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怪我の恐怖を乗り越え銅メダル!冨田せな選手

北京オリンピックも競技が進んでいきます。スノーボード男子ハーフパイプでは、平野歩夢選手が念願の金メダルを獲得しました。男子も歴史的、そして女子ハーフパイプでも日本人初の快挙のニュースが届きました。

 

前回2018年、平昌オリンピックでは8位入賞、今回の北京オリンピックでは、メダルの期待がかかっていた22歳のヒロイン、冨田せな選手が、堂々たる滑りを見せ、見事銅メダルを獲得しました。今回スポットを当ててお話しするのは、日本のスノーボード女子ハーフパイプ界で初メダルを取った冨田せな選手です。

スポーツメンタルコーチ

目次

  • 妙高から世界へ挑む冨田せな選手

  • 怪我を乗り越え世界を制したメンタル 

  • 北京オリンピックで掴んだ銅メダル

  • 今後も続くスノーボード人生

 

妙高から世界へ挑む冨田せな選手

新潟県妙高市で生まれ育ち、3歳からスノーボードを始めます。スノーボードが大好きな両親の影響を受け、頭角を表した冨田せな選手は、中学1年生の時にスノーボードのプロツアーに参加し3位に入ったそうです。これがきっかけでプロの資格を得ます。

 

スノーボード金メダリストの平野歩夢選手と同じ高校に進みます。”アスリートコーススノーボード専攻”という学科があり、スノーボード部のヘッドコーチを平野歩夢選手の父、英功さんが勤めているそうです。

 

2018年、18歳の高校3年生で挑んだ平昌オリンピックでは、8位入賞。北京オリンピックでは、メダルの期待がかかるヒロイン候補として期待がかかった冨田せな選手。今回は、姉妹揃ってオリンピック出場を果たしました。妹るき選手は姉せな選手より1年早い小学校6年生でプロの資格を得ています。

 

冨田せな選手の好きな食べ物は「お寿司」だそうで、遠征先(海外)で食べたら日本を感じられるからとの理由です。遠征では、外食ばかり?と聞かれると「遠征では自炊もする」と話しました。

 

遠征時には、ナショナルチームの女子とみんなで一緒に生活するそうです。松本遥奈選手、小野光希選手、今井個桃選手、妹の冨田るき選手との共同生活で、料理は当番制にしてみんな交代で作っていたと言います。

 

さすが女の子たちです。姉せな選手は「妹は一言でいえば、絶対に負けたくないライバル。一番負けたくない」そして妹るき選手もまた「せなより一つでも高い順位に行きたい気持ちが強いので同じでライバル」と話しました。姉妹が、お互いライバルとして切磋琢磨し進み続けてきたのでしょう。

 

怪我を乗り越え世界を制したメンタル

 

平昌後の4年間は、怪我との戦いだった冨田せな選手。「3シーズンずっと怪我が続いて治って、いざ大会出て周りの選手と自分を比べてダメだったら選手をやめようって覚悟をしながら大会に出ていた」と話しました。

 

2019年、中国で行われたワールドカップの公式練習で転倒し、頭をうつ大怪我。3ヶ月の安静期間を余儀なくされ、普段泣いている顔を見たことがない両親が初めて見た涙だったそうです。

 

しかし大怪我を追ったことで冨田せな選手は覚醒。フィジカルトレーニングに真剣に向き合うようになったと話すのは、専門学校在学中、卒業後の現在も指導にあたっている大橋トレーナーです。

 

入学時「トレーニングをやらなくて上手くなれるならやりたくない」と言われ、その素直さに笑ったと話しました。怪我を経験したことで「周りの選手に置いていかれたくない」という強い思いから「これまでで一番やった」と自負するほど、懸命に取り組んだ筋力強化。

 

筋力トレーニングは、日々最後までやり切ることが想像以上に大変です。しかし、それをやり切ることで自然と強いメンタルまでも備わってきます。そして何よりも一番は、自信を持つことでしょう。

 

2022年、北京オリンピックの前哨戦として挑んだ世界最高峰の舞台”Xゲーム”で見事、優勝を果たしました。「やりたいこともやっての優勝」満足の冨田せな選手。「結果も出てきて、少し自分に自信がついたので、苦しかったけどシーズン終わってみれば良かったのかなと思う」と大怪我からの大復活です!

