”ダブルゴール”は人生を支えるもの、岩出雅之監督
26年間もの長い間、帝京大学ラグビー部を指導してきた岩出雅之監督。選手たちを10度も大学日本一に導いた名将です。学生時代に日本体育大学で主将を務め、自身も大学日本一に貢献した経験を持ちます。今回は、岩出雅之監督についてお話しします。
目次
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ラガーマンから指導者、教育者へ
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岩出雅之監督の”妥協しない指導”
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”ダブルゴール”という2つの目標
ラガーマンから指導者、教育者へ
和歌山県新宮市出身の岩出雅之監督。地元の新宮高校に入学し、ラグビー部から勧誘を受けたことが始めたキッカケでした。高校では特に目立った成績は残せませんでしたが、教育を志望していたため日本体育大学に進学。3年生からフランカーとして才能を開花させた岩出雅之監督でした。
フランカーというポジションは、スクラムの際は端っこで片方の方のみ接触しています。そのため真っ先に飛び出し、スピードで味方をサポートする役割を持ちます。また相手陣内の密集地隊を突破したり、タックルで相手を止めるなどパワーも求められることが特徴のポジションです。試合が始まるとスタンドで見ていることが多い監督は、指示を出せなくなります。そんな時フランカーは、チームに指示を出すキャプテンとなることも多いポジションでもあります。
岩出雅之監督も大学4年生には、キャプテンとして全国ラグビー選手権大会に出場。決勝で明治大学を破り、日本体育大学を2度目となる大学日本一に導きました。「卒業後は、学校の先生として高校ラグビー部の顧問になって花園へ行きたい」という夢があった岩出雅之監督。日本体育大学を卒業後、滋賀県で教員採用試験を受けますが、最初は公園の管理員でした。次に中学に配属されますが、ラグビー部がなかったため野球部の顧問を務めました。次の赴任先である滋賀県立八幡工業高等学校で念願のラグビー部の顧問を務めました。
すると7年連続で全国大会である花園に導き、夢を叶えたのでした。その後、滋賀県教育委員会を経て高校ラグビー日本代表監督に就任。そして帝京大学のラグビー部の監督に就任しました。この学校を選んだのは「少数の有力校に優勝が限られる大学ラグビーに風穴をあけたい」という思いからだそうです。その言葉通り就任から13年後の2009年、決勝で東海大学を破り創業40年目の帝京大学ラグビー部を初の日本一に導きました。翌年は決勝で早稲田大学、その次の年も天理大学に勝利し3連覇を達成。
それまで同志社大学しか達成していなかった3連覇は、史上2校目となる快挙でした。優勝を重ねること9連覇の偉業を達成し、帝京大学ラグビー部は優勝常連校となりました。ラグビー部の顧問と兼任し経済学部講師から学部助教授、そして医療技術学部スポーツ医療学科助教授から教授に就任。スポーツ医科学センターの教授としてスポーツ心理学やスポーツ方法実習などの授業も受け持ち、スポーツ局の局長を務めるなど様々な立場に変わりながらも教育に取り組見続けています。
岩出雅之監督の”妥協しない指導”
帝京大学ラグビー部を9連覇、10度も日本一に導いた岩出雅之監督。就任後、まず『チームの規律を育てていくこと』から始めました。具体的には挨拶、掃除、規律の遵守で”朝起きて学校に行く。講義を真面目に聴く。練習をサボらない。”そしてすべての部員を寮に入れることで集団生活のなかで規律を学ばせたのです。
最初は、学生たちの心をつかむようなアプローチがわからないなか監督就任から2年後、部員が不祥事を起こして逮捕される非常に悲しい出来事が起こりました。チームとしても1年間公式戦出場停止の厳しい処分。しかし「どれだけ足場が悪くても、学生たちが自分についてこれなくても、何があっても絶対に逃げない。信念を持って根気強く挑戦し続けて行こう」とこの時に”本当の覚悟ができた今も変わらないと言う岩出雅之監督。
