚悟の強さが分かります。目指したのは、当時TV放送されていた”K-1甲子園”。”現役高校生”であることが出場資格であったため、もう一度通信制の高校に入学し直し直しました。
ついに初出場を果たすも関西地区予選の2回戦で敗退。悔し涙を流し、本部席にいる前田憲作会長に「僕こんなに弱くないんで、もっと強くなりたいんです」と訴えました。すると「うちのジムに来たら強くなるよ」と言われ、チームドラゴンに入ることを決意。卒業までの期間、週末にはコンビニとファーストフード店のアルバイトを掛け持ちし、上京のための資金を貯めました。
卒業が近づいたある日、チームドラゴンに電話。「武尊です」と名乗ると「あの時の武尊くんね。待っているよ」と一度会っただけの敗戦選手を覚えてくれていた前田憲作氏に胸が熱くなったそうです。しかし格闘技のトップを目指して全国からレベルの高い選手が集まるチームドラゴンでは、地方のアマチュア大会で14戦負けなしだった武尊選手でも初日から苦戦しました。
強者がメンタルまで強いとは限らない
突発性難聴やパニック障害を患っていたことを公表した武尊選手。うつ病で自殺を考えた時期もあったそうです。K-1ワールドグランプリで3階級制覇を成し遂げた強者でも”プレッシャーを全然乗り越えられない”と自覚していることに驚きます。
試合の2、3週間前はプレッシャーで不眠症になってしまうと話す武尊選手。リラックスのため音楽を聞いたりするアスリートも多いですが「気分転換って簡単なことではない。強い思いがあればあるほど何をやっていても本番のことを考えてしまう。僕は気を緩めさせること自体が不安材料になる」とも話します。
”乗り越える”のは無理なため、プレッシャーに”向き合う”ことにしたのです。更にその上で心掛けたのは”楽しむこと”。「試合本番までの期間は”仕事”、本番になったら”趣味”」と考えました。
もう一つは、”成功へのイメージ”。試合前のリングチェックの時間に行うイメージトレーニング。相手が倒れて始まるカウント、勝った時のリングの光景、お客さんの歓声がイメージできないときは、結局”努力が足りない”ため不安に感じてしまうのです。だからこそ”根性論は必要だと考えます。
どのようなスポーツでも”努力が1番の安心材料”。しかし、このバランスは非常に難しいもので「根性で頑張るか、休むべきかの判断は、数字的な基準を作った方がいい」といわれています。
練習しすぎて怪我をしちゃうほどの武尊選手が、魔裟斗氏から受けたアドバイスは「自分の疲労は、数値化して客観的に見た方がいい」というものでした。格闘技のジムなら疲労度を数値化できるマシンがあり、時間や基準を作ることで”根性論とのバランス”がハッキリと分かるのです。
K-1選手となった今でも”かっこよさ”に強いこだわりを持つ武尊選手。ハリウッドスターが来日した際に、ワーっと盛り上がるイメージで格闘技ファン以外の人からも知られることが理想なのだそうです。「普通の選手じゃ嫌なんです。スターになりたいんです」と話します。格闘技イベントの記者会見の写真撮影で腹筋のカットに納得いかず、カメラマンと何度も取り直ししたことがあります。
他の選手は10分もかからなかったそうですが、武尊選手が掛けた時間は30分以上。「やっぱり写真を撮るならちゃんと準備しないと。最高にカッコいい自分を見てほしいから」と話します。スターなら”たった一枚の写真にも妥協は許さない”武尊選手は、とことん完璧主義者なのです。
憧れたのは、華やかな強さを持つ”スター”
鳥取県米子市出身の武尊選手。プロレスファンだった父の影響で物心ついた頃からプロレスを見て育ちました。1991年生まれの武尊選手が詳しいのは、自身がまだ生まれていない1970年?80年代にかけてのプロレス。父が若き頃に心を躍らせた往年の選手たちの映像を見てきたのです。
一番記憶に残っているのは、アントニオ猪木氏や初代タイガーマスク氏、少し後の世代グレート・ムタ氏だそうで「その頃から”華やかさ”とか”男の強さ”とかに憧れを抱くようになった。俺の目立ちたがり屋のルーツもそこから」と話す武尊選手。TVで見たK-1ワールドグランプリでは、赤や青の光線が交差するなかで空手着を身に纏ったアンディ・フグ選手が登場し、トップファイターを次々に倒していきました。
その圧倒的な強さに「かっこよかった。空手をやれば自分もあんな華やかな世界で戦えるかもしれない。K-1に出られるかもしれない」と感じ、すぐに空手をやりたいと家族に話したそうです。その時既に決まっていたというリングネームは、ファーストネームの武尊。リングアナがコールする声まで頭でイメージ出来ていたそうです。歴史神話が好きだった両親が”日本武尊(ヤマトタケルノミコト)”からつけたこの名前を本当に気に入っているのでしょう。
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