 

多くのアスリートが嫌いなことだったり、苦手のことから逃げたくなるものです。しかし、何かのキカッケでやりたくない事にも取り組むことがあります。周りからやれと言われてもやれなくても大丈夫です。それ以上に「やりたい!」と思った時の気持ちを大事にしてください。

 

北京オリンピックで掴んだ銅メダル

冨田せな選手が、人生2度目のオリンピック出場へ向けて今シーズン取り組んだのは”フロントサイドの1080”という大技。正面方向への横3回転するもので、この大会までに仕上げてきました。しかし今大会で滑るのは、奇しくも2019年に転倒し脳挫傷の大怪我を負った時と同じ舞台。

 

公式練習では「怪我したこと変に思い出しちゃったりもして怖くなってコーチにも泣きながら話して滑っていた」しかし「コーチから前向きなことを言ってもらっていただいてここまできたし、もうやるしかないなと思って頑張った」と恐怖を乗り越えたそうです。予選を5位で通過した冨田せな選手。

 

「もっと攻めてかっこいい滑りができたらいいなと思っている」「決勝に上がりたい気持ちが大きかったので上がれたことにホッとした」と安堵したのでした。迎えた決勝は素晴らしいスタートを切ります。「1本目から大技を決め、安心して2本目3本目攻めれる」と振り返ります。そしてさらに攻めた2回目「同じルーティーンでも、高さや技の完成度をあげて少しでも点数伸ばしたい」と狙い通りの高得点となり、3回目は転倒するも「決勝の公開練習の時にはできた技を本当は出したかった」とのことです。

 

「大会では決めたことがなかったルーティーンなので3本とも同じより1本変えたいなという気持ちがあった。せっかく技の準備をしてきたのでやりたいと思った」と3本目でも挑戦したのでした。最後まで攻め切って獲得したオリンピックの銅メダルです!

 

怪我をした場所を忘れることなんて出来ないくらい、人間の脳は無意識の中に鮮明に残っています。その恐怖心を克服するのに必要になってくるのが周りのサポートです。冨田選手には素晴らしいコーチ陣がいたのだと思います。

 

今後も続くスノーボード人生

 

安定感のあるエアーを武器に、世界で表彰台争いを繰り広げてきた冨田せな選手。勢いのある滑りで難易度の高い技を決め、見事に獲得した銅メダル。会見では「少し驚いていますが、ハーフパイプで女子初めてのメダルということでとても嬉しいです」「夢みたい」「この会場自体に怪我をしたこともあって恐怖心もあったけどそれを乗り越えて取れたメダルだったので本当に自信にもなったしこれからまた色々頑張って行けたらいいな」と話しました。

 

「実感はメダルセレモニーでやっと湧いてきて取材などであんまり寝れてないけれど、メダリストにしかできない経験なので良い思い出になっている」と笑って話しました。そして「お祝いのメッセージで常に携帯がなりっぱなし」「練習してきた事を出し切れたので満足しています」「私より下の年代からあこがれてもらえるような存在になりたいと思っているのでそうなったら一番嬉しいです」とも話しました。

 

4年後のイタリア、ミラノオリンピックについては「まだ北京終わったばっかで考えれてないけど、オリンピック目指す目指さないにしてもスノボは続けていこうと思っているので、いろんな形でたくさんの方に見ていただけたらいいな」「スノボの魅力を発信していきたい」とも話しました。

 

怪我を乗り越えてメダルを掴んだスポーツの力醍醐味を「このスポーツやってて選手と関わること多いですし私自身一人じゃ絶対ここまでやってこれてないので選手同士でもお互い高めあいながら一生懸命やれるのすごいいいなて思います」「男子もすごいけど女子もそれに負けずにどんどんレベルが毎年上がって行ってるので、本当にみんな戦いながらやっている」そして「トリプリコークとか正直怖くて見てられないってのはある」と選手目線のトリプルコークの感想には、思わず笑いがこぼれました。

 

遠征に必ず持っていくものは?と聞かれると「カメラ」と答え、インスタグラムに笑顔いっぱいの写真もたくさん載せている冨田せな選手。これからもその素敵な笑顔でスポーツ界を引っ張っていくのでしょう。今後の活躍も本当に楽しみです。

 

【このコラムの著者】

プロスポーツメンタルコーチ/一般社団法人日本スポーツメンタルコーチ協会
代表理事 鈴木颯人

プロ野球選手、オリンピック選手などのトップアスリートだけでなく、アマチュア競技のアスリートのメンタル面もサポート。全日本優勝、世界大会優勝など圧倒的な結果を生み出すメンタルコーチングを提供中。

【プロフィール】フィリピン人の母と日本人の父との間に生まれました。生まれた国はイギリス。当時から国際色豊かな環境で育って来ました。1歳になる頃には、日本に移住しました・・・。>>続きはこちらからスポーツメンタルコーチ

 

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