学生たちに辛い思いをさせないためにも”指導に妥協はしない”と決めましたが、もちろん時代の変化によってアプローチの仕方は変えていく必要もありました。最初は、トップダウン型言わば昔の体育会系の象徴的な指導からスタートした岩出雅之監督でしたが、就任から5年目ほどの時に再び悲しい出来事が起こりました。
勝てば全国大会に行ける大事な試合でベンチに入れなかった1年生が「負ければいいのに」と言って相手チームの応援をするような光景。試合に出られないなら自分とは関係ないと思ったのでしょう。帝京大学ラグビー部という組織自体に魅力がないことが原因だと考えた岩出雅之監督。『チーム組織自体を好きにさせるための環境づくり』として本人の心、そして上級生と下級生の関係性を育てることを意識しました。そして『ダブルゴール』を設定するようにしたと言います。
”ダブルゴール”という2つの目標
岩出雅之監督が学生時代のうちに生徒に考えるよう指導するのは”4年間の短期的な目標”もう一つは”卒業後の長期的な目標”の2つです。高校卒業後の1年生はレギュラーになることや優勝することなど目の前のことだけを考え入部します。その夢があるからこそエネルギーを持てるため、この短期的な目標=ゴールはもちろん大切です。
しかし卒業後もラグビーを続ける学生ばかりではなく、続けたとしても比較的選手寿命が少ないのが現実です。ラグビーを引退した後の社会人として長期的な目標=ゴールをもまた重要になってくることです。
目の前のゴールと未来のゴールを同時に設定することで”自分の人生を自ら切り開いていってほしい”そんな岩出雅之監督の思いがこの”ダブルゴール”には込められているのです。
トップダウン型”体育会系”タイプの指導を続けていた頃に心の中にあったのは『子供たちを勝たせてあげたい思い』と共に『俺が勝ちたい』という気持ちも強かったという岩出雅之監督。自分が認められたくて目の前の結果にこだわってしまったことに気付いたのでした。
しかし指導方法を変えてからは、選手たちが卒業し社会人となってからの活躍が喜びになっているそうです。選手たちの現役時のゴールと将来のゴールの”ダブルゴール”。岩出雅之監督にとっても指導者としてのやりがいに価値を見出すことができます。目先の目標だけではなく、選手たちとスポーツすることを楽しみながらゴールを目指せます。
このほかにも、管理栄養士による食事作りや血液データを基に選手の体調管理をするなど物理的、化学的なものも指導に取り入れました。ラグビーでベンチ入りできるのは23人。しかし、帝京大学ラグビー部には”24番”のジャージがあるそうです。『もしここでレギュラーになれなくても彼らの努力は違う形でも実を結ぶ』というメッセージなのです。
そして、周りの信頼と尊敬を得た選手に送られるリスペクトジャージもあるそうです。『尊敬されるような存在になって卒業することも目標=ゴールの一つにしよう』というもので、このジャージはラグビーが上手いから着れるものではなく簡単に着れないものなのです。
「大学の4年間は大事。そのため大切な未来のために生きていく4年間にしてほしい。学生時代が宝物でも良いけど過去だけが自分の宝物ではなく、挑戦し続ける未来にしてほしい。そうできるように自分を支えてほしい。年を重ねるごとにいい味を出した人生にしてほしい。それが幸せに向かっているということ」と話す岩出雅之監督。選手たちの成長を助けることも監督の大切な仕事だということが分かります。
今回は、選手でも監督としてもラグビー部を日本一に導いた岩出雅之監督についてお話しました。試行錯誤した結果、たどり着いた『ダブルゴール』。学生だけでなく岩出雅之監督自身の人生を支えてきた大切なものです。スポーツを引退した後の長い人生について現役中から考えることで、将来の可能性を広げることにもなります。岩出雅之監督の『ダブルゴール』の指導は、今後も多くの人の人生を素晴らしいものにすることでしょう。
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【このコラムの著